WORLD TOURING 1986/3.3〜1988/9.22の全日程
北アメリカ・中央アメリカ、↓ 南アメリカ、→ ヨーロッパ、→北アフリカ・ヨーロッパ・中近東・アジア
※ 旅行中にノートに書き込んだ記録をデータにしました。(随時加筆中)
COLMBIA → ECUADOR → PERU → CHILE → URUGAY → BRASIL↓
南米、COLMBIA
1986/9/7(日) Barranquilla
バランキージャ

ホテルは四つ星だった。空港に到着したのは夕方。タクシーでホテルに来たため自分がどの辺りにいるのかさえ分からなかった。地図もないし。治安の悪いコロンビアでありえないぐらいの無謀さだ。
コロンビア入国
Hotel プラド
・C$8952
U$1=約C$195
9/8 Barranquilla
バランキージャ
朝起きで、食事。ホテルにコロンビアの地図があると聞いたのでもらいに行ったら、雑誌屋にあると言われ、結局C$1000で買うことになった。ベネズエラ領事館にピザを取りに行く。会社の紹介状がないとダメとか言われたが、結局本国にテレックスして問い合わせるとかで、C$1000取られる、1週間後にまた行くことになった。
Hotel・C$8952
9/9 Barranquilla
送ったバイクの状況を確認しに、セントロにあるエアサムのオフィスにタクシーで出かけた。C$250だった。ここでは分からないから、空港に行けと言われ、またタクシーで空港へ。今度はC$1500取られる。明らかにぼられている。メキシコから先は全部こんな感じ。外国人とわかれば、必ずぼられる。空港では、貨物のオフィスに行けと言われた。場所がわからない。横から、英語の話せるおっさんが話しかけてきた。この手はやばいと思った。かなず金を要求してく。
おっさんが聞いてくれたところ、ここから1kmぐらい離れていた。バスで行くかタクシーで行くか聞いてきた。バスで行くことにすると、やっぱり着いてくる。
とりあえず目的を果たさなければ。貨物のオフィスに行くと、まだ2〜3日かかると言われる。仕方なく帰ることにする。バス停でバスに乗るとき、金をくれというしょうがなくC$500渡すと、もっとだというので、さらにC$500渡した、バスに乗ると、まだ着いてくる。セントロあたりで、結局、怒鳴り散らして追い払った。こんなことばかりだ。ややうんざり。この街のセントロは掃き溜めのようなところで、ともかく汚い。道路の真ん中はゴミ箱のようで、ドブの匂いがする。
こんな国にバックパッカーが来る意味がわからない。ともかく金。バスは2種類あって7ペソと、20ペソ。タクシーはその50倍の料金をとるのだ。空港までは7ペソで、タクシーで1500ペソだったので214倍の料金なのだ。

以後、荷物の到着確認のために何度も市内バスに乗って空港のカウンターに行き、 その度に航空会社のカウンターの係員の対応の悪さに何度もぶち切れる。怒ると、チーノ(中国人)が騒いると言われる始末。
Hotel・C$8952
9/10〜9/21
Barranquilla
9/10、バイクの到着を待つ。何もすることがなく、ホテルでブラブラ。
9/11、今日はまた、空港に行く。そもそも、荷物を送って、その荷物の受取人の連絡先もわからないのに、バイクとかが遅れるこのシステムはなんなのだろう。空港まではタクシーで、今日はC$1000だった。まただと言われる。これはやばい、当分足止めをくらいそうだ。帰りはまたバスで帰る。
9/12、銀行に両替に行くが、11時半を過ぎていたので閉まってしまう。開くのは14時からだ。トラベラーズチェックを両替するが、手数料を取られる。何てこった。チェックを買うのに手数料、換金するのに手数料。これじゃ米ドルの現金以外は意味がない。
毎日暑い、ホテルは四つ星なのでプールがある。一人で泳いでも面白くもない
9/13、バイクの到着を待つ。今日はまた、空港に行く。エアサムのオフィスで、明日あたり、荷物を運ぶだろう的なことを言われる。ホテルに戻るが何もすることかない。
9/14、バイクの到着を待つ。今日もすることがない。お金だけが減って行く。
9/15、バイクの到着を待つ。今日はベネズエラ領事館にビザをもらいに行く。2時間待ってビザが取れた。そしてまた空港にいく。エアサムのオフィスで散々悪態をついて粘る。一体いつ到着するか、はっきりさせろと。係のおねさんにぶち切られても頑張った結果、やっとテレックスを打ってくれた。テレックスなんだよね。電話じゃなくて。結果どうやら荷物はまだグァテマラにあるらしい。ホテルに戻りグァテマラの代理店にテレックスを打った。
9/16、バイクの到着を待つ。部屋でゴロゴロしていたら。グァテマラの代理店からテレックスがきた。それを読むと、明日バイクを運ぶと書いてあった。もう怒り心頭。バイクを送ったのは9/1だ。16日間、そのまま放置されていたわけだ。
9/17、バイクの到着を待つ。もうお手上げ。
9/18、バイクの到着を待つ。今日もすることがない。
9/19、バイクの到着を待つ。朝から空港に行ってみることにした。午前中に行けば英語が話せる係のおばさんがいることがわかったので、話を聞いたら、おそらく、今夜到着すると言われた。
9/20、バイクの到着を待つ。空港に行ってみたがやはり着いていない。もう言葉もない
9/21、バイクの到着を待つ。今日もすることがない。
Hotel・一泊 C$8952
9/22 Barranquilla 市内バスに乗って空港のカウンターに行く。やっとバイクが到着したのを確認、空港の外れにある航空貨物会社に行ったが、通関できない。カスタムに行けと言われ行くが、書類が足りないと言われ、また戻って来る。何かをタイプしてくれ、それを持ってもう一度カスタムに行けという。そして、日本語の話せる人を探してくれ、通訳してくれたが、その方はすでに片言の日本語しか話せなかった。ただ、悪い人間が多いから注意するよう忠告されただけた。
また、カスタムに行くと今度は英語の話せる女性が出てきて、エアーウェイビルの2枚目が必要だとい言われるがそんなものはないし、なぜ最初からこの人に合わせてくれないのだ。もう昼で、お金もないので一度ホテルに戻って、午後出直すことにした。再び航空貨物会社のオフィスに行き、カスタムからの手紙を見せた。
航空貨物会社の人が、日本人ではなにも出来ないだろうと心配してくれ、日系人を探して呼んでくれた。2時間ぐらい待っていたら、二人の日系人が来てくれた。日本語は話せなかった。ただその日系人が通関を手伝ってくれるとのことだった。Dokuさんという肩と、もう一人は日系三世のゲンゾウ君と言っていた。再びカスタムに行くが、通関の前にもう一つ問題があった。サンアンドレス経由で入国したため。滞在期間は15日になっていた。ということで今日はおしまい。

※航空貨物でバイクを送ったのに2週間以上かかった。日本からカナダに船便で送ったのと変わらない。中南米の時間は日本の感覚と違うことを知るべきだった。9/1に送り22日が過ぎた。バナママで走ればよかった。取り返しがつかない大失敗。ニカラグア・エルサルバドルを根性出して2日で走り抜けてしまえばよかった。

※コロンビアでは個人で荷物の通関は難しい。多くのバイクツーリストはパナマからエクアドルに空輸しているようだった。
Dokuさんのオフィス
9/23 Barranquilla 朝、迎えに来てくれたのでホテルを出た。Dokuさんのオフィスに泊めてくるというので、移動する。最初に通関業者のところによって、カスタムに向かう。カスタムはいくつかの部署に別れていた。最初の窓口からスタート。書類にスタンプをもらって行くわけだ。午前中でやっと2つ。昼はDokuさんのオフィスにいき荷物を下ろした。Dokuさんは道工香という名前で、日系二世だった。午後からまたカスタムへ。2つ目の窓口から書類をもらい、新たに書類を作成するらしい。

今日カスタム提出した書類は、エアーウェイビルが1枚、それのコピーが2枚、エアーカーゴでタイプしてくれたものが5枚、荷物の送り状が1枚、タイプしたものが3枚、用紙を買ったものが3枚、新たに作ったものが4枚、そのコピーが3枚、合計22枚紙切れが必要だった。当然個人では通関は不可能。

Dokuさんのオフィスに泊まるが、夜は外から鍵がかけられるので、外に出れない。幽閉状態。腹減った。
Dokuさんのオフィス
9/24 Barranquilla

今日は荷物を受け取れるかと思ったら、また、とれなかった。一度戻り、午後再びカスタムに。今度は荷物を開けて、検査を受けた。しばらくそのまま待っていると、偉そうな係員がきた。その人が書類にOKを出すのを待っていた。さらに女性に200ペソ渡し、何かをタイプしてもらった。今日はこれで終わり、一緒に来ていた、通関業者をセントロまで送って行き、パスポートとカルネをその人に預け、Dokuさんのオフィスに戻った。

Dokuさんのオフィス
9/25 Barranquilla 午後、やっとバイクを受け取った。夜Dokuさんに連れられて、日本人がいるアパートに連れて行かれた。その人に通訳してもらうためだったようだ。話の中身は、コロンビアを出国した時のカルネの半券をDokuさんに送り返さないと、Dokuさんが払った、保証金が戻らないということだった。Dokuさんが保証金を立て替えてくれたわけだ。この方に会うことができなかったらおそらく通関できなかっただろう。こんなことで本当に旅と言えるのだろうか。 バイクをやっと通関でき受け取る
9/26 Barranquilla
49,987km
午後から、イミグレーションに連れて行かれ、滞在延長手続きをする。
滞在できるは10月15日まで、バイクは10月8日までだった。

ベネゼーラに行くつもりだったので、ビザを摂ったのだが、荷物の到着と通関に時間を費やしたので、行かないで南下することにした。
 
9/27 Bucaramanga
ブカラマンガ

いよいよ、南米の旅。Dokuさんに見送られてBarranquillaを後にする。9/1に送って27日間。それにしても大陸を超える度に通関トラブルだ。これからが思いやられる。取り返しのつかない27日間がすぎた。

DokuさんがBucaramangaで日本人がレストランをやっていると紹介されたので会いに行ってみた。東京レストラン・奥田さんに会う。知らない日本人になぜ会いに行ったのか自分でも分からない。ただ、無駄な時間を過ごしただけだった。

この頃、南米のガイドブックなどは、JTBのポケットガイドみたいなものしか入手できなかった。アメリカやヨーロッパでは、○○シューストリングという、地球の歩き方の原型となったと思われる、ガイドブックをみんなが持っていた。そのため、欧米人はだいたい同じ宿に固まっていた。
ブカラマンガまでの道のり、所々で料金所があったがバイクは無料のようだった。街の手前には検問があり、時々止められられた。着いたのは17時半を過ぎていた。600kmを9時間で走った。

Hotel・C$800
9/28(日) Bogota /ボゴタ ブカラマンガを9時頃出発。ボゴタに近づくと寒くなってきた。しかも雨が降ってきた。雨が降ると豪雨になる。17時過ぎにボゴタについたのだか、街が広く、今何処にいるのか分からない。毎度のことだ。適当に走って、手頃なホテルに入った。寒くて体がガチガチ。とりあえず食事に行く。肉とポテトとライスで約300ペソ。ガソリンは1ガロン120ペソぐらいだった。
ボゴタは治安が悪く観光どころではなかった。両替所で両替した白人旅行者が、周りを確認し、走って人ごみの中に消えて行った。そうとう危険なのだろう。
Hotel ボゴタ
・C$2390
9/29 Bogota 日本大使館に行く。無事、通関できたことを伝えた。過去に通関するのに一ヶ月以上かかった人がいたことや、Dokuさんは昔コロンビアのサッカー選手で有名人であることを知らされた。色々話をして11時頃戻った。ボゴタは寒くトレナーを来ていても肌寒い。カリからポパヤンまでのルートがこの国で一番危険だと言われ、これを乗り切ればエクアドルだ。 Hotel・C$2390、
9/30 Bogota 日本大使館に電話をしたら、9時半に来てくれと言われだ。取りあおず歩いてヒルトンホテルまでいき両替しようとしたができなかった。タクシーで日本大使館に向かった。 大使館はビルの中にあり、扉は二重で最初に電動の扉が開き、中に入るとそれがロックされ、次の扉が開き、オフィスに入ることが出来るという異常なほどの警戒だった。
大使館ではエクアドルに入国するための紹介状が必要で、作成してもらい、エクアドル大使館にビザを取りに行った。ボゴタのタクシーにはメーターが着いていた。ビザは簡単に取れたので、その後何もすることがなくなった。黄金博物館や、1985年の左翼ゲリラM-19によるコロンビア最高裁占拠事件の跡地なんかを見に行ったりした。まだ時間があるので中央銀行に行って両替しようとしたら、明日だと言われた。つまり午前中だけということらしい。またヒルトンの前の両替所に行ってみた。大使館の話では、両替所は利率が低かったり、手数料をとったりするので利用しない方が良いと行っていたが、ちょうど外国人が両替していたので、その後、60米ドルだけ両替した。1米ドルが205ペソだった。12,300ペソで全部500ペソ札だった。
Hotel・C$2390
10/1 Cali /カリ 7時過ぎには、出発した。ホテルの駐車場から出るとすぐに、変なおっさんが近づいてきて、コカインはいらないかと言っていた。走り始めて大きな街の中で迷い、30分以上ボゴタ市内を走り回ってしまった。ルート40を走り、カリを目指す。Ibague(イバゲ)から登りでArmenia(アルメニア)まで標高3250mまで登る。ワインディングロードが続き、雨が降り、しかも寒い。途中、下りで道路の油に乗り思いっきり転倒。足がバイクの下敷きになり、起きあがれない。たまたまコーナーの横に家があり、たまたまロバをひいた人が、雨宿りしていた。その人が起こしてくれた。峠は荷物満載のトラックがノロノロ走っているので、車にひかれることはなさそうだったが、ハンドルが曲がり、アクセルが戻らない。右足の膝をしたたか打った、腰も痛いが、ともかく、カリまで走ることにする。カリのホテルはセントロに集中ていた。街をぐるぐる回り、手頃なホテルを見つけた。汚い格好だったが、バイクに乗った日本人が来たので、ちょっとした騒ぎになった。バイクはホテルの隣の改装中の事務所に置かしてもらった。食事をして、部屋に戻ってシャワーを浴びる。足も、腰も腫れていた。

今日はカリに泊まる。カリは、麻薬組織カリカルテルの本拠地だ。
ここでは、ただ泊まっただけ。
Hotel・C$1800、
10/2 Cali

朝から雨が降っていた。迷ったが9時半過ぎに出発。 ルート25を走り、Popayan(ポパヤン)を過ぎて80kmあたりのところで食事をした。カッパを脱いだ時、パスポートがないのに気づいた。いつも寝る時はパスポートを枕の下に入れて寝ていた。この日に限って、パスポートをそのままホテルの枕の下に忘れたまま出発してしまったのだった。
ホテルのレシートを持っていたので、泊まったホテルに電話をし、パスポートを忘れたことを話した、パスポートはホテルで保管してくれていた。いつ取りに来るかと言っていた。また、来た道を200km走る。幸い雨がやみ、走るのは楽だったが、バイクはオイルがきれてカチカチいっていた。17時半すぎにカリに着いた。今日もカリの同じホテルに泊る。つかれた。片言の英語で良く意思が通じたものだ。

Hotel・C$1800
10/3 Ipiales
イピアレス 52.314km
8時過ぎ、昨日と同じ道を、Popayan(ポパヤン)を目指して走る。晴れていたので、山道もあまり苦にならなかった。ポパヤンからPasto(パスト)までは、まだ300kmぐらいある。深い山道で所々ダートだった。さらにところどころ崖が崩れ、道が悪い、バイクが今にも壊れそう。パストの手前辺りから、雨になり、さらに寒い。パストからIpiales(イピアレス)まではさらに深い山道で、雨は豪雨となった。この辺りは岩山が多くいまにも崩れそうだった。今日はイピアレスまで500km走った。ボーダーの街は両替屋のおっさんが、うろつき、安宿も沢山あった。ホテルを探しうろうろしていて、バイクを倒す。その辺の男の人に手伝ってもらい起こす。ともかく寒い。

コロンビアは、治安が悪く急いで通過した。なのでろくに観光もしていない。 なぜ、コロンビアに来たのだろう、危険な国を通過するだけのために、グアテマラからコロンビアに、バイクを送り、時間とお金を無駄にした。始めからバスして、エクアドルに送るべきだったのではないか。
Hotel・C$700
■南米、ECUADOR
10/4 Quito /キトー

朝、出発をしようと準備をしていると、その辺のおじさん達に取り囲まれ、いい見せ物になってしまった。国境まではほんの数キロだが、深い山道を走る。カッパを着て走る。国境ではカルネに出国スタンプをもらえたし、エクアドルでもカルネが普通に使えた。

コロンビア出国時に、税関職員が入国スタンプに書かれてあった滞在日数の15日をさして、オーバーステーだと行って来た。ハ ハ ハ ハ ハ、ちゃんと延長申請してありますゼー。

キトーまでは260kmぐらいある。国境をこえて、山道を登り、山頂あたりからキトに下って行く途中で激しい雨に遭遇。瞬く間に土砂が土石流となり道路に流れ出し、道路上に数台の車と一緒にとり残されてしまった。雨は1時間ぐらいで止んだか。道路上には所々にとり残された車が離れ小島のように点在していた。すぐに山の下の方からブルトーザーが土砂を押しのけるためあがって来た。1時間たたないうちに、大まかに土砂を押しのけ車が通れるようになった。
動き始めた車と一緒に走り始めたが、石や砂にハンドルが取られ、コケそうだ。両足を着いて山をゆっくり走ったが泥にタイやをとられ、身動きできなくなった。周りにいた男達が押してくれた。泥に乗り上げたところで、チェーンが外れた。路肩に寄せてもらい、チェーンをかけて、またトロトロと走り始め、なんとかキトについた。古びたホテルに入った。バイクも自分も泥まみれだった。宿に入り、とりあえず洗車と洗濯。チェーンの整備。その後食事をしに行くが、疲れ過ぎていてあまり食べれない。宿は古いが外国人旅行者がかなりいた。キトーは寒くセーターが必要だった。

エクアドル入国
Hotel・S800
U$1=140〜142.5
10/5(日) Quito
52,580km
キトー
キトーでは、バイクの整備をすることにした。 エアクリナーの交換、ブレーキパットRの交換。すでにリアサスはへたってしまい、底ずきしゴトンゴトンと音がする。高地のせいか体調が悪い、ホテルで横になり少し寝てしまう。食欲もあまりない。 Hotel・S840
標高 2,850 m
10/6 Quito 朝から両替屋にいく。ホテルに戻り、バイクでツーリストオフィスに地図をもらいに出かけ、ガソリンスタンドでバイク屋を教えてもらいタイヤ交換に行った。しかしサイズが無い。400ccクラスのバイクはあまり走っていない。主に250かそれより小型のバイクばかりだ。3.25サイズがなく、3.50しか無かった。仕方なく交換したら、フロントのフェンダーが当たって入らない。バイク屋のお兄ちゃんと話し合った結果、フェンダーを削ることにした。しかもアルミの部分も削った。
タイヤFの交換(ダンロップ)、料金は80米ドルだった。高い気もしたが、色々やってもらったので、こんなもんだろうか。昼休みはみんな閉まってしまう。一度ホテルに戻り、また別のバイク屋にオイル交換に出かける。オイルフィルターも交換してもらい、オイル代は3リットルで765スクーレと工賃200スクーレ。このバイク屋のメカニックは凄腕なのか、エンジンの音を聞いて、カムチェーンがたるんでいると言っていた。ホテルに戻りブレーキパットFの交換。バイクの整備に追われっぱなし。キトーのバイク屋にはいろんな商品が揃っている、アライやベルのヘルメット、モトクロスパンツなどのウェア、ゴーグルやグローブ、バイクはトレールが主でDT125が多かった。郵便局に行って驚いた。綺麗でしかも混んでない。メキシコやグァテマラとは大違いだ。Dokuさんにカルネの半券を送る。
Hotel・S840
タイヤFの交換
オイル交換
オイルフィルター
10/7 Quito キトは赤道直下の街だが、標高が高く夜はセーターがないと過ごせないぐらい寒かった。12時から14時半まで、お店が全部閉まるので、なにもすることがない。地図を買いに行ったり、バイクの整備をしたりする。両替屋はホテルのそばにたくさんあり、米ドルも買えるようだった。 Hotel・S840
10/8 Guayaquil
グアヤキル

朝7時に起き、食事をして出発。キトーからの出口がわからない。1時間以上さまよってしまう。リオバンバまではともかく寒かった。リオバンバからグアヤキルへの道もわかりにくかった。18時過ぎにグアヤキルに到着、ホテルを探して彷徨う。やっと汚い格好でも止めてくれそうな安ホテルを見つける。ここも治安が悪く、しかも暑くて居心地が悪い。疲れたので夕食も食べずに寝てしまう。

Hotel・S800
10/9 MACHALA
マチャラ 53,300km
朝7時に起きて、バイクをホテルの外に出し荷物を積んで出発。Guayaquilはろくに観光もしないで、先に進む。MACHALAまではずーっとジャングルで湿地帯だった。バナナ畑が続いている。ところどころダートで、周りにある人家はほとんどバラックばかりだ。MACHALAには11時過ぎに着いた。ホテルは綺麗なところで、荷物をおろし、とりあえず食事。

エクアドルはバナナの産地で、街道沿いにはバナナのプランテーションが広がっていた。ジャングルの中を走っていると、プランテーションにスプリンクラーが撒き続ける水を何度も浴びた。
Hotel・S1700
■南米、PERU
10/10 Talara /タララ
朝7時過ぎに起きて、食事をして出発。小雨が降っていたので、カッパを着た。イミグレーションではカルネで出国したのに、200スクーレ取られる。国境を越えると闇両替屋が群がってくきた。国境の周りは闇市状態で、露天が並ぶ狭い道をノロノロと抜けて行く。 闇両替屋に取り囲まれたので、少額の米ドルを交換してみた。枚数が異様に多い。税関ではカルネのことをよく知っているようでテキパキとコトが運ぶ。道路はめちゃくちゃで、もちろん舗装もなく、少し走って、パスポートチェック、また少し走ってチェックを数回繰り返した。検問では荷物の検査もしている。車の運転手はポリスにお金を渡していた。面倒な検査を小額の金でパスできるなら効率的だと思うけど、これでいいのか。Tumbesから延々砂漠。山にはブッシュしか生えていない。Talaraまでの約200kmの道のりで舗装されていたのは30kmぐらいだった。

この国は超インフレで、毎日通貨のレートが下がって行った。米ドルを両替する時は小額ずつ両替しないと損だ。
ホテルに入り、お金を払ったら、古い札を渡されたことを知らされた。つまり今まで使っていた1000円が明日から1円になり、お札が新しくなり旧1000円が1ドルとして新登場する感じ。ペルーではペソ(旧)がインティ(新)に変わったとこだった。
ペルー入国
Hotel・779.15
U$1=19〜20
10/11 Chiclayo
チクラヨ

パンアメリカンハイウェイを南下して行くのだが、道路標識がいい加減で何度も道に迷ってしまう、しかも、一部道路工事中だったため、ダートだった。

Chiclayoのホテルは安かった。一泊90.000、ガソリンが1ガロン18.000、タバコが一個20.000〜15.000、ジュースが5.000、お札は古いものと新札が混じっていた。
ペルーではコーヒーを頼むと、瓶に入った濃縮コーヒーとお湯の入ったカップが出てくる。お湯の中に濃縮コーヒーを入れて出来上がり。メキシコでは、ネスカフェ(インスタント)が出てきた。

Hotel・90.0
10/12(日) Chmbote
チンボテ
Chmboteに着いたのは15時過ぎだった。バイクの掃除をする。フェンダーの横を切ったので、破れてきた。そのうちなくなるだろう。ずーっと砂漠を走ってきたので、何もかも砂だらけ。ここは港町で海の匂いがする。この街は鳥のレストランしかない。一羽、2分の1、4分の1とある。4分の1にポテトを添えて15.000で食べられた。 Hotel・138
10/13 Lima /リマパンアメリカンハイウェイ 朝8時に起きて、近郊で両替し、リマを目指す。かなり距離がある。砂漠の道をひたすら走る。途中とうとうフェンダーが吹き飛んだ。リマに着いたのは17時過ぎ。セントロ近くの安そうなホテル、クラリッジに泊まった、一階のロビーにバイクを入れさせてもらった。宿の目の前に洗濯屋があった、珍しかったので覗いてみたら、日系人の店だった。もちろん日本語が通じた。 Hotel・170
10/14 Lima

郵便を出しに行き、その周りで、地図とクスコ・マチュピチュの案内という日本語の本を買う。 タクシーで日本大使館に行く。
大使館では、旅行者が訪れた記録をノートに記載するようになっていたので、眺めていたら、滞在先が西海となっている人が多かった。職員に尋ねたら、日本人バックパッカーが多く滞在するペンション西海だと教えられた。ペンション西海は日本人バックパッカーの間では有名な安宿だったが、その存在をここで知った。夜中に体調不良で目がさめる。下痢で熱もある。

Hotel・170、
10/15 Lima 風邪クスリを買ってきたが、下痢がひどい、メキシコで買った抗生部質を飲む。目の前のクリーニング屋で汚れてツナギなどを出し、クリーニングができるのをぼーっと待つ。リマではあまり休まらないのでクスコまで行くつもりだ。 Hotel・170
10/16 Nazuca /ナスカ まだ腹の具合が悪い。イカの手前でコーヒーとケーキと薬を飲む。リマを出るとまた砂漠、要するに海岸沿いは砂漠なのだ。16時ころ地上絵で有名なナスカに付いた。砂漠の中の街と言った感じ、観光客も多かった。セスナで地上絵を見ないかと、ツアーに誘われた、US30ドルだが、US20ドルでいいと言っていた。ホテルで割れたフェンダーを接着剤で修理。 Hotel・120
10/17 Puquio
から90Kmぐらい
朝8時に起きて出発。クスコまで600kmある。しかもダート。ナスカからアンデス山脈を、標高3500メートル以上昇って行く。Puquioに着いたのは13時過ぎ、130km走るのに4時間以上かかった。さらに先に進む、やはりダート。片側は谷、とこどころに、真っ青な湖が見える。キャンプするか迷うが、さらに先に進む。周りはブッシュしかない。一度対向車とぶつかりそうになり、コケる。左側のサイドバッグがかなり潰れた。16時過ぎキャンプをすることにした。中南米で初のキャンプ。途中の小川で水を汲む。頭が痛い、高山病だ。日が沈むと震えるぐらい寒くなって来た。テントの中でシュラフに入って横になっている。24時頃、寒くて目が覚めた。テントの中はすっかり霜が降りていた。車の通る音がする、見るとバスが走っていた。この辺りは野生と思われるアルパカがいっばいいる。放牧しているだけかもしれない。今日はまだ一食しか食べていない。ぐったり。食べるものはクラッカーしかなかった。お湯を沸かしてインスタントのコーヒーを入れ、飲んでいると、こちらに向かって人が近づいて来た。挨拶をしてタバコをすすめてみた。彼はそれを受け取りまた歩いて行ってしまった。 キャンプ・0
10/18 Abancay
アバンカイアバンカイあたり

朝7時に起きて、バイクからガソリンを抜いてお湯を沸かし紅茶を飲む。バスがその横を続けて2台通って行った。そのバスに日本人2人が乗っていた。途中の村で食事をしていると、バスがやって来て、その2人が近づいて来た。一緒に旅をしているわけではなく、リマのペンション西海で知り合い、クスコに行くそうだ。バスより先に出発。途中で完全に道路がなくなり、無理やり作った迂回路を走らされる。アバンカイまで後40kmぐらい、もうガソリンが少しだけ。後7kmというところでガス欠で止まってしまう。今朝コンロに入れたガソリンが少しある。それをバイクに戻す。200ミリリットルぐらいしかないが、動いた。
ここまで登ってくると、空気が薄く、バイクのエンジンが回らない。ガソリンが濃すぎるのか、かぶり気味でノロノロと、どうにか坂道を上って行く。SRXはゼロになるまでタンクのガソリンを使えない、少し残ってしまうので、バイクを揺すりながら走ったが、スタンドまで10メートルぐらいのところで止まった。周りの人に上り坂を押してもらいやっとスタンドに到着。燃費がすごく悪い。
アバンカイで泊まる。ホテルに入り、チェーンにオイルをさしている時、リアタイヤのサイドがパックリ切れているを発見。ともかく荷物を降ろし、タイヤの修理屋にいき修理。ただ単にパッチを当てただけ。タイヤの消耗がはげしい、ブロックがところどころめくれている。ホテルに戻ると二台のBMW-R80が止まっていた。少し話をした。ニカラグア、コスタリカ、パナマと走り、パナマからボゴタに入ったと言っていた。やっぱり首都に送るべきなのだ。

Hotel・50
10/19(日) CUZCO
クスコ 55649km
CUZCO
雨が小降りになった10時過ぎに出発、BMWはもっと早く出たらしい。オフロートが続き、赤土のぬかるみでコケる。モトクロスのコースのような状態。SRXとこのタイヤでは走れない。小高い丘の上に人家があり、人が見えた。手を振って手伝ってもらうことにした。降りて来たのは子供だったが、手伝ってくれた。コーナの部分だけがドロドロで、あとはジャリ道だった。クスコに着いたのは16時頃。付くとすぐ、バイク2台で旅行しているドイツ人に出会った。泊まる宿を探し走り回っていた。どうやらYHがあるようで、そこを探していたようだった。安そうなホテルが沢山あるのに、なぜYH?? 彼らと別れ、バイクを中庭に置ける安宿に入った。結局クスコ市内にはYHはない。今日は200km走るのに6時間半もかかった。ホテルはシャワーもトイレも共同だった。シャワーはお湯が出ると言っていたが冷たかった。ともかく、バイクの荷物を全部降ろした。サイドバックはかなり割れていた。 Hotel・50、
10/20 CUZCOCUZCO バイクの整備をした。洗車したが泥が全部とれない。フロントタイヤを外し、フロントフォークを外し、ステアリングボールレースをチェックしたら、ガタガタだった。 チェンジペダルの交換、ステアリングボールレースの交換、オイルの交換、プラグの交換。終わったのは17時を過ぎていた。とりあえず買い物に出かけた。今日はお湯が出るのでシャワーを浴びる。 Hotel・50
10/21 〜 10/24
CUZCO /クスコ
食事がてらクスコ観光。昼前にホテルに戻り洗濯をする。 両替してから、裂けたタイヤを交換したかったのでバイク屋に言って見るが、タイヤはない。しょうがなくオイルだけ交換する。 Hotel・50×4
10/25 CUZCO
CUZCO

朝早くから、マチュピチュを目指して走り始める。日帰りツーリングのつもりだったので、ほとんどの荷物はホテルに置いて出かけた。地図では、オヤンタイタンボから道路が通じていることになっていたが。オヤンタイタンボまで行ったが、マチュピチュ方面への標識も無い。ただ山道が続いていたので、帰りのガソリンを考慮して、100km走って、マチュピチュにたどり着かなかったら、引き返すことにした。
オヤンタイタンボから約40km地点で路面に転がっていた落石にフロントタイアをとられて転倒、アゴを岩に強打。起き上がった時、あごや口から大量の出血、耳の下辺りで口を動かすとガザガサと音が聞こえる。ミラーが吹っ飛び、ヘッドライトが割れてる。ミラーの破片をひろい、顔を見るとあごがさっくり切れ、歯茎を骨折し歯が奥に入っていた。山道の横を流れる水であごを洗い、バンダナで傷口を押さえ、バイクを起こして、ともかく戻ることにした。
オヤンタイタンボの派出所に行くと、血だらけの旅行者をみて警官は大慌て、村の診療所に連れて行ってもらったが、診療所に医者がいなかった。隣町の診療所に行っているようだ。血だらけのまま、1時間以上待って警官と一緒に乗り合いバスにのり、隣町のウルバンバまで行った。 診療所では切れたアゴを縫ってもらったが、骨が折れているので、これ以上の治療はクスコに行くように言われ、診断書を書いてくれた。警官と一緒にオヤンタイタンボに戻った。バイクをオヤンタイタンボの警察に預け、4時間まって、乗り合いバスで夜クスコに戻った。事故を起こしたのは午前中で既に今は夜21時を過ぎていた、タクシーで病院へ行くが、救急の窓口でも、今日は休みだから月曜日に来いと追い返された。しょうがなくホテルに戻った、ホテルの従業員がとても心配していた。

オヤンタイタンボからマチュピチュへは、道路は通じていなかった。あるのは鉄道の線路。 壊れたのはミラー、スタンドのスプリング、ヘッドライトアッシー、ハンドル、レバー2本、グリプの破損。ヘッドライトが割れてなかったが、まだ明るかったので、バイクでクスコまで戻ればよかったと思う。

事故
Hotel・50
ウルバンバ治療費17
バス代合計14
タクシー合計30

10/26(日) CUZCO 一日、痛みに耐え、じっとしている。口からの出血は収まったが、血がまだ出ている。喉が熱く、腫れている。満足に食事もとれない。 Hotel・50
10/27 CUZCO

朝、ホテルの従業員が病院に連れて行ってくれた。病院は人でごった返していた。最初にお金を払い、カルテを作ってもらう、一時間待って、歯医者に行けと言われ、歯医者に。医者にいわれるまま、レントゲンを撮りに行く。右アゴ(耳の下あたり)と下の歯茎を骨折していた。今日は、ここまでで帰っていいと言われる。ホテルに戻った。4時間かかって、レントゲン一枚だけ。保険会社と家族に手紙をだす。

Hotel・50
10/28 CUZCOCUZCO

今日は入院。金とパスポートと着替えを持ったが、泥だらけで、血の付いたジャンパーとジーパンはそのままだ。シャワーも浴びてない。病院のベットでじっとしていると、歯医者二人が入って来てなにやら言っていた。一日待っていたがなも起こらない。昼はスープとゼリーだけ。夜はスープだけだった。

夜中、あまりの痛さで眠れない。病室を出て、看護婦の詰め所に薬をもらいに行ったら、モルヒネを打たれた。一瞬、瞳孔が開き視界がぼやけ、汗がどっと噴き出し、髪の毛が逆立つような戦慄を感じた、そして、痛みがひいて行った。ここで死ぬのかと思った。

入院
Hotel・50
レントゲン50
診察料7

10/29 CUZCO

食事は、スープとゼリーの様なものしか出なかった。腹が減って眠れない。泊まっていたホテルのお兄ちゃんが、今日も様子を見に来てくれた。ついでに牛乳とヨーグルトを買ってきてもらった。今日から薬が出た。スープとゼリーと薬。

病室には自分の他に二人のペルー人が入院していた。一人は、ほとんど動かない、というより動けないようだった。もう一人は、傷口が痛むのか、時々、ウーと押し殺した声が聞こえる。
入院中
Hotel・50、
10/30 CUZCO 手術。今日は下側だけワイヤーを加工した手作りの器具を歯に取り付けた。
昼間、日系人が様子をみに訪ねてきた。また来るといって帰って行った。また、ホテルのお兄ちゃんが買い物に行ってくれた。

同室のペルー人の患者の所に、家族や知人が、お見舞いにきている。会話は、所々しか理解できないかった。奥さんのような女性が、お見舞いに来た人に、患者の背中のガーゼを剥がし傷口を見せていた。自分も一緒に覗き込むと、背中に、直径5mm程度の穴があいていた。会話の内容から察するに、テロリストに打たれたのだと理解した。
入院中
Hotel・50、
10/31
CUZCO
今日も手術の続き。治療は上下の歯に針金をとりつけ、口が開かないように固定するというものだった。もう、口をあけられない。当然食事は出来なくなり、水ものしかとれなくなった。話も出来ない。このまま45日待てと言われた。
今夜の食事はスープだけしか出なかった。夜打たれた注射は足がしびれるほど痛かった。
入院中
Hotel・50、
11/1 CUZCO 医者が様子を見に来た。朝はミルクだけ、昼はスープとゼリー、そして薬と痛ーい注射。
病院の裏口から、買い物に出かける途中、ドアの開いた部屋に、人が出入りしていたので、中を覗き込むと、そこは死体安置所で、黒い死体袋が並んでいた。クスコではここが唯一の大きな病院のようで、待合室は、得体の知れない奇病の患者などで溢れていた。自分を治療していたのは歯医者だった。明日退院していいと言われた。
入院中
Hotel・50、
11/2(日) CUZCO

朝から痛ーい注射。あまりの空腹と、タバコ欲しさに、病院の裏口から、外に出て牛乳とヨーグルトとタバコを買ってきた。病室は禁煙のようだったが、タバコを吸って、空腹と、痛みを紛らわした。

Hotel・50、
11/3 CUZCO

朝、痛い注射で起こされる。あごの傷口の抜糸をしてもらい、診察後、手術代金を直接医者に渡す。 350インテイだった。

Hotel・50
手術代金350
11/4 CUZCOクスコ 今日は退院する予定。泊まっているホテルのマネージャーが来てくれ、支払に行ってくれた。支払をするのにずいぶんまたされる。治療費は370インテイ

そこに、二人の日本人女性が訪ねて来てくれた。家族が連絡をしてくれたそうだ。手紙が無事とどいたようだ。二人は、クスコの金城旅行社でガイドをしている方だった。この病院の治療方法が信用できなかったので、首都のリマで再度治療を受けようと思っていることを話した。クスコに住んでいる日本人が、バイクを預かってくれると言われた。夜21時頃、バイクを預かってくれるという日本人の方が日系の奥さんと訪ねてきてくれた。この人もガイドをしているようで、主に旅のデザインルームからのツアー客のガイドだといっていた。
Hotel・50
治療費370
11/5 CUZCO リマに行く準備をした。航空券は750インテイ、ホテルの支払が650インテイ Hotel・50
11/6 CUZCO

バスは9時頃出発、ウルバンバ行きだった。ウルバンバで乗り換えオヤンタイタンボに到着。派出所には前にいた警官はいなかった。ヘルメットとカッパも預けてあったので、それらを受け取る。バイクは警官が130kmも乗り回し、転倒したようでレバーが曲がっていた。ガソリンも底をついていた。鍵を置いて行ったのが大失敗。そもそも、けがをした日に、なんで、バイクでクスコまで戻らなかったのか、考えると悔やんでも悔やみきれない。それぐらいの力は残っていた。
ガソリンを入れて、ノロノロと走りクスコへ戻った。雨がポツポツと降ってきた。一度ホテルにもどり、バイクを預かってくる方の家にバイクを持って行った。

Hotel・50
11/7 CUZCO バイクは日本人ガイドが紹介してくれた、クスコの日系人に預かってもらい、飛行機で、リマに行くことにした。クスコの金城旅行社は日系の会社で、沖縄からの移民が起こした会社だ。日本人のガイドが数人いた。その人たちにリマのペンション佐藤を教えてもらった。 Hotel・50
11/8 CUZCO 荷物は金城旅行社の日本人ガイドに預かってもらい、ディバックに入るものだけ持って行った。航空券US50ドル Hotel・50
11/9(日) Lima /リマ 飛行機でリマに、飛行場にはペンション佐藤の娘さんが迎えにきてくれていた。既に金城旅行社の方が電話してくれていたのだった。
ペンション佐藤はおばさんと、息子が切り盛りしていた。おばさんのご主人は既に他界していて、おばさん以外は片言の日本語しか話せなかった。娘さんは味の素に勤めているといっていた。一軒家の各部屋をペンションとして貸しているだけで、宿屋という所ではなかった。おばさんは、リマのセントロで時計屋を営んでいた。
一泊US$10
11/10 Lima ペンション佐藤のおばさんにつれられ、日系のオムラ医院にいった。
ペンション佐藤には、日本からペルーの大学に留学していた2人の日本人女性、旅行しにきた2人の日本人女性、日本人男性1人、肝炎の治療で、ペンションにいた、日本人女性とその彼氏。合計7人の日本人が滞在していたので、夕食時は賑やかだった。
ペンション・US$10
11/11 Lima ペンション佐藤のおばさんにつれられ、日秘会館のポリクリニカにレントゲンを撮りに行った ペンション・US$10
11/12 Lima ポリクリニカに写真をもらいに行ったら、下の歯についている金具がじゃまだったようで、撮り直しになった。事務をしていた、日系の女性が、歯医者をいろいろ当たってくれ、クリニカインターナショナルという、開業医のところに行くことになった。その女性に連れられて、夜8時から診察を受けた。クリニカインターナショナルで再度手術をすることになった。口が開かないよう固定される、治療はクスコで受けた物と変わらなかった。以後飲み物だけの生活が続く。口腔骨折の場合は、この治療が一般的らしい。

日系の女性が話してくれたこと。中流のペルー人の平均給料はUS100ドルぐらいで、最低でUS50ドルだと言っていた。日系二世の若い頃は、日本人学校があり、強制的に日本語を教わっていたそうだ。日本の文部省が教師をペールーに派遣していたという。だから、50代・60代の日系二世の人たちは、日本語の読み書きが出来ると言っていた。また、日系社会はとても複雑で、同郷の人たちは、大きな一つの家族のようなものだと言っていた。
ペンション・US$10
11/13 Lima

朝9時前に、クリニカインターナショナルに指定された医師のところで、再びレントゲンを撮った。これは180度回転するもので、歯科医師用。レントゲンが現像される五時過ぎまでミラフローレスという街でぶらぶらして待つことになった。ここは東京で言う銀座に相当するところらしい。治療はまた、夜の20時過ぎからだった。21時過ぎに終わり、ペンションに戻った。

こんなことなら、クスコにいて、そのまま、治療を続ければ良かった。失敗ばかりだ。もう疲れがピークなのかもしれない。思考が単調だ。ここでは、何事をするにも時間と忍耐が必要だった。一日に一つのことしか進まない。そして、これから、長い時間リマに滞在することになるとは想像もしていなかった。

ペンション・US$10
11/14 Lima オムラ医院とは、日系の開業医で、針治療などを行っていた。
空腹で眠れない日々が続く。
ペンション・US$10
11/15 Lima ペンションの屋上には、洗濯機があった。着ていた服は、汚れきっていて、ジーパンは、油や事故時の血などで、かなり臭かった。それらを久しぶりに全部選択した。 ペンション・US$10
11/16(日) Lima ペンションのおばさんが、スープを作ってくれたが、細かく刻んだ具が歯に引っかかって飲めなかった。 ペンション・US$10
11/17 Lima かろうじて、食べられたのは、ゼリーなどで、食べるというより吸い込んだ。 ペンション・US$10
11/18 Lima ペンション佐藤の娘さんと、日秘会館で待ち合わせをして、ペルーのツーリングクラブに連れて行ってもらった、ここは日本で言うJAFFだ。自分はまだ治療中だし、バイクはクスコにある。いったいいつまで滞在できるのか心配だったので、確認のためツーリングクラブに行くことにした。クラブの話ではカルネで入国した場合は、カルネの期限が切れるまで滞在可能。また、ペルーはカルネなしでも30日滞在できるとのことだった。パーツを日本から取り寄せるときの関税に着いても聞いた。まず事故証明が必要だと言われた。オヤンタイタンボの警察までまた行くことになる。また、日本大使館が保証人になってくれるのなら、税金はかからないとも言っていた。 ペンション・US$10
11/19 Lima 夜中、何度も空腹で目が覚める。とりあえず水を飲むが、そんなに飲めたもんじゃない。 ペンション・US$10
11/20〜 12/28
Limaリマのバス
11/20、オムラ医院。針治療をうけた。事故後からずーっと頭が重く時々頭痛がする。歯茎を骨折するぐらいの衝撃を受けたのだから、間違いなくむちうちだったと思う。
11/12、することも無く、ゴロゴロしている。一日することも無く、時間が過ぎるのを待つのは辛い。クスコはいよいよ雨期に入ったという。
11/24、クリニカインターナショナルにいく。毎回タクシーを利用しているので、金がもたない。バスを利用したいのだが、めちゃくちゃ混んでいるため、声を出せないと降りることも出来ない。
11/28、クリニカインターナショナル、やっとキブスがとれると思ったが、まだだった。それでも上下を止めているゴムバンドのかずが減ったので、なんとか物が食べられる。帰ってご飯とスバゲティを食べたら胸焼けで、苦しい。胃が消化しきれなくなっていたのだろう。
11/29、傷口は塞がったが、歯並びがひどい、ガタガタのまま固定されてしまったので、矯正治療でもしないと、もう直らないだろう。
12/1、レントゲン撮って、それをもってクリニカインターナショナルに、無事あごの付け根の骨も完治していた。
12/4、オムラ医院、リハビリ。あごの傷口は塞がったが、腱が切れたのか、筋肉が固まったのか、口がまっすぐ開かなくなっていた。それの治療のため、針治療を受けた。
12/26、ここは真夏だが、クリスマスはお祝いをする。 ペルーで31歳になった

オムラ医院で何度も針治療を受けた、その治療で口がまっすぐ開くようになったわけだ。それを考えると、リマに移動して、佐藤ペンションで世話になったことに意味があったのだと思う。
ペンション・
一日US$10
12/29 CUZCO /クスコ リマからクスコに移動(航空機)。いよいよ、バイクを取りに行くことにした。ついでにクスコ観光もすることにした。 飛行機でクスコに戻った。航空券US50ドル ホテルインペリオ・45
U$1=20インテイ
12/30 クスコ 留学生の一人が、ミッションスクールに通うとかで、一緒にクスコにいった。
その子が教えてくれたホテルインペリオは安くで、奇麗なホテルだった。前回泊まったホテルとはずいぶん違う。やはり、ちゃんとした情報が必要なのだ。
ホテル・45
12/31
CUZCO→アグアカリエンテ
→マチュピチュマチュピチュ
朝一番の列車に乗って、マチュピチュへ行く。列車でしか行けないことや、線路を歩いて隣町まで歩けばYHがあることが分かった。列車の中は日本人旅行者が多くクスコの日本時ガイドが全員乗っていた。今夜はアグアカリエンテのYHに泊まった。
マチュピチュまでの列車は谷の川に沿って走っていた。列車の駅から遺跡までは専用のバスで登る。
ホテル・45+45.2、
1987/1/1
マチュピチュ→CUZCO
マチュピチュ
今日も再びマチュピチュへ行く。電車でクスコに戻る。クスコの夜景を見ながら、この2ヶ月間のことが頭をよぎり、泣けてくる。なんて辛い旅なのだ。 ホテル インペリオ・45
1/2〜1/8 CUZCO
クスコ サクサイワワン
1/2、することもなく、クスコのホテルでゴロゴロしている。
1/3、サクサイワワンに行って見た。
1/4(日)、オヤンタイタンボツアー。事故の後治療してくれた診療所のある町だ。ここにも実は立派な遺跡があった。
1/5、バイクを預かってくれたのはヒロさんという方で、ペルー人の奥さんとその両親とで住んでいた。ヒロさんは留守でいなかった。 その後もクスコ観光などで過ごす。。
クスコ泊、
ホテル一日45インティ
1/9〜1/19 CUZCO 1/9、預けたバイクを受け取りいった。久し振りに見るバイクはもうポロボロ。
整備をしないと、まともに走れそうも無い。ホテルに戻りバイクのそうじ、フェンダーを直す。 その後も、バイクの整備、クスコ観光など。
クスコ泊
ホテル一日45
1/20 Abancay /アバンカイ 整備はしたが、ヘッドライトなし、ミラーなし、フロントフェンダーなしで出発することなった。16時頃アバンカイに到着、ここで一泊する。
クスコ→ナスカ間は680km
ホテル・60
1/21
Chalhancaから50km
アンデスの山中のSRX
来るときは10月。今は真夏でアンデスの山中でもかなり雨が降る。路面はバスが掘り返した泥でぐちゃぐちゃだった。タイヤが泥の固まりになって、そのまま、泥の上を滑って路肩の巨大アロエに激突して転倒。アロエは150cm以上の高さで、固い木と同じだ。もうひとりではバイク起こせそうもない。倒れバイクから荷物を一つずつ降ろし、それからバイクを起こした。3,000メートルを超える高地では、雨は冷たく、そのうち雪に変わって行った。バイクを動かし、荷物をもとに戻して、ふと、山肌を見ると、何人ものペルー人が山の斜面に立ったままへばりつき、雨宿りしていた。サイドバックはまた潰れ、チェンジペタルが曲がり、何もかもドロドロ。昼過ぎChalhancaに着く。ガソリンを入れ、コーラを飲んで出発。プキオまで行く。冷たくて手が凍りそうだ。17時ころまで走り、またキャンプする。道路は10月とはうって変わり、ぐちゃぐちゃだ。左腕が痛い、左ヒザもジーパンが破け、血がにじんでいた。寒いので、テントの中でコンロをつけっ放し。遠くからインディオが一人で歩いているのが見えた。呼び止めてタバコをすすめた。 キャンプ・0
1/22 Puqio /プキオアンデスの山中

朝起きるとすでに山の方は雪で真っ白だった。持って来たパンとコーヒーで食事。コーヒーは缶入りのインスタントを持ち歩いていた。悪路で距離が伸びない。道路はもうめちゃくちゃ。ドロドロの道をリマ・クスコ間を走る長距離バスがドロかき回して行く。もはや気力だけが頼りだ。プキオまで2時間かかってしまった。16時過ぎに到着、食事をして寝てしまう。またナスカまで160kmある。

ホテル・60
1/23 Nazca /ナスカ

10時頃出発。ドロの道が続く。ひたすに走るが、まだ60kmしか進んでいない。残り60kmぐらいあたりから、乾燥した道路になった。さらに3残り30kmあたりは道路工事をしていた。その砂利道で再びコケた。また、バックが潰れる。工事区間をすぎると道路が舗装されていた。このぶんだと何年か後には全線舗装になるのかもしれない。
15時過ぎ、予定より早くナスカに着いた。着いた途端、突然暑くなる。ホテルに入り、ともかく食事に行く。戻って荷物を降ろし、チェーンを張っている時、荷物を支えているフレーム最後の方が、両方とも折れているのに気付いた。ともかく680kmを無事走りきれてよかった。行きは2泊3日、帰りは3泊4日だった。

ホテル ナスカ・55
1/24 Lima /リマ ナスカを9時過ぎに出て、ひたすらリマを目指して走る。15時過ぎリマのペンション佐藤に戻った。手紙が何通か届いていた。Dokuさんから、荷物の受け取りも届いていた。日本のヤマハから、壊れてなくなったパーツを送ったとの手紙も届いていた。パーツは日本の家族が手配して、料金を払ってくれた。 ペンション佐藤・US$10
1/25(日) Lima 1日中洗濯 ペンション佐藤・US$10
1/26 Lima 荷物を取りに郵便局に。9時過ぎから15時過ぎまでたっぷりかかる。荷物が2つに別れ、荷物の価格が発送時の申告で100米ドルを超えていたため。関税がかかると言われ、全部で20米ドル払って、荷物を受け取った。 ペンション佐藤・US$10
1/27 Lima 日本からの送ってもらったバイクパーツを受け取りに、リマのヤマハの現地代理店にとりに行く。税金と手数料が271米ドルだった。ともかくパーツが手に入った。 ペンション佐藤・US$10
1/28 Lima バイク修理
リアショックの交換、ヘッドライトアッシーの交換、ミラー、スタンドのスプリング、ハンドル交換、グリップ、スピードメーターケーブル、プラグの交換、チェンジペダルの交換、午後から折れたフレームの溶接に行く、フレームはリアショックの少し後ろあたりが折れていた。近くの自動車工場で、ものの30分で終わり。
バイクの修理
ペンション佐藤・US$10
フレームの溶接
1/29〜 2/2 Lima リマでバイク修理など。 ペンション佐藤・US$10
■南米、CHILI
1987/2/3 Arica /アリカ
バイクをリマに置いて、飛行機で旅行、航空券US478ドル・周遊券 飛行機で旅行
ホテル・P800
U$1=P200
2/4〜2/16
チリ旅行Puerto Montt
2/4 Santiago、ホテル・P4502
/5 Punta Arenas、ホテル・P1235
2/6 Punta Arenas、ホテル・P1235
2/7 Puerto Montt、ホテル・P800
2/8(日) Puerto Montt、ホテル・P800
2/9 Puerto Montt、ホテル・P800
2/10 Santiago、ホテル エスパーナャ・P750
2/11 から2/15(日) 、Santiagoでイースター島ツアーのキャセル待ち、ホテル・P600x5=3000
2/15(日) Santiago、諦めて戻ることにした、ホテル・P600
2/16 Arica、P800
ホテル
1987/2/17、PERU
Tacana /タクナ
タクナ→リマ、バス泊(281インテイ・24時間)
24時間バスで走って、リマに戻った。
バスで移動
2/18〜 2/20、Lima /リマ リマ ペンション佐藤・US$30
2/21 〜3/1
Trujillo /トルヒーヨTrujillo
Huaraz
2/21Trujillo /トルヒーリョ、ホテル・P35
2/22(日) 、チャンチャン遺跡ツアー(250インテイ)、ホテル・P35
2/23トルヒーリョ、ホテル・P35
2/24トルヒーリョ、ホテル・P35
2/25 トルヒーリョ、ホテル・P35
2/26 トルヒーリョ→ワラス、バス泊
2/27 Huaraz /ワラス、ホテル・P50
2/28 ワラス、チャビンツアー、ホテル・P50
3/1(日) ワラス、ホテル・P50
バスで旅行
3/2〜3/12 リマ やっとリマに戻る ペンション佐藤US$110
3/13 Iquitos /イキトス ペルー国内旅行、飛行機で旅行 飛行機で旅行、ホテル・71
3/14 Iquitos ペルー国内旅行、アマゾンツアー・1200(航空券US100ドル) ホテル・71
3/15(日) Iquitos ペルー国内旅行、 ホテル・87
3/16〜3/20 Lima /リマ リマ、ペンション佐藤はいいところなんだけど10米ドルはやっばり高い。
3/19、オイル・オイルフィルターの交換
ペンション佐藤・US$10
南米・BOLIVIA
3/21 LA PAZ /ラパス
飛行機でボリビア旅行(リマ→ラパス往復・U$318) 飛行機で旅行
ホテル・$B6.5
U$1=2B$
3/22(日) LA PAZ 飛行機でボリビア旅行、風邪で体調が悪い ホテル・$B6.5
3/23 LA PAZ 飛行機でボリビア旅行、風邪で体調が悪い ホテル・$B6.5
3/24 LA PAZ 飛行機でボリビア旅行、風邪で体調が悪い ホテル・$B6.5
3/25 LA PAZ 飛行機でボリビア旅行、風邪で体調が悪い ホテル・$B6.5
3/26〜3/31 PERU・リマ ラパスから、飛行機でペルーに戻ってきた。 ペンション佐藤・US$10
4/1〜 4/30 PERU・リマ バイクの整備、チェーンの交換、スプロケットFの交換、折れたフレームの溶接。旅行保険の申告ための通院証明書などの必要な書類を集め、日本に送る。
不要なものを日本に送る。
ペルーでの走行1021kmはメーターケーブル切れのためカウントされず
ペンション佐藤
US$10×30日
5/1 リマ、 56,416km やっとバイク旅行を再開する。準備は終わった、後は、走り始めるだけだ。 ペンション佐藤・US$10
5/2 ナスカ、56,825km
パンアメリカンハイウェイとSRX
朝9時過ぎにいよいよ出発。10月10日にペルーに入国して、7ヶ月。パンアメリカンハイウェイをナスカを目指す。夕方4時頃、ナスカに到着、久し振りに走ったので、疲れた。ナスカはこれで三度目だ。

リマでの116日間は一体なんだったろう。
ホテルナスカ・70インテイ
5/3(日)
Arequipa /アレキバ
57,351km
9時に出発。ナスカを過ぎると、海岸側の砂漠の中のハイウェイを延々と走り続ける。舗装が悪く、距離が伸びない。夕方18時過ぎにアレキバに到着。ホテルを探し街の中を走り回り、手頃なところを見つける。今日は一日で500km以上走った。アレキバは山中の街なので、寒い。 Hotel Virrey・60インテイ
■南米、CHILE
5/4、Arica /アリカ
57,730km
9時に出発。パンアメリカンハイウェイをアリカを目指す。もうかなり寒く、長袖の下着を着た。タクナの手前で一度パスポートコントロールがある。ガス欠寸前だ。予備ガソリンを入れ、15時過ぎにタクナ着。急いでアリカに向かう。国境では、入出国用の用紙が必要だったが、持っていなかったので、周りにいた人からもらった。ペルーで5枚、チリで3枚使った。手続きに1時間ぐらい費やした。アリカに着いたのは18時前だった。前回来たところに泊まった。ペールーとの時差は+1時間。入国後必要な分のお金はアリカで両替をしておくべきだった。サンチャゴまでの小さな街は、両替の率が悪かった。

※ペルーでの滞在は185日間になっていた。こんなに居ると愛着もあり、再び来れることを祈った。
レジデンシア
Balkys・P1000
U$1=P200
5/5 Iquique /イキケ
58,042kmIquique
9時過ぎに出発。ルート5号を走る。アリカを出るとまた、砂漠が続く。風が強く、疲れる。イキケまでの間に2度パスポートコントロールがあった。山を下った海外沿いの街がイキケ。14時頃宿に入った。バイク屋を探しに街に出る。タイヤが欲しかったので、早めに宿に入ったがタイヤは無かった。また、バイクの調子が悪い、オイルがかなり減っている。 レジデンシア・P1020
5/6 Antfagasta
アントファガスタ
58,508km
8時過ぎに起きて、朝食。チリのレジデンシアという形態の宿は、どうも朝食が付くらしい。9時過ぎに出発。イキケを出ると、また砂漠が続く。ルート1号を走り、アントファガスタまではかなりの距離がある。途中で再び入国審査のようなものがある。アリカで作ってもらったライセンスにスタンプを押され、その後警察でドライバーライセンスを見せた。アントファガスタに16時過ぎに着いた。その間コーヒーを一杯飲んだだけ。手頃な宿を探したが見つからないので、ホテルに入った。荷物をおろしていると、日本人のおじさんが話しかけてきた。高岡さんという方で、トヨタの部品を売る店をやっていた。場所はホテルの真向かいだ。お店のとなりにレジデンシアがあるのでそっちに泊まれと言われたが、もうお金を払ってしまった後だった。高岡さんにタイヤを探していることを話すと、お店の店員、ハロルさんがバイク屋に連れて行ってくれたが、あうサイズがなかった。チリではほとんど125ccぐらいのものしか手に入らない。注文すると2日でサンチャゴから届くというので、たのむことにした。料金は10,000ペソ(US$50)ぐらいといっていた。
既にサンチャゴに行ったので、バイクでは行かない予定だったので、タイヤを入手したかった。
Hotel PLZA ・P3090
ガソリンは93オクタンカで1リットル92ペソぐらいだった。
5/7 Antfagasta 食事をして、荷物をまとめ、ホテルを変わった。高岡さんに呼ばれ、お見せに行くと、希望のサイズのタイヤはコンチネンタル製で20,000ペソだという。結局120/90-18で台湾製のタイヤをサンチャゴに住む高岡さんの息子さんが、高岡さんの店に送ってくれることになった。料金は10,800ペソ。今日は激しい下痢で辛い。ホテルは3,090ペソでここは550ペソだ。 レジデンシア・P550
オイル1リットルプラス
5/8 Antfagasta 夕方5時頃、タイヤが来たといわれ見に行く。タイヤを持ってバイク屋に。ところがバイク屋では交換できないという。エアーコンプレッサーがないのだった。他で組んでくれることになった。バイク屋でしばらく待っていると、タイヤのミミが出ないと言われる。見に行くと固すぎてミミが出ないのだ。結局、チューブを入れてもらい、なんとか終わった。お店の店員のハロルさんに、家に食事にこいと誘われ、おなかの調子が悪かったがごちそうになった。23時過ぎに宿まで送ってもらった。部屋には、旅行中の日本人の男の子が横になっていた。2時頃まで話し込んでしまった。 レジデンシア・P550
タイヤR交換
5/9 Antfagasta 昼頃起きる。食料を買いに行く。まだおなかの調子が悪い。夜は日本人2人で中華料理を食べに行った。1品500ペソくらいだった。 レジデンシア・P550
5/10(日) Antfagasta また、ハロルさんに誘われ、彼の家で、昼食をごちそうになった。食事はスープ、魚の煮た物にまだ芯のあるライスが添えてあった。ポテトには、ハロルさんが作ったマヨネーズが添えてあった。その他に人参の煮た物、赤い瓜の漬け物、タマネギのみじん切りを適当にみんながとって食べていた。帰る頃、彼の息子夫婦とこどもがやって来た。軽く挨拶をして、早めに帰ってきた。 レジデンシア・P550
5/11 Copiapo /コピアポ
59,046km
朝9時に銀行に行く、トラベラーズチェックを両替するのに、30分以上かかった。11時頃、高岡さんに挨拶をして、ルート5号をコピアポをめざして走った。とことどころ工事中で道が悪い。コピアポまで、サンドウィッチとコーヒー、バナナを2本食べただけで、18時過ぎに街に着いた。もう暗くなりかけていた。レジデンシアとかは見つけられず、また手頃なホテルに入った。そんなに高くないのに立派なホテルだった。たぶんチリで泊まったホテルで一番いいと思う。ホテルで中華料理屋を教わったのでいってみたが、見つからなかった。帰りにリンゴを買って帰ってくる。今夜はリンゴだけだ。サンチャゴの手前のロスアンデスはもう雪だと、ホテルのおじさんが言っていた。 レジデンシア・P1780
5/12 LA Serena
ラ・セレナ 59,383kmLA Serena
9時過ぎに出発。コピアポをでてすぐ砂漠。ガスが下りて寒い。ラ・セレナまで300km程度なのであまり走らないですみそうだ。疲れているのか、肩もこっている。14時前に着いた。ホテルを探して、また街の中を走り回ったが、手頃な宿が無い。隣町のコキンポまでいってみた。その途中のカフェテリアで食事。久し振りに肉を食べた。コキンポは何も無いところだったので、ラ・セレナまで戻り、やっと見つけたレジデンシアに入ったのが、16時を過ぎていた。静かできれいな街だった。どの街もレストランが少なく、セントロを歩き回ると、お店は沢山あるが、食事が出来そうなのはカフェテリア程度しかない。夜は、ホテルでサンドウィッチを食べた。このホテルはお湯のシャワーが使えた。 レジデンシア・P1000
5/13 Los Andes
ロス・アンデス 59,777→59,835km
朝起きて、銀行に行くが、どこも両替できなかった。結局銀行の中にいた、トヨタの部品を売っている店のだんなに両替したてもらった。US$1=205ペソだった。10時過ぎに出発、寒く、曇っていた。ルート5号を進み、Los Vilosで食事をした。スープと魚を食べて、550ペソだった。この辺りは海に近く、風が強くて寒い。ルート5からルート60に入り、ロスアンデスに付いたのは、5時頃だった。ロスアンデスからアコンカグアやアンデスの山々が見える、実に美しい。目の前に大きな壁が立ちはだかっている。ホテルに入り、街をぶらつく。ホテルで両替が可能で US$1=218ペソだった。既に冬、紅葉も終わり落ち葉で一杯だ。

チリはパスホートコントロールが多く、街に入る前に必ずある。軍事政権下で街に活気がなく、静かだ。お店は昼から夕方5時頃までお休み。道路はほとんどが砂漠の中だった。自分に聞こえてくるのはビュービューと風の音、それとシュルシュルとかすかに聞こえるエンジン音だけた。強い風にあおられ、ハンドルに力が入る。16時から17時半まで、お店が閉まってしまい何もする事が無い。街から街までの距離が長く、その途中に人が住んでいるところがない。
プラザホテル・P1800
■南米、ARGENTINA
5/14 Mendoza
メンドーサ 60,021km
9時過ぎ出発。ルート60を国境に向かって、どんどん山を登って行く。周りは雪があり、寒い。来るのが遅かったら、国境は越えられなかったかもしれない。チリの出国時にバイクは200ペソとられた。なぜ??。チリの国境を越えると長い長いトンネルがある。トンネルを出て数キロ行くとアルゼンチンの国境税関がある。難なく国境を越えた。メンドーサまでは150kmぐらいだ、のんびりと走る。

メンドーサに14時過ぎに着いた。両替所を見つけたが、まだやっていなかった。バイクをとめたら、おっさん達が集まってきた。そんなに珍しいのか。レジデンシアを何件かまわったが全部断られた。ホテルを教えてもらい、そこにいった。ホテルは14アウストラル(A14)だったが、高く、しかも持ち合わせがなかったので、両替してから払うことにした。場所を聞いて出かけた。両替所の周りには、たちんぼがいる。持っていた残りの3000ペソはA27,3になった。US$100=A200(アウストラル)。カフェで食事をする。外を見るとバイクの周りはまた、おっさん達が囲んでいる。メンドーサにはホンダの750がゴロゴロしている。街は広く、活気がある。商店がづらーっと続いている、拳銃がA60からA80程度で買える。見ていると欲しくなってしまう。18時過ぎにホテルに戻る。アルゼンチンは物価が高く、コーラなどはペルーの2倍だった。食事に出かけるが、レストランとかが見つけられず、Pizarioなるところに入ったら、どこでもステーキが食べられるようで、注文した。サラダとコーラとステーキでA7.0(US$3.5)だった。ビュフェ・デ・ロモという。肉はおいしくて、しかも大きくて厚さが2cmぐらだった。チリとは+1時間の時差ががあった。アルゼンチンの食事は肉で決まりだろう。
ホテル
ビーニャデマル・A14
U$1=1.5〜2A
5/15 Laboulaye
ラボウライェ 60,551km

10時過ぎに出発。ルート7をメルセデスを目指す。走り始めると、今度はずっーつとぶどう畑が続く。そしてそのうち大平原になる。それは、全て牧場だった。遠くに牛がちらほら見えた。昼を食べにレストランにはいった。今日はビュフェ・デ・チョリーソを食べてみたが、結局ステーキだった。ステーキとサラダ、コーラ、紅茶でA7.8だった。メルセデスには16時過ぎに着いた。手頃なホテルがなく、レジデンシアにいったらまた断られた。しょうがなく先の街に行くことにした。ラボウエイェまで150kmある。小さな街だったが、無事レジデンシアに入ることが出来た。既に19時をまわっていた。すぐ食事にでた、今夜はピザ屋に入った。A4.0とかかれていたので、心配したが、的中。でかい。食べきれなかった。アルゼンチンはどの街もとてもきれいだ。レジデンシアとかは、外国人お断りなのだろうか?

プレジデンテ・A12
5/16 Buenos Aires
ブエノスアイレス 61,037kmBuenos Aires

10時過ぎに出発。ルート7号をブエノスアイレスを目指す。かなり距離がある、まわりは延々と牧場が続く。ブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれ、大都会だ。近づくにつれ街がいくつもあり、道路が混んできた。道に迷ったが、なんとか、ブエノスアイレスに入る高速道路の様なものに乗った。さすがに速い車にどんどん追い越されて行く。料金はA2だった。街のセントロに着き、調べておいたホテルに言ってみたが、バイクはだめだと断られてしまった。他のホテルを探し、広ーいブエノスアイレスをさまよう。やっとホテルに入ったのが、21時前だった。ともかく食事に行く。

Hotel Palace Solis=Solis 352 / 56 Barrio: Monserrat Buenos Aires

Hotel Palace Solis・A24
ガソリン/スーパーで
1リットル=0,815
5/17(日) Buenos Aires
Buenos Aires
10時過ぎに起きて、観光に出かける。さすが南米のバリと呼ばれる街だ。歩き疲れるまで見て回ったが、日曜日なので閉まってる店が多かった。 Hotel Palace Solis・A24
5/18 Buenos Aires
61,328kmBuenos Aires
11時過ぎに起きて、日本大使館に言ってみた。両替しようとしたが、トラベラーズチェックは扱ってくれないところが多く、教えてもらったところに行った。しかし、率が悪い。街には面白そうな店が沢山あり、見ているときりがない。今日も一日中歩き回り、もうへとへとだ。

朝、街を出発、そしてひたすら走り、夕方、街に着き宿探し。見つかるとすぐ食事に行く。毎日移動すると、このくり返しだ。1日に走る距離が長過ぎるのかもしれない。急ぐ旅でもないのだから、1日150キロ程度で、早めに街に着いて観光をすべきなのだろうか。
Hotel Palace Solis・A24
■南米、URUGAY
5/19 Mercedes
メルセデス 61,336km
朝8時半に、ホテル代を払って出発。もうお金がA6しか残っていない。しょうがなく10ドルだけ両替したが、率が悪い。またしても、道に迷い、ブエノスアイレスを抜けれたのが11時を過ぎていた。すぐ、ガソリンをいれ、食事をする。小雨が降ってきた。国境に着いたのは15時。国境を越えて、ウルグアイに入ったのだが、パスパートにスタンプを押されなかった。100ドルと残ったアウストラルを両替。メルセデスのホテルにチェックインしたのは16時だった。ともかく食事に出かけるがレストランがない、街を歩き回りやっとサンドイッチを食べる。

ホテルに戻り、休んでいると人が訪ねてきた。メルセデスの新聞社の記者だった。驚く事に取材に来たようだった。片言のスペイン語が通じただろうか。まあ、記者が勝手に創作してくれるだろう。(本文
Hotel・N$800
ウルグアイの
ガソリンは1L=134T
U$1=N$215
5/20 Montevideo
モンテビデオ 61,660km
Montevideo

朝起きて、新聞を買う。ちゃんと記事が載っていた。街を出てしばらく走り食事。風か強く寒い。モンテビデオに着いたのは14時過ぎ。街を走り回るが手頃なホテルが見つからない。ホテルはいろいろ沢山あるのだが、問題はバイクを置けるところがなかった。大都市だからしょうがいのか。結局手頃なペンションに入ったのは18時を過ぎていた。そこも駐車場はなかったが、有料の駐車場にバイクを置けた。1日N$400だった。そして、ペンションの下の中華料理店に食事に行った、高かった。どうやらペンションもこの中華料理店がやっているようだった。メニューには日本が書かれていた。

Hotel Trinidad・N$1500
+駐車上N$400
オイル1リットルプラス
5/21 Montevideo
62,062km
Montevideo

ブラジル大使館に。ブラジルのビザをとるのに一日にかかった。料金はN$2300
飛行機のチケットをここで買った方が安いのでは思い、代理店で確認したら、ブラジルだと1700米ドル、ここだと1200米ドルだと行っていた。他の代理店だと1051米ドルだと言われた。バイクの運搬のため、船会社にも行ってみた。船会社は船で荷物を運ぶだけで、必要なことは代理店でやってほしいと言われた。ブラジルに電話で見積をもらおうと電話局に行くと、1時待ちだと言われ、諦めた。
※モンテビデオのアメリカンエクスプレスで、TCを米ドルの現金に手数料なしで両替できた。バイクを送るために必要な米ドルを確保した。

Hotel Trinidad・N$1500
5/22 MontevideoMontevideo 電話局に行くと待ち時間が長いので、セントロのテレフォネアールとかいうところに行ってみた。ブラジルの日系のウニベルツアーに電話をする。航空チケットは1054米ドルだった。ただし、税金が高く、ブラジルで買うと1318米ドルで、ウルグアイだと1091米ドルで買えた。ともかくブラジルに行くことにした。 Hotel Trinidad・N$1500
5/23 Montevideo
62,060→61670kmMontevideo
モンテビデオは、昼と夜は19時以降しかレストランが開かない。ただセントロのお店は昼休みもなく営業していた。 Hotel Trinidad・N$1500、
■南米、BRASIL
5/24(日) Jaguarao
ジャグアラン
朝9時過ぎに出発、ルート1を行く予定だったが、ルート8に入ってしまった。構わずそのまま進む。寒くて、ところどころ雨が降っていた。国境を難なく素通りして、ブラジルに入ってしまった。まずいとおもしい、ウルグアイ側に戻る。ブラジルの国境では最初に街の警察に行き、パスポートにスタンプをもらって、また国境に戻り、バイクの手続きをする。カルネはいらないとか行っていたが、後でもめると困るので、スタンプをもらった。今日は国境の町で泊まる。日曜なので、街はひっそりとしていた。夜は停電で何もできなかったので、外で夜空を眺めていた。今までみた事がないような星の数、星雲まで見える。やっとブラジルまで来た。 Hotel CR$200
U$1=CR$36〜43
5/25 Porto Algre
ポルト・アレグレ 62,422km

ポルトアレグレまで約300km、寒い。昼にガソリンスタンドのレストランで食事をする。コーヒーと定食でCR$79。中ぐらいの皿が8品とスープが並んだ。16時過ぎに街に着いた。不思議なところだった。街の中心が丘になっていた。高そうだが、駐車場のあるホテルに入った。1米ドルがCR$36、ガソリンは1リットルCR$19。

Hotel CR$780

5/26 Lages
ラジェス 62,783km

ポルトアレグレからは小さな街が続き、そし山道になる。夕方近くLagesに着いた、街の中は石畳みで走りにくい。ホテルに入り、食事に出るが、レストランが見当たらないので、カフェテリアで食事。風邪もよくならない。 Hotel CR$150
5/27 Curitiba
クリティバ 63,178km
ホテルで朝食、どうやら料金に朝食が含まれているようだった。検問の手前で黄色の線を超えてトラックを追い越そうとして、ポリスに捕まった。何か言われているが、意味がわからない、たまたま通りかかった車から、日本人が降りて来た。その人が何か話をしてくれ、解放された。ひの人と昼を一緒に食べることになった。Porto Algreに住んでいて、Lagesのそばで、にんにくを作っていると言っていた。食事をご馳走になり、走り始めまた、数人のバイクのポリスに捕まる。乗っているのはあのアマゾネスだった。記念写真をとって、出発。Curitibaは大きな街で、広くて何が何だかわからなかった。なんとバスターミナルのそばの小さなホテルに入った。バイクはかなり不調。フロントのベアリングが壊れているのか、ふらつき、ガタガタと異音がする。明日はいよいよサンパウロだ。 Hotel CR$200
5/28 Sao Paulo、
サンパウロ 63,550km

朝出発、サンパウロまで後100kmぐらいのとこで、大渋滞。10km走るのに1時間以上かかた。トラックが事故を起こしていた。16時過ぎにサンパウロに到着、リベルターデに出たので、ガルボンブエノを探すがわからない。日本人らしき人に聞いて到着、すぐにウニベルツールに行く。航空券のことや、バイクの運送のことなどを聞いた。ホテルも紹介してもらったが、駐車場がなく、ウニベルツールの前のホテルに入った。この辺りはどこでも日本語通じる。このホテルは中国人がやっていたので客は中国人が多かった。

ホテルバンリ CR$720
5/29 Sao Paulo 両替をして、日本領事館に行き、パスポートのビザ欄を増やしてもらった。バイクの洗車に行く。 ホテルバンリ CR$720
5/30 Sao Paulo 日本時がやっている、安宿、山中ペンションに行き、挨拶してくる。 ホテルバンリ CR$720
5/31(日) Sao Paulo 今日はサンパウロ観光 ホテルバンリ CR$720
6/1 Sao Paulo ヤマハに電話したが、かかってこなかったので、訪ねて行くことにした。ヤマハに着いたのは昼頃、小林さんという日系一世の方が対応してくれた。14時ころ、修理の方がみてくれた。タイヤを外し、オイルシールを外して、びっくり。ベアリングの玉が飛び出して来た。待っていたら、ベアリングは加工しないとはいらので、今日は無理だと言われ、置いて帰ることにした。ヤマハから通勤用のバスが出ていて、それでセントロまで帰った。地理がよくわからなかったが、歩き回っているうちにガルボンブエノに戻れた。

オイルの交換、フロントホイルのベアリングの交換、ボールレースの交換、フェンダーの交換、プラグの交換
ホテルバンリ CR$720
フロントホイルベアリング
ボールレースの交換
フェンダーの交換
プラグの交換
6/2 Sao Paulo 今日もヤマハに行く、15時頃まで待って、修理の終わったバイクを受け取る。 ホテルバンリ CR$720
6/3 Sao Paulo 今日は代理店、ウニベル西濃にバイクを持ち込む。ポルトガルへの船便での梱包・通関などを依頼。荷物をましめ、山中ペンションに移動する。
夕方から高熱で寝込む。
山中ペンション CR$75
6/4 Sao Paulo 起きれれないほど体調が悪い。高熱で寝込む。
おそらく3日熱マラリアを発症したと思われる、高熱で骨の髄か寒い、こんな感じは初めてだ。安宿の、薄暗く汚いベットの中で死ぬのかと思った。
山中ペンション CR$75
6/5 Sao Paulo まだ体調が悪い、ウニベル西濃で荷物の梱包を確認し、戻ってくる。 山中ペンション CR$75
6/6 Sao Paulo ペンションで休養 山中ペンション CR$75
6/7(日) Sao Paulo ペンションで休養 山中ペンション CR$75
6/8 Sao Paulo ペンションで休養 山中ペンション CR$75
6/9 Sao Paulo ペンションで休養 山中ペンション CR$75
6/10 Sao Paulo

朝8時半にペンションを出て、ウニベル西濃にいく。船は14〜15日頃出航するらしい。まだカルネが手元に戻ってこない。船賃は350米ドルでポルトガルで払うことになった。手数料は300米ドルだった。カルネはブラジルに置いたままで、11時に飛行場に、ブラジル発PM2:00の飛行機だ。面倒な手続きはウニベルツアーの方がやってくれた。

1986年9月7日に南米に入り、1987年6月10日南米を出国。コロンビア29日、エクアドル6日、ペルー188日、ボリビア5日、チリ24日、アルゼンチン6日、ウルグアイ6日、ブラジル18日の旅が終了。

航空券U$1215ドル、船賃U$317.18ドル+梱包・手数料U$383.70ドル

63,631km
ここまで56,571km走った

TOP↑・INDEX