WORLD TOURING 1986/3.3〜1988/9.22の全日程
※ 旅行中にノートに書き込んだ記録をデータにしました。(随時加筆中)
MEXICO↓、Guatemala↓、COLMBIA↓、ECUADOR↓、PERU↓、CHILI↓、ARGENTINA↓、URUGAY↓、BRASIL↓
1986/2/25
日本からのバイクの発送
横浜市中区新山下3丁目/石川組
書類上では、340kg / 2,580立方メートル
フロントタイヤなどを外し、なるべくコンパクトに梱包するのがベスト。
梱包・通関など全て石川組に委託。
出発時のメーターは7,060km、国内でならしをして、なれるまで乗った。

※ 運送会社は電話帳で調べ、価格や、個人で荷物を送れるかを一軒一軒問い合わせた。
通関料/3,700円
検査料/3,000円
梱包料/33,600円
取扱手数料15,000円
運賃/58,777円
合計 114,077円
3/3出発
東京→Vancouver・Canada

北アメリカ
図
東京からバンクーバーに到着、格安航空券は、トロント行きだった。バンクーバーで、降りるのを忘れて、トロントまでいってしまうところだった。
空港からは市バスでダウンタウンのYMCAに行った。荷物が重かった。側にいたカナダ人が、バス乗り場を教えてくれた。運転手にも、ダウンタウンで降りたいと伝えた。
地図どおりYMCAに到着。シングルルームだったが、トイレと、シャワーは共同だった。フロントのお兄ちゃんが何を言ってるのかよくわからなかったが、ともかく部屋に入った。
後で考えると、ラバトリーがなんたらと言っていた。トイレ・洗面所をラバトリーというのであった。
カナダまでの航空券
合計 127,000円
YMCA泊・C$20
3/4
Vancouver
カナダ

朝食は、YMCAの一階のカフェテラスで食べた。目玉焼きと、パンとコーヒーでC$2.75、約380円だった。

バイクの到着待ち
YMCA泊・C$20
3/5
Vancouver
カナダ
バイクの到着待ち。する事も無く、街を観光。 YMCA泊・C$20
3/6
Vancouver
カナダ
バイクの到着、船会社の(シーランドサービス)中の倉庫に税関があった。税関員は一人だった。カルネもあったので、簡単に通関できるかと思ったら、何と通関に失敗。バーンクーバーの税関でカルネが通用しなかった。どうも、カルネに書かれているフランス語が理解できないといっているようである。シーランドサービスには日本語を話せるベティーさんという女性が働いていて、税関のおじさんの話を通訳してくれた。係のおじさんは、ダウンタウンのオフィスに行けと手紙を書いてくれた。

ダウンタウンのオフィスに行くと、言葉が通じないため、係員が日本語の話せる人を捜し、結局日本領事館に連絡したようだ。日本領事館から青木さんという方が来てくれ、自体の収集を計ってくれた。結局デポジット(保証金)を払い通関。払ったお金は、カナダを出国したら返却されることになっていた。
YMCA泊・C$20
3/7
Vancouver
カナダ
地下鉄に乗って、シーランドサービスのオフィスに行く。税関のおじさんが心配そうに待っていた。書類を見せると安心したようで、通関手数料の42.42ドルを支払った。バイクは倉庫の前にあり、箱は完全な木箱で、かなり大きかった。倉庫のフォークリフトの運転手が手伝ってくれ、箱をあけ、やっとバイクと対面。

バンクーバーでは北アメリカの車両保険、カナダナンバーが必要だった。国際ナンバーってなんなんだ。ここでは何の役にも立たない。日本でいう陸運局=モータービークルに行き、ナンバーをもらうことになった。モータービークルまでバイクを運ぶためには、最初に仮ナンバーが必要だった。トニーさんという船会社の人が近くのモータービークルまで連れて行ってくれた。23ドル払って仮ナンバーをとった。さらにトニーさんは日系人が働いている、モータービークルを探してくれた。マクドナルドストリートのモータービークルに日本語を話せる人がいるからと教えられた。
いよいよ出発。オドメーターは7,060km。途中ガソリンを入れる。5ドルだった。
マクドナルドストリートのモータービークルで働いているミエコさんという女性を訪ねた。ミエコさんはかなりの年配の女性で、日本語も片言だったが、カナダナンバーと保険をもらえた。保険付で244ドル。 結局、国際ナンバーもカルネも使えなかった。この日系の女性に会えたおかげで、税関でバイクにかけられた税金が、不要になった。カルネを持っているのだから当然無税なのだが、バンクーバーではカルネについての知識がなかったのだろう。

手続きが終わったので、日本領事館の青木さんに電話、お礼をして一緒に食事をした。夕方バイクでスタンレーパークを越え、ライオンズゲートブリッジを渡り、ノースバンクーバーから、ダウンタウンを眺める。反対側から見るバンクーバーはとてもきれいだ。
デポジットは200ドル
通関手数料42.42ドル
仮ナンバー23ドル
保険付カナダナンバー244ドル
合計 509.42 カナダドル

YMCA泊・C$20
3/8
Vancouver
カナダ
しょっぱなから、こんな感じで旅がスタートした。街を走っているうちに少しずつ、右側通行になれてきた。 ルート99
YMCA泊・C$20
オイル2リットル/3.58C$
3/9 日
Vancouver
カナダ
朝起きて、マクドナルド朝食を食べに行く。マフィンとスクランブルエッグで0.99ドルと安い。街は日曜日なので完全にお休み。開いているのは、レストランやドラッグストアーなどか。

※バイクを受け取るために、7万円ぐらいかかったことになる。バイクは、バンクーバーではなく、ロサンゼルスに送った方が良かったのかもしれない。いや、そうすべきだった。

ロサンゼルスでは簡単に通関でき、国際ナンバーもそのまま使えたと、イタリアで出会ったNさんが行っていた。。
YMCA泊・C$20
ワイヤーロック/6.4C$
3/10
Olympia / アメリカ
7,250〜7,600km

いよいよ出発。雨の中、ルート99を走り始める。アメリカとの国境まではあっという間だった。

アメリカ入国時に、アメリカで仕事をしないか厳しくチェックされる。所持金を全て提示し、英文の旅行計画書をみせてやっと入国できた。車自体は特に問題なし。アメリカに入るとルート5号になる。シアトルを通り、ポートランドを目指す。ハイウェイは3車線で、平均時速100kmぐらいで車が淡々と走っている。ハイウェイでは止まれるところが無く、ガソリンスタンドやレストランは一度ハイウェイから降りる。キャンプ場のサインを見つけ、入って行ったのがKow。キャンプとロッジがあり、ロッジに泊った。
コーヒーは一杯45セントぐらい、タバコはマルボロで1.35ドルだった。

これからずっと、こんな風に、YH以外は、行き当たりばったりで宿を決める旅となった。

今は多くの日本人旅行者が持ってるガイドブック「地球の歩き方」も、北アメリカ、ヨーロッパ、インドぐらいしか、発行されていなかったので中南米、アフリカ、中近東などは、ろくな情報を持っていなかった。

ルート5
Kow・US$19.35
3/11
Astoria / アメリカ
7,827.9km

ルート5号を走り、 また雨が降りばじめた、昼頃ポートランドに着いた。シアトルよりややきれいだが、やはり古い街だ。街を周り、さらに先に進む。Astoriaを過ぎたあたりから雨が激しくなって来た。Seasideの街のスーパーの軒先で雨宿り。Canon Beach辺りで、雨あしが強く、かなり寒くなって来たので、ここら辺りで泊まることにした。既に4時をまわっていた。時期外れのモーテルには自分一人しかいなかった。部屋にヒーターがあったので、ブーツやグローブなど濡れたものを乾かす。

※この時期の西海岸沿いは雨が多い。ハイウェイは野ざらしで風が強く、そして寒い。長い時間は走れそうにないので、ハイウェイをさけて、一般道を走ることにした。

バンクーバーからNo99〜USA,No5〜シアトル〜No5〜ポートランド〜No30〜Astoria〜No101〜Canon Beach

Portlandから
ルート30
Astoriaからルート101
Canon Beach モーテル(雨)・$27.35
3/12
NewPort / アメリカ
8,219km

今日も雨の中を走り始める。ルート101を100kmぐらい走ったころ雨が上がった。ニューポートの手前辺りでパトカーに止められ、ヘッドライトを点灯して走るようにと注意された。アメリカでは既にバイクはライト点灯が義務だった。

WaldPortを過ぎYachatsのスーパーで買い物をした。街の手前でキャンプすることにした。今日は、マクドナルドの駐車場でバイクを倒してしまった。

ルート101

Beachsideキャンプ・$0、管理人がいない公営のキャンプ場、 多分時期外れだったからなのか…

3/13
Eureka / アメリカ
8.680km
今日も雨の中を走り始める。海岸沿いはとてもきれいだが、寒い。昼に名前も分からない街でハンバーガーを食べに入った。デブの姉ちゃんの英語がさっぱり聞き取れない。食べていると若い兄ちゃんが入って来た。ジーンズをだらしなく下げて履き、Tシャツにジャンパー、そして野球帽、いかにもアメリカである。映画に出て来る悪ガキって感じ。

カルフォルニアに入る前に、ゲートがあり、係官にフルーツなどは持っていないか質問された。しばらく走ると杉の大木が茂る国立公園のような所を走り抜ける。ルート101は、カルフォルニアからフリーウェイとなった。Redwood Hwy
Kow キャンプ場・$11
民営のキャンプ場
オイル1リットル/1.88$
3/14
Petaluma / アメリカ
9.060km
朝は8時におきて食事をして、荷物をまとめて出発。今日は天気がいい。サンフランシスコを目指して走る。

このところ1日一食はマクドナルドを食べている。安いし、どこにでもある。夕方手頃なキャンプ場を探すが見つからない、しょうがなくPetalumaのKowに入った。今日も約400km走ったが5時過ぎにはキャンプ場に入れた。まだ3月だ、夜はさすがに寒い。

※アメリカでは、物を買うと7-10パーセントの税金がかかる。(つまり消費税)。有料のキャンプ場はどこもきれいで、お湯がでるシャワーがある。今日泊まったところはプールもあり、ホットダブもある。
North Petaluma
Kow キャンプ場・$14.50
3/15
San Francisco / アメリカ
9,175km
昨夜の雨で、ジャンパーが濡れてしまった。乾燥機で乾かして、荷物をまとめて出発する。ルート101をサンフランシスコを目指す。ゴールデンゲートブリッジが見えて来た辺りから激しい雨となる。街に入りぐると廻ってみたが、雨が激しく、安宿を探せない。適当なモーテルに入ることにした。高かったがしょうがない。濡れた洋服を脱いで、晴れるのをまって、フィシャーマンズパークに行ってみた。観光客でいっぱいだった。サンフランシスコは坂が多いので有名だが、その勾配が半端じゃない。荷物を置いて、チャイナタウン、日本人街などを走りどこかで何かを食べようと思っていたが、また雨が降り出してきたので、モーテルに戻る。屋台のホットドックを食べておしまい。

ガソリンは1ガロン(3.78リットル)1ドル程度(リッター50〜60円)
ゴールデンゲートブリッジは有料で2ドルだった
ルート101
モーテル(雨)・$51.58
3/16 日
San Francisco / アメリカ

9,306km
今日はYHに泊まる予定なので、最初にYHの場所を探し、街の観光に出る。4時頃YHに戻り、チェックイン。食事を買いに出かける。ここのYHは、居心地が悪かったが、安くて、きれいなところだったが、観光地で多くのバックパッカーがここを目指してやってくる。
YHは外国人だけが利用している分けではなく、多くのアメリカ人パックパッカーも集まって来る。まともに、言葉も通じない旅行者相手で、従業員はかなりイラついていた。
ルート1
YH・$8.0
WD40/1.97$
3/17
Jolon / アメリカ
9,719km
出発。BAYブリッジを通り、バークレーに行ってみた。ぐるりとバークレイ校の周りを走り、オークランドに、オークランドからサンジョゼへ、サンタクレラ辺りで、道に迷い1時間ぐらい迷走。そしてサンタクルーズに到着。サンタクルーズでまた道に迷う。
ルート1を走りMontereyに、モントレーのフィッシャーマンズワークで休み、ルート1をずっと南下する予定だったが、途中崖崩れで通れない。引き返し、途中から山道を行く、これがまたすごい所で、よくもまあこんな所に道をつくったなといった感じ。穂高から高山に抜ける街道に似ていた。

たまたまあったキャンプ場でキャンプ。キャンプ場は谷間の小川のそばて、誰もいなかった。水も持っていなかったので、小川の水を飲むことにした。夜おそく車が見回りに来たが何事も無く去って行った。夜中、遠くで雷が鳴り響いていたが、この音が雷でなかったことを翌日理解した。(たぶんPonderosa Campgroundだと思う)
キャンプ場・$0
時期バズレで誰もいない。

オイル交換、2リットル2.52$
フィルターの交換
3/18
Point Mugu State Park / アメリカ
/10,182km
走り始めて、山を抜けると、広い草原が広がっていた。牛や馬が放し飼いにされている。その草原の中に米軍のキャンプ場があり、何台もの装甲車やジープとすれ違った。このあたりは米軍の演習場の近くだったようで、夜中の雷は砲弾の音だった。つまり演習の音。

草原を抜けルート101に戻るとまたハイウェイだ。今日は天気がよくSan Luis辺りはもう夏のようだ。ガソリンを入れて、ロサンゼルスを目指す。Oxnand(オックスナード)からルート1に入り、今日はここでキャンプ。キャンプ場には数人いる、有料で8ドルらしいが朝にならないと分からない。

スーパーに買い物に行き肉を買う200gのステーキ用牛肉がたったの2ドル。キャンプ場は海岸と反対側の山の奥まったところ。防寒用のつなぎもかなり汚れてきた、どこかで洗濯したい。

キャンプでは、コンロ、コッヘルが必須、夜は真っ暗なのでライトも必要。
ルート101→ルート1
ガソリンは1リットル
50-60円ぐらい

キャンプ場・$0
3/19
Los Angeles / アメリカ
10,367km
昼頃、サンタモニカに到着、YHを探し見つけたが、7月からと言われる。HarborcityのYHに行くことにした。2時頃到着したが、オープンは4時なので、それまでまつように言われる。デニーズに食事に行くことにした。YHで冬物を全部洗濯することにした。

YHは街外れなので、バイクや車、またはバスを利用しないと、来れない。そのためか、日本人は、自分一人だった。日本人旅行者は、バスを乗り継いでまでYHに泊まりにこないのだろう。リトル東京辺りに泊まった方が面白そうだ。
YH(ユースホステル)・$6.15
3/20
Los Angeles / アメリカ
10,600km
ダウンタウン・リトル東京へ

LAのダウンタウンは真ん中に高層ビル街、その周りがスラム化していた。ドーナッツの様な感じで、高速道路は郊外から、ダウンタウンの真ん中に直接アクセスでき、スラム街をバイパスするように出来ていた。リトル東京で食事をする。住所をたよりにYAMAHAの拠点となる北米ヤマハを探したがたどり着けなかった。また道に迷い迷走。ロサンゼルスの街の中だけで200km近く走ってしまった。
YH・$6.15
3/21
Los Angeles / アメリカ
10,770km

北米ヤマハに挨拶に行く

今日も道に迷ったが、YAMAHAにたどり着いた。広い敷地に2階建ての建物が広かっていた。向かい側がナショナル、三菱自動車に三菱電機。大きな看板などは無い。8月頃再び戻ってきて整備をしたいことと、パーツが欲しいことをお願いした。この辺りは日本企業が多数進出しているため日本人も多く住んでいるようだった。地名はオレンジ群だったか??

YH・$6.15
チェーン/$36.16
3/22
ユマ / アメリカ
11.350km

朝9時にYHを出発。ルート1をサンディエゴを目指す。サンディエゴはリゾート地かと思っていたが、街の裏側はスラム化していた。アメリカでは高台に高級住宅があり、低い土地はスラム。スラムのバーの周りに朝から黒人やメキシコ人がたむろしていた。

サンディエゴを出てしばらく行くと山が見えてくる、山と行っても高くはなくすべて岩で出来ている。その岩山にかなりの大きさの石がゴロゴロしている。山の上で誰かが砂利を積み上げたかの様に山全体が石で覆われていた。そにな山が50kmぐらい続き、そして砂漠にでる。砂の砂漠ではなくブッシュが生えていた。づっとづっとハイウェイは一直線で、ただただアクセルを握り続けた。100km以上走るとやっと砂の砂漠になった。そしてやっとユマに着いた。宿を探して走り回っているとき、標識を見逃し車にぶつかりそうになり急ブレーキ、そして転倒、ハンドルにダメージ、少し曲がってしまった。
バイク屋を探して入って行ったら、日本語か通じた。岩国にいた元海兵隊だという。5年間日本にいて、2年前に戻ったという。岩国ではバイク屋でバイトをしていて、レースもやっていたそうだ。ハンドルのことを話したら、パーツが入荷するまで最低一週間はかかると言われ、修正してくれた。

店が終わったら飲みに行こうと誘ってくれたので、飲めないが行ってみることにした。一緒に行ったバーの入り口にはポリスがいた。IDをチェックしていた。中に入ると丸テーブが並んでいて、生バンドが演奏していた。さらに奥に扉があり、その部屋に入るとまさにアメリカのバーといった感じのところだった。カウンターの向こうには女性のウェーターが一人、部屋の隅にはポリスが一人、カウンターの後ろにはビリヤード台が3台。ゲームマシーンが数台。ジュークボックスがあり、ビールやコーラなどは缶とグラスが、つまみは袋入のスナックで、その都度金を払う。彼らが話している事は少ししか分からなかったが、バイクや店の話だった。さらにピザを食いに行こうと誘われたので食べに行った。ピザは直径40cmぐらい、ビールは有に3リットルは入るピッチャーで出てきた。それを4人で食べる。12時頃まで、飲み食いしていた。解散となったが、ユマではもう泊まれる宿は無く、先に進みキャンプ場を探そうと思ったが、見つからない。すでに満員。フリーウェイを降りた辺りで野宿をすることにした。もう既に2時を過ぎていた。

ルート8
野宿・$0
ハンドル修正/$7
3/23 日
フェニックス / アメリカ
11.632km

朝7時に起きた。目の前を車が行き来していた。あわてて出発。フリーウェイ8号を迷いながら走り、昼過ぎにフェニックスに着いた。ともかくモーテルに入り、昨日の転倒後の整備をする。ブーツもグローブもヘルメットも路面に当たったところが激しく刷れていた。バイクを整備していて、工具が足りないのに気づく、パーツだけ持ってきて、それを外す工具が無い。なんてこった。

ルート17→ルート89
Sandancer Motel・$23
3/24
グランドキャニオン
/ アメリカ
12.073km

グランドキャニオンを目指しルート17を走る。フラッグスタッフに近づくと廻りには森が広がっていた。そして所々に雪が残っていた。夏服なので寒い。この先、まだ雪があるのではと、心配だが先に進む。ルート89を走り、森を抜けるとまた砂漠が広がっていた。しかも、このへんの土は赤い。

cameronからルート64に入ると、そこら辺にインディアンの土産物屋が並んでいた。3時頃グランドキャニオンに到着、その辺を見て回り、YHを探す。既にYHは満員だった。観光案内所に行くと、ロッジやキャンプ場が掲示してあった。一番安い、キャンプビレッジに行くことにした。12km先だった。案内の姉ちゃんに日本語のパンフレットをもらい、場所を教えてもらった。5時頃キャンプビレッジ着いた。日が沈むと、とても寒い。夕日を見に再びグランドキャニオンにいった。ともかく雄大な景色だ。

ルート40
キャンプ場・$10.50
3/25
Gullup / アメリカ
12.492km
朝起きると、霜が降りていた。キャンプ場の下のマクドナルドで、食事。コーヒーを頼んだのに、コーラが出てくる。発音が悪いのかコーヒーがなかなか通じない。グランドキャニオンからルート180、ルート64を通ってフラッグスタッフ。そこからルート40をニューメキシコ州を目指す。150kmぐらい走るとまた、暖かくなり、そして砂漠が広がっていた。 Kow キャンプ場・$13.97
3/26
Tucmcari / アメリカ
13.003km
ニューメキシコ州に入ると、テンガロンハットを被った男達に会う。ジーンズに、白かチェックのシャツ、ブーツ、飾りの着いたベルト、バンダナと映画を見ているようだ。まさにテキサスだ。現実なんだな。 キャンプ場・$0
3/27
El Reno / アメリカ
13.521km
テキサスは広い平野で、畑と牧場がずっと見渡す限り広がっている。荒れた土地も無くきれいに整備され美しい。

キャンプ場にはいつもたくさんのキャンピングカーがやってくる。多くは年寄りで仕事をリタイヤした人と思われる。残りの人生をキャンピングカーで全米を廻る旅をしているようだ。Kowには、キャンピングカー用の水道と、電気が整備されている。もちろんテレビ用のアンテナ用のプラグもある。決して安くはないためか、多くの人は夜遅く、ひつそりとキャンプ場にやって来て、朝早く出かけていく。つまり金を払わないで利用しているのだ。
Kow キャンプ場・$9.5
3/28
Dallas / アメリカ
14.102km

ルート40を走りオクラホマシティへ、街は小さくわりと奇麗だ。ダウンタウンには大きなビルが並び、そしてその周りはスラム化している。ドーナッツ化。ドーナッツを食べてダラスに向かう。

今夜はモーテルに泊まるしかなさそうだ。宿を探してまた街の中を迷走。毎度のことだ、あてがある分けではないので、宿探しはいつもこんな感じ。たまたま見つけたMotel6に入った。たぶん今まで利用したモーテルで一番安いと思う。
荷物をおろし、ダウンタウンを見に行く、標識を見逃して、一方通行を入ってしまったら、速攻でパトカーが飛んできた。国際免許と保険証書を見せたら、注意されただけですんだ。夜も更け、今夜はデニーズで食事。

Motel 6・$22.68
3/29
Belton / アメリカ
14.422km
朝10時に出発。フォーとワークスに行く。むかしのままのテキサスの街といった感じだろうか、もてと奇麗な街で、ストックヤードには19世紀後半の街並みが残っている。 ルート30〜ルート35W
Kow キャンプ場・$5

オイル・フィルターの交換、ブレーキパットR交換
オイル2リットル/$3.18
3/30 日
サンアントニオ / アメリカ
14.682km
ルート35Wを南に向かう。昼頃サンアントニオに到着。YHを探すが分からず、アラモに戻り観光局で地図をもらう。アラモを見て歩く。砦は街の中心にあり、ちょっとした博物館があった。走り回っているうちに偶然YHを見つけた。ラッキー。 ルート10
YH・$ 8.25
ゴムバンド2本/$4.18
3/31
ヒューストン / アメリカ
15.095km
今日は朝から曇っていた。カッパを着て走り始める。2時ころヒューストンに着く。YHを探すが、また見つからない。しょうがなくキャンプ場に入った。

大きな街を目指すのは、あまり意味があることとは思えなくなってきた。ダウンタウンは結局オフィス街でしかないしのだから。

キャンプ場はフリーウェイの前にあったが静かだ。夜は、バイクの整備。チェーンを張り、バルブの調整、タイヤの空気圧の調整。
キャンプ場・$12
4/1
ニューオリンズ / アメリカ
15,715km

ルート10をニューオリンズに向かう。朝はヒューストンを通過したが渋滞で混んでいた、通勤時間帯はどこの大都市もこんな感じなのだろう。昼頃ルイジアナ州に入る。まわりはずっと森が広がっていた。このあたりは湿地帯が続いているらしくハイウェイは川というか水の上を走っている。いくつかの橋を通ったが、日本では見たことの無い三角形の橋があった。斜面をのぼり、そして三角形の頂点から下る。5時過ぎ、ニューオリンズに着き、YHを探6時頃到着。


YH・$8
4/2
ニューオリンズ / アメリカ

観光に出かけ、遊覧船に乗ってみたが、ミシシッピー川はそれほどではなかった。フレンチクォーターにも行ってみた。ニューオリンズは、自分が思っていた街とは違い、近代的なビルや大きなホテルとフレンチクォーターという古い町並みの一角が混ざり合った、アメリカではよく見る街だった。ただ、バーボストリートは一つ一つのバー全てに入ってみたくなるほどの雰囲気で、ずっと昔からこの場所でこのままといったたたずまいだ。YHは古い家をそのまま利用した感じで、天井が高くドアが大きくニューオリンズ歴史を感じさせる建物だった。


YH・$8
4/3
ニューオリンズ / アメリカ
今日は、午前中バイクの整備。昼はオフィス街のサンドウィッチ屋に食べいく。3.25ドルだったが、フランスパン半分ぐらいに野菜、ハム、チーズがぎっしり詰まっていてボリュー満点だった。
だいぶ疲れが溜まっているのか、午後はYHでボッートしていた。

YH・$8
プラグの交換
4/ 4
グリーンポイント付近 / アメリカ
/16,355km
9時にニューオリンズを出発。パナマシティを目指す。ルイジアナを抜け、フロリダ州に入るとすぐに観光案内所があったので、地図をもらいに入った、オレンジジュースをもらった。パナマシティには4時頃着いた。そしてYH探し。結局見つからなかった。地図があってもたどり着けないのに、住所だけではやっぱり探せない。

マクドナルドで夕食を食べて、先に進むことにした。この辺りは、海と湖が複雑に入り組んで長い橋がいくつも掛かっている。まっすぐな道路をつくるためにそうしたのだろうか。夜もすっかり暮れ、メキシコビーチを過ぎたあたりで、少し休もうと脇道にはいった。それがまずかった、わりと深い砂だと思ったらもう転倒していた。ぼうぜんと立ちすくむ。空を見れば真っ暗な夜空に無数の星の輝きが美しい。荷物を一つずつバイクから降ろし、やっと起こせた。砂地から出て、荷物を積み直し、走り始めた。走り始めると、もう夢を見ているようだった。彼方に光の束が見え、5分もすると何台かの車がすれ違って行く。どこを走っているかも分からないが、片側は海のようだ。道沿いに現れたキャンプ場に入った。アパラチョコラ(Apalachicola)の手前辺り。
キャンプ場・$7.35
4/5
ディトナビーチ / アメリカ
16,821km
ディトナビーチを目指して、出発。ルート90から27、20、100、そしルート1を通ってデイトナビーチに着いた。YHはメインストリート沿いで車が走り回り、うるさいところだった。古いホテルをYHにしたところで部屋は2人部屋だった。ニューオリンズのYHで会った日本人の学生とまた一緒になったので、夜は肉を買いに行き食べた。料理をしたら部屋中、煙だらけになった。外は夜遅くまで大騒ぎしてだ。海で騒ぐ若者達。あれ、日本も同じだ。 YH・$9.45
4/6 日
マイアミ / アメリカ
17,334km

ルート1を走り、マイアミを目指す。かなりの距離を走り、やっとマイアミに着いた。また、YH探し。探しても見つからない。しょうがなく警察官に聞いてみたら、なんと、ここはマイアミではなかった。ここから、さらに42マイルあると言われた。もう既に7時を過ぎている。必死で走り9時過ぎにマイアミに到着。めちゃくちゃ汚いところだった。何棟もの五階建てくらいの同じ作りのアパート並んでいる。その一棟がYHだった。この建物から一本通りを隔てたところにホテルが並んでいた。ホテルのベランダに白髪の老人がずらりと並んで座っていた。暗闇に浮かんでいたその光景が不気味だった。疲れた。シャワーを浴びてすぐ寝た。

YH・$8.0 最低のYH
4/7
キーウェスト / アメリカ
17,652km
9時過ぎにマイアミを出発。マイアミからターンパイクを通って、キーウェストの島へ渡る橋の入口にさしかかった。キーウェストまでは約180km、ブルー、グリーン、エメラルドと表現できないほど海が奇麗だ。島と島を結ぶいくつもの橋を渡りキーウェストに着いた。3時にはYHにたどり着いたが、オフィスが開くのが5時なので、島を一周してみた。そして、見つけたバイク屋でヘルメットのシールドを買い、ガソリンをいれて戻ってきた。キーウェストには1週間滞在し、バイクのメンテナンスをして、体を休めることにした。もうキーウェストはシーズンオフになるそうで、長く暑い夏は観光客が少なくなるそうだ。 YH・$8.0
シールド/$3.5
4/8
キーウェスト / アメリカ
足りなかった工具、モンキーレンチを買いに出かける。昼頃戻ってビーチに行き泳ぐ。午後は洗濯をして、バイクのメンテナンス。昼は日差しが強く、なにもしたくない。ここのYHには自分以外に二人の日本人が泊まっている、外国人のバックパッカーの多くは、レストランなどでバイトをしている。ここで働き、その金でまた旅行をする。

※今もここで買ったモンキーレンチを使っている。
↓ YH・$8.0
モンキー/$21.49
4/9
キーウェスト / アメリカ
特に何もしない。ダウンタウンをぶらつきダラダラと1日をすごす。昨夜、イタリア人が金とバスポートを失くしたらしい。ドロボーではないかとみんなが言っている。 ↓YH・$8.0
4/10
キーウェスト / アメリカ
ニューオリンズのYHで会った日本人とまた、再会、彼と食事に行く。また、街をぶらつき戻ってみると、日本人の女の子3人組がいた。

バイク屋でオイル・フィルターの交換、工賃は12ドル(約2000円)
↓YH・$8.0
オイル交換/$16.50
4/11
キーウェスト / アメリカ
郵便局に手紙を出しに行ったり、洗濯したり、ビーチに泳ぎに行ったりして、1日が過ぎて行く。これから進むルートを確認する、後15日くらいでアメリカを出国し、カナダに入る予定。そろそろここのYHにも飽きてきた。
YH・$ 8.0
4/12
キーウェスト / アメリカ
17,687km
今日もダラダラと1日を過ごす。夜このYHに泊まっている外国人がバイトしているメキシコ料理店にドイツ人と三人で食事に行く。さらにまた日本人の女の子が増えていた。夜はみんなで騒ぎまくる YH・$8.0
4/13 日
キーウェスト / アメリカ
朝食を食べに出かけて、戻るとまた日本人が一人増えていた。これで全部て7人になった。みんな、ここを目指してやってくるのだ。 ↓YH・$8.0
4/14
Clewiston / アメリカ
18,103km
朝9時に起きて、荷物をまとめて、出発。マイアミを過ぎてまた、道に迷った。うろうろしていると、前を走っていた車が急ブレーキ、止まれたのだがフロントが流れて転倒。後ろの車の女性が笑っていた。レバーとチェンジペダルが曲がってしまった。
ルート27を先に進み、Lake Okeechobeでキャンプ。ここでKowの会員になるようすすめられた。今まで知らなかったが「キャンプ場のKow」の会員になると割引があるらしい。 とりあえず4ドル払って会員になった。
この辺りは、地平線の向こうまで何も無い草原が広がっていた。
Kow キャンプ場・$13,23
4/15
Yolee / アメリカ
18,685km
暑くて目が覚めた。キャンプ場の主人にコーヒーをごちそうになり、9時30分ころ出発。オーランドを目指す。ここには泊まらずさらに先に進み、セントオーガスチンに着いた。スペイン風の美しい街並。なぜこんな街がアメリカにあるのか不思議だ。街のなかをぐるっと回り、さらにジャクソンビルに向かった。ここで食事をした。シーフードのおすすめを食べたのだがまずい。フライばかりで全然食べられない。ジャクソンビルからさらに進みキャンプ場のサインを見つけ、キャンプ。もう7時半を過ぎていた。

フロリダの道沿いにはずっとオレンジ畑が続いていて、いい匂いがする。
YH・$6.3
4/16
Brunswick / アメリカ
18,806km
かなり、北上してきたせいか、寒くなってきた。風も強くあまり走りたくなかったので、Brunswickでマクドナルドに入り、先に進むか悩んだ。とりあえず、街の観光案内所でYHの場所を聞き、12時ころYHに着いた。森の中のバンガローで、誰もいない。とりあえずトイレ。トイレから出てくると、なんと、ニューオーリンズ、マイアミ、キーウェストで会った、ドイツ人とまた会った。荷物を適当な部屋にいれ、とりあえずバイクの整備をする。このところ何度も転けたので、バランスが崩れて走りにくい。その後スーパーに買い物に行き、戻ってくると、管理人らしき人が戻っていた。一泊の予定だったが、TC10ドルでおつりが無いらしいので、二泊することにした。このところ泊まってばかりあまり移動してない。 YH・$5.0
4/17
Brunswick / アメリカ
19,086km

8時に起きる。ここにいてもしょうがないので、サバンナに行ってみた。とても古い街でレンガ作りの建物が奇麗に残されていた。YHには4時頃戻った。既にドイツ人は出発していて、YHの管理人二人と全部で三人だけの、寂しい夜だ。森の中はシーンと静まりかえり、鶏やアヒル、クジャクの羽音しか聞こえてこない。

※小説「真夜中のサバナ」の舞台で、映画は数年後に日本で見た。

ルート95
YH・$5.0
4/18
Athens / アメリカ

ルート95をチャールストンに向かうが、寒くて、風も強いので、Atensに向かうことにした。 Atensまでは時間がかかりそうだ。街の手前でバイクの調子が悪くなり、焼き付いた感じで、 エンジンが止まる。オイルがかなり減っている。まだエンジンがかかるのでゆっくり走って YHに着いたのは7時を過ぎていた。ここは、普通の家の一部屋をYHとしている、ホームホステルというところだった。YHには誰もいないかったが、かってに部屋に入って荷物をおろした。夜家族が帰ってきた。三人家族だった。

※荷物が重かったのと、毎日約400kmをほぼ時速100kmで移動できので、エンジンへの負担がかなり大きかったのかもしれない。田舎のホームホステルなどは、のんびりしているので、バイクの整備にうってつけ。
※ホームホステルとは一軒家のひと部屋を宿として提供する、日本の民宿の様な感じ。

軽い焼き付き
YH・$4,0-ホームホステル
4/19
Athens / アメリカ
19,688km
朝から、バイクの整備、シリンダーヘッドを外してみる。ピストンは問題かったが、ロッカーアームにやや焼き付いた後があった。どうやら、オイルが異常に少なかったようだ。ヘッドガスケットを交換して、組み直す。もう歩けないほど、腰が痛い。昨日も転けたのでひどくなったようだ。3時過ぎには終わり、オイルを買いに行く。もうジーパンが油汚れなんかでドロドロだ、どこかで洗濯しないと。 ルート85→280→75
YH・$4,0-ホームホステル

オイル/$3.01
シリンダーガスケットの交換
オイルプラス1リットル
4/20 日
Opelika / アメリカ
20,066km

朝食食べて、9時半に出発。もう既に一ヶ月もアメリカを走っているのに、北と南、西と東というハイウェイの仕組みが呑み込めていない。今日は天気が悪く、途中から雨が降り始めた。カッパを着ないでやり過ごした。アトランタに着くが、街をぐるっと走り回り、先に進むことにした。予定ではナッシュビルに行くつもりだったが、アラバマ州に入って、とりあえずメンフィスを目指した。途中のOpelikaで寒さに耐えかねてモーテルで泊まることにした。その後、雨が降り始めた。今夜はデニーズで食事をする。

Motel 6・$17,8
4/21
Hickory Flat / アメリカ
20,513km
朝8時に起きて、食事をして出発。バーミンガムを目指すが、また道に迷い、1時間ロス。ルート280を走るが、寒くて、しょうがなく、ショッピングセンターで止まり、つなぎを出して着ることにした。さらにメンフィスを目指して走る。ハイウェイのトラックストップで食事。次のインターでキャンプ場のサインを見つけたのでキャンプへ向かう。ハイウェイからはかなり離れていた。ここは家族でやっているようで、大きな農場の一角に自宅があり、その庭をキャンプ場としてかしている。自分以外誰もいない。夜、外で食事をした後ノートを付けていたら、キャンプ場の主人が来て、豆のスープみたいな物を置いて行った。味が無く、まずい。子供の頃、ローハイドとかで、見た感じのた料理だ。皿を返しに行くと、今度は鳥の足をくれた。残念だがまずくて食べられなかった。 キャンプ場・$6
4/22
Ozora / アメリカ
21,008km
朝9時に出発。メンフィスに着いたが、あまり興味をそそられない。ナッシュビルに行くのはやめて、セントルイスを目指すことにした。ルート55はともかく寒く、長い時間走っていられない。レストエリアごとに止まるのだが、全然暖まらない。しょうがなくモーテルに入り、冬物を出して着替えることにした。モーテルはダブルベットが二つにバスがあった。レストランもあり、食事はバイキング形式だった。5ドルで腹一杯食べた。
今日はアメリカで使っていた、ロードマクナリーの地図を失くしてしまった。いめろいろ情報を書き込んであったのに残念だ。
Motel・$23.26

4/23
セントルイス/ アメリカ
21,144km

9時半に出発。冬服に着替えたので、今日は少し暑いくらいだ。11時過ぎにセントルイスに着いた。YHに入り、ダウンタウンに観光に出かける。ここも古い街で、レンガ作りの街並がが広がっていて、なんかいい感じの街だ。ショッピングセンターのようなモールに入ってみた。ゲートウェイアーチにも昇ってみた(1.5ドル)。 YH・$7,75
ゲートウェイ・ アーチ
(1.5ドル)

4/24
セントルイス / アメリカ
21,154km

朝起きて、朝食を探しに外に出た。車でサンドウィッチを売っていたので買ってきた。9時過ぎに、バスでダウンタウンに観光に行った。街を歩き回り、久しぶりに中華料理屋で食事をする。YHの近くでスーパーを探していると、本当の市場を見つけた。魚と野菜を買ってきて料理することにした。魚はタラのような感じだったが、うまくなかった。

セントルイスは歩き回るのにちょうどいい感じの広さだ。古いビルが多く残っているというよりも、残してあるのだろう。見て歩いて楽しい。アメリカは巨大な消費国家とイメージだが、何でもかんでも新しいもに変えて消費して行くのは日本なのかもしれない。
YH・$7,75
4/25
ハンニバル / アメリカ
21,369km

9時に出発。ルート70・79をハンニバルに向かう。この街にはYHはなく、モーテルに泊まることになる。11時過ぎに到着。荷物を置いてマークトゥインミュージアムに行く。その後昼食。食事はインゲンとトウモロコシを煮た物と、ライスの上に鳥と野菜のごった煮をのせた物、イモとパンとコーラで3.5ドルだった。

マークトゥインミュージアムは小さくて、隣にトムソーヤの家があり、向かいにはベッキーの家があるほんの一角だけがマークトゥインの世界だ。マークトゥインケーブにも行ってみた。洞窟はインディアン・ジョーが隠れていた所。案内のお姉さんが、物語を少しだけ話してくれる。中に入ったのは大人6人と子供2人。

YHに戻り、オイル交換をする。そして、また冬服をしまう。
モーテルにはテレビがあり、今夜は、デズニーチャンネルを見た。

ルート36
Motel・$27.05
オイル交換
4/26
St Toseph から4km
21,838
朝、バイクを倒してしまった。一度倒すと、なかなか起こせない。結局人に手伝ってもらった。ルート36から35とカンサスシティに向かう。2時過ぎに街に着く。YHを見つけたが、古いビルで、しかもXXホテルとなっていた。過去の不快な記憶が甦る。泊まるのをやめ、街をぐるっと回り、先に進む。オマハに向かう途中でキャンプ。老夫婦がやっているキャンプ場で、強い風の中、チェーンの調整や洗車をする。カンサスシティはセントルイスのような感じだったが、なんかとり残されたような印象の街だった。 ルート80
キャンプ場・$4
4/27 日
DesMoines / アメリカ
22,278km
朝8時に起きる。遠くで雷が鳴っている。テントをたたんで出発の準備をしていたら、目の前まで、雷が迫ってきた。そして雨が降り始めた。カッパを着て、出発。豪雨だったが、オマハあたりでやみ始めてきた。食事をしてルート80をシカゴを目指すことにした。夜8時過ぎ、キャンプ場に入った。雨に濡れたので、着ていた物は全部洗濯することにした。アメリカは便利だ、とりあえずKow キャンプ場に入れば、売店も、ランドリーもある。
今夜は激しい雨と風で、テントが飛ばされそうだった。
Kow キャンプ場・$8.89

Kow キャンプ場には洗濯機があるところが多い。
4/28
Cora Lvile / アメリカ
22,498km

朝4時に雨と風で目が覚める。外に出て、木の枝を拾い、テントを固定するペグ代わりに使う。そして、シュラフにくるまるが、濡れていて暖まらない。でもそのうち寝てしまった。9時頃目が覚めた。めちゃくちゃ寒い。雨はさほどでもない。冬服を着て、カッパを着て出発。
またしても、寒さに耐えかねてモーテルに入る。激しい雨で濡れた、 テント・シュラフなど全広げてて乾かす。
それにしても寒い。荷物が増えたが、冬服をたくさん持ってきて正解。今まで、持ってきた物でよく使うのは、キャンプ用のストーブ(これは米軍仕様で通常のレギュラーガソリンを燃料として使えるもの)、コッヘル、ローソク、シュラフ、テントなど。持ってくれば良かったと思うのは、ヘルメットのシールド、スタッフバッグ、ビニール袋、シュラフマットの大きいもの懐中電灯は不要で、そのかわりランタンがあったら良かった。

夕食は外に出て、トラックストップで食べた。

ルート88→55
Motel 6・$21,49
ゴムバンド2本/$4.18
4/29
Chicago / アメリカ
22,893km
このところ朝は、走り始めてすぐマクドナルドで食事。ルート88をシカゴを目指す。午後4時過ぎにシカゴに到着。久しぶりの大都会だ。YHはLOYORAユニバーシティーのそばにある。いままで泊まったYHの中で一番奇麗なところだった。観光シーズではないのだろう、客はとても少ない。 YH・$8.75
4/30
Chicago / アメリカ
今日はあまり天気がよくないが、観光に出る。CATに乗ってダウンタウンに出て、ウォーキングツアーに参加する。シカゴの街中の建築物を歩いて見て回るツアーだ。女性のガイドがビルについて説明してくれるのだがさっぱり分からなかった。2時間で解散。シアーズタワーに昇ってみた。ここからの眺めはなかなかのものだった。ダウンタウンはCTAやバスが通っているので、歩いている人も多い。道路は混んでいて、車を止めるところもなさそうだ。ダウンタウンを囲んでループという高架鉄道が走っている。ビルの合間を縫うように走る。街から見るミシガン湖はほとんど海という感じ。夜7時過ぎにYHに戻った。 ↓YH・$8.75
ウォーキングツアー、4ドル
シアーズタワー、3ドル
5/1
Chicago / アメリカ

ダウンタウンに観光に出かける。バスツアーに乗るつもりだったが、バス会社が住所のところに無かった。観光局に向かう途中、ボートツアーの時間にぴったりだったので、ボートツアーに参加。ミシガン湖を北に向かい、湖から街を見るツアー。

↓YH・$8.75、
5/2
Chicago / アメリカ
9時過ぎに、バイク屋を探しに出かける。ウェスタンアベニューをダウンタウンに向けて走り、チャンピオンサイクルセンターでタイヤを交換する。タイヤは95ドル(ダンロップツーリング)、工賃は40ドル。1ドルが100円ぐらいなのだが、持っていたお金は1ドル180円前後だったので、とても高く感じる。シールドを買って、ダウンタウンの美術館に行き、その後スーパーで買い物。一度YHに戻り、再びスーパーに買い物に行く、何となくシカゴは物価が高いように感じる。 ↓YH・$8.75
バイク屋でリアタイヤの交換
タイヤ95ドル、
工賃40ドル
合計142.66ドル
シールドを購入/$9.62
美術館に4.50ドル
5/3
Chicago / アメリカ
10時にまた、観光に出かける。ジャクソンパークの産業博物館に行く。ここはとても広く、歩いて見て回るだけで、かなり疲れる。2時過ぎまでここにいた。ダウンタウンに戻り、デパートで食事。日本人の観光客も多かった。 ↓YH・$8.75
産業博物館
5/4 日
Chicago / アメリカ

9時過ぎに、観光に出かける。フィード博物館は世界有数の規模というだけあって見応えがある。見て回るのに3時間以上かかった。水族館はださかった。プラネタリウムはそれなりに楽しかった。へとへとになって5時過ぎにYHに戻った。YHでこれからのルートを確認していると突然、カナダ人が入ってきた。カナダナンバーのSRXを見て入ってきたようだ。いろいろ話をするが、完全には分からなかった。ビクトリアからCB900で来たとのことだった。

シカゴの美術館のある地区は、公園になっていて、家族連れがたくさん集まり日光浴をしていた。何となく、上野のような所だった。

↓YH・$8.75
フィード博物館
シェド水族館
プラネタリウム
5/5
Batesrille / アメリカ
23,546km
9時過ぎに出発。 インディアナポリスを目指すがまた道に迷った。4時過ぎにインディアナポリスに着いた。さらにシンシナティを目指し先に進む。夜8時過ぎにキャンプ場に入る。今日はひたすら走っただけ。 キャンプ場・$6
5/6
Tar Hollow S.P. / アメリカ
23,862km
9時過ぎに出発。 シンシナティに行く。街は古く奇麗なところだ。道路沿いの標識にシティーツアーと書かれた物があり、それをたどって走ると、街の見所を見て回れるようになっていた。バイクの調子がややおかしい。スーパーでオイルを買って。キャンプ場を探す。リアホイルまわりから、走り始めにカタンカタンと音がする。チェーンのオイルが飛び、シャリシャリいってる。山の中のキャンプ場を見つける。キャンプ場では馬に乗った人たちが公園の中をのんびりと走っていた。すぐバイクの整備。リアホイルを外してみると、ドリブンスプロケットのダンパーがへたっていた。とりあえずそのまま組んだ。8時過ぎまでかかった。夜は真っ暗。今夜は水も、何も無い。小川の水でコーヒーを入れ、パンとビーフジャンキーで食事。 ルート50
キャンプ・$0
オイル交換/$4.12
5/7
Augusta / アメリカ
24,402km
昨夜雨が降ったので、テントが濡れていた。10時頃出発。ルート50をワシントンを目指して走る。山間の小さな街を次々と超えて行く。とてものどかだ。広々とした農場や畑が広がり、遠くにポッンと農家がみえる。さらに進むと道は今までと違い、ワインディンロードとなる。フロントブレーキをかけるとフロントが振られ、押さえているのがやっとだったので、とても緊張した。ワインチェスターを目指すが、もう少しで雨。レストランで食事すませたころには8時を過ぎていた。走り始めてすぐにキャンプ場のサインを見つけた。サインに従って脇道に入る。大きな農場にたどり着いた。敷地がキャンプ場になってた。家には誰もいない。途方に暮れていたら、12歳前後の子供がトラックを運転してこっちに向かってくる。今日はここでキャンプ。もちろん誰もいない。カエルのこえがうるさく、野うさぎが周りを走り回っている。家のまりには薪がつんである。今日は街灯の下でキャンプ。 キャンプ場・$3
5/8
ワシントン / アメリカ
9時に出発、3時過ぎにワシントンに到着。YHのオフィスでチェックインして、5時半にオフィスに集まり、YHにみんなで移動。夜は、YHに来た日本人4人と外人5人でリンカーン記念公園の夜景を見に行く。 ↓YH・$10
5/9
ワシントン / アメリカ
朝マクドナルドで食事。その後日本人3人でワシントンの美術館巡りに出かける。 ↓YH・$10
スミソニアン美術館
5/10
ワシントン / アメリカ
24,624km
朝食を食べて、また日本人3人でアーリントン墓地、ペンタゴンを見に行く。戻ってきて洗濯。二人の日本人とニューヨークで待ち合わせ、一緒に観光することになった。 YH・$10、
5/11 日
ニューヨーク / アメリカ
朝食食べて、11時頃、ニューヨークを目指す。また、道に迷い、ニュージャージーの端までいってしまった。 トンネルをくぐってマンハッタン島に渡り、待ち合わせ場所のワシントン広場に到着。無事二人と巡り会い、8時ころチェックイン。 ↓ホテル・$20.65
5/12
ニューヨーク / アメリカ

朝から、ニューヨーク観光に出かける。
エンパアイステートビル、マジソンスクゥエアなど

↓ホテル・$20
5/13
ニューヨーク / アメリカ
朝から、ニューヨーク観光に出かける。
世界貿易センター、自由の女神、ウォール街、チャイナタウン、ソーホー
↓ホテル・$20
5/14
ニューヨーク / アメリカ
朝から、ニューヨーク観光に出かける。
セントラルパーク、ダコタアパート、ロックフェラーセンター、 カーネキホール
↓ホテル・$20
5/15
ニューヨーク / アメリカ
朝から、ニューヨーク観光に出かける。
近代美術館、ハーレムツアー、ライブハウス
↓ホテル・$20
5/16
ニューヨーク / アメリカ
朝から、ニューヨーク観光に出かける。ニューヨークエクスペリメンス、五番街など。 この後も、ニューヨーク一緒だったTさんとボストンに向かうことにした。

※ワシントンスクエア近くの安ホテルに日本人三人で泊まった。バイクは歩道に鎖で固定して置いた。毎日駐車違反の切符がたまって行った。
↓ ルート95
ホテル・$25
5/17
ボストン / アメリカ
25,120km
朝10時頃、ボストンに向けて移動。途中雨が降ったが、小降りだった。4時半頃ボストンのYHに到着。食事にき、戻って洗濯。 YH・$11
5/18 日
ボストン / アメリカ
朝起きると喉が痛かった、風邪か。ボストン美術館にいくが、多くの作品が貸し出されていて、見たかったものが何も無かった。コモン広場でツアーバスに乗るが体調が悪く、そのままじっとしていた。
バイクに積んであった空気入れとジャッキーを盗まれる。初めて盗難にあった。こんな物盗られないと思っていたが、なんでも盗む。
↓YH・$8.5
5/19
Syracuse / アメリカ
25,490km
8時半頃、バッファローを目指して出発。体調が悪く、走っていても、眠気がする。SyracuseのYHに到着。間もなく激しく雨が降ってきた。7時半頃、TさんがYHにやって来た。Tさんとは、行き先が同じだったので、いけるところまで一緒に旅をすることになった。彼はバスで移動し、YHで落ち合い、一緒に観光に出かけた。 YH・$6(ホームホステル)
5/20
ナイアガラ・CANADA
/26,288km
8時過ぎ、雨の中をナイアガラに向かう。バッファローの手前で激しい雨。3時過ぎにナイアガラフォールのアメリカ側の端の入り口で、Tさんとうまく、合流。カナダに入国し、橋の近くのモーテルに入った。夜滝を見に行く。風邪で体調が悪い。カナダで風邪薬を買って飲む Motel・C$15
5/21
ナイアガラ CANADA
朝9時過ぎに起きて銀行に行き両替。また、ナイアガラ観光に出かける。船で滝壺に、その後トンネルに入る ↓Motel・C$15
5/22
ナイアガラ CANADA
11時に起きる。朝食を食べていくが、体調がいまいち。モーテルに戻りバイクの整備。チェーンを交換し、リアのダンパーの調整をする。 ↓Motel・C$15
チェーンの交換
5/23
Toronto
9時過ぎに出発。Tさんは7時にバスでトロントに向かった。トロントまでは120kmぐらい。途中でまた激しい雨。トロントには11時半頃着いた。待ち合わせのバスターミナルで合流、食事をして、YHに向かう。チェックインは出来なかったが、荷物を預かってくれたので、トロ荷物を置いて観光に出かける。トロントはかなり大きな街でファッショナブルで奇麗な街だった。活気があり中国人が多かった。風邪が良くならない、なにせ移動の旅に雨だ。 ↓YH・C$9
5/24
Toronto
風邪で体調が悪い。昼近くCNタワーにいってみた。ぶらぶらと街を歩き回り、夕方YHに戻り、ぼーっとしている。
↓YH・C$9
CNタワー、6ドル
5/25 日
Montreal
今日は久しぶりの快晴だ。マクドナルドで食事をして、モントリオールに向かうことにした。11時半頃出発、モントリオールまで約600kmある。遠いがいいペースで走れた。夕方6時頃にはYHに着いた。普通に走って1時間で100km走れる。モントリオールはフランス語圏であまり英語が通じない。 ↓YH・C$8
5/26
Montreal/26,961km
朝9時に起き、食事を手、モントリオールのオールドタウンに観光に行く。帰りに盗まれた、ジャッキーと空気入れを買う。YHで オイル交換・フィルターの交換。夕食は日本レストランに行き、天ぷらを食べた。夜、サロンでタバコを吸っていたら、メキシコ人に話しかけられ、話をしているうちにカナダ人の女性が話に入ってきた。結局1過ぎまで話をしていた。カナダに入ってから、バイクでツーリングする人たちによくすれ違う。そんな季節になったのだろうか。 YH・C$8
空気入/8.95C$
ジャッキー/17.95C$
オイル3リットル/5.95C$
5/27
Ottawa
10時過ぎに出発。オタワにいくことにした。200kmぐらいなので近い。今日はやたらに暑い。Tさんとは、オタワのYHで落ち合うことにした。YHには3時頃着いた。目の前のイートンに食事に出かける、ここでジーンズも買う。ここのユースは元刑務所で、鉄の扉などもそのまま。8時過ぎに食事に出かけたが、もう街はひっそりとしていた。ここはカナダの首都なので、制服の人が多い。国防本部や、国会議事堂などがある。今日は彼方の学校の旅行だったようで、子供達がたくさん泊まっていた。 ↓ YH・C$9
5/28
Ottawa/27,165km
今日ももう一泊することにする。子供達が移動したので静かだ。昼からバスツアーにのり、街を見て歩く。久しぶりに髪をきりにいった。4時ころ戻りバイクの整備、安いチェーンを使っているので、すぐのびてしまう。4時過ぎ、また別の子供の集団がやって来た。今夜も騒がしい。 YH・C$9
5/29
Fairbank PK/27,714km
10時にYHを出る。Tさんとは、ここでお別れ。今日も暑くナショナルパークキャンプ場に入る。もう9時半なのに外は明るい。周りは誰もいなく静かだ。ハエや蚊が多い。 キャンプ・C$0
5/30
Lake Superior/28,218km
10時過ぎに出発。昨日と打って変わって、やや寒い。ルート17を北上する。周りは、森と、無数の湖。その中をひたすら走る。日本を出発前に直した前歯が外れた。ガムと一緒に外れてしまった。Wawaの街まで間ではまだ20kmある。もう夕方6時。レストランで食事をして、外に出ると雲行きが怪しい。隣のモーテルに入ることにした。チェックインしたとたんに雷と、激しい雨。かなり北の方に来たため、雨が降るとかなり寒い。 Motel・C$32
5/31
Terrace Bay
10時に出発。少し走って朝食。Wawaに着いたので、歯医者を探すが、土曜日なので休みだった。Terrace Bayに向かう途中、パトカーに捕まる。またヘッドライトだ。罰金は53.75カナダドル。3時過ぎにTerrace Bayに到着。雲行きが怪しいと思っていたら、雨が降ってきた。今日もモーテルに入った。歯は瞬間接着でくっつけてしまった。 ↓Motel・C$31,5
6/1 日
Terrace Bay/28,798km
9時半に起き、ルート17をTerrace Bayを目指す。寒いので距離が伸びない。3時頃YHに着く。食事を食べに行くが、まずいハンバーガーを食べてしまった。6時ころ、モントリオールから二人の旅行者がやって来た。一人はバイクで、もう人のはヒッチハイクだった。夜になりまた一人やって来た。平屋の小さなYHの一部屋に4人は珍しい。いままでこの規模のYHではいつも一人だった。外でタバコを吸っていたら、近所の女の子が寄ってきた。日本のお金を見せてというので、1000円札を見せた。欲しそうだったがあげない。その一人の10歳ぐらいの子が持っていた、カナダの1ドルコインが珍しかった。 YH・C$11
6/2
Dryden/29,171km
10時頃、出発。マクドナルドで食事をしてウィニペグを目指す。途中ダートがあってバイクがドロドロ。3時頃Drydenに到着。雨が降りそうなので、モーテルに入った。ここからまた時間が1時間戻る。外はいつまでも明るい。 Motel・C$26.25
6/3
Winnipeg/29,606km
9時に起きて、食事をして出発。今日は昨日より暖かい。毎日気温が変化して、体力の消耗が激しい。3時頃Winnipegに到着。広い街だが、何も無い。5時にYHにチェックイン。小さいけど奇麗なYHだ。 北の方は寒かったが、ここまでくるとまた暑くなってきた
お金を節約して安いチェーンを買ったがすぐのびてしまう。やっぱりシールチェーンが必要。
オイルの減りが早い、300kmで1リットルも減っている。ロサンゼルスでオーバーホールしないと先には進めそうも無い。今日安いアウトドアショップをみつけたので、ザックカバーとかを買う。
YH・C$7
オイル2リットル/5.0C$
6/4
Winnipeg
朝8時半に起きて、バイク屋を探すが、見つからない。ツーリストオフィスでバイク屋を教えてもらい、地図をもらい、 チェーンとオイルを買いに行く。ダウンタウンで食事をし、買い物をしてYHに戻り、チェーン交換。間違えて104コマで切ってしまいチェーン1本63ドル無駄にしてしまった。また買いに行く。今日は失敗ばかり、チェーンの交換は8時過ぎに終わった。まだ整備したいところがあるが今日はこれまでとした。 ↓YH・C$7
チェーンの交換/127.20C$
オイル3リットル/7.37C$
ドラブ&ドリブンスプロケットの交換
工具箱/11.96C$
WD40/2.46C$
6/5
Brandon/29,850km
10時に出発。途中マクドナルドで食事。Brandonを目指し、昼過ぎに到着。YHを見つけたけど既に廃墟だった。しょうがなくモーテルに入り、バイクのキャリアになりそうな物を探し、いろいろ買い物をしてしまう。夕方からバイクのメンテナンス。10時過ぎまでかかってしまう。それから、荷物の整理をして、風呂に入ったら2時を回っていた。 Motel・C$37.10
プラグ交換
オイル3リットル/5.94C$
6/6
Regina/30,213km
11時に出発。天気がよかったけど、途中から雨になり、寒くなってきた。4時半にReginaに到着。しかし時間は3時半だった。どうもタイムラインで時間を区切っているのではなく、州によって決めているようだ。この辺りは大平原だ。YHは中流家庭の住宅と思われるたたずまいだった。このところろくな食事をしていないので、体調が悪い。 YH・C$8
6/7
Regina

朝9時過ぎ、外に出て公園を歩くが広すぎて歩き疲れてしまう。公園からショッピングモールにいってみた。モールにはビックベイやイートンズ、シアーズなどカナダでおなじみの店が入っている。4時過ぎにYHに戻るとモントリオールとTerrace Bayで一緒になったバイク野郎がやって来た。住んでいるのはモントリオールなので、英語は苦手なようだ。

↓YH・C$8
6/8 日
Prince Albert NP/30,723km
9時半頃出発。今日は暖かく快適だ、サクセションを目指す。1時頃、YWCAのYHに到着、YWCAなので、女性ばかりだ。時間もあることだし、ナショナルパークを目指す。6自前に到着。パーク内に入るには、お金が必要、さらにキャンプ場もお金がかかる。パークのなかには、別荘やホテル、ゴルフ場など様々な施設が揃っている。湖の周りの自然レジャーランドみたいな感じだ。 キャンプ場・C$11
オイル交換
6/9
La Ronge/30,906km
朝9時過ぎに起きる。湖の周りのデリで食事。ルート2を走り、La Rongeに1時過ぎに着く。市民センターみたいなところがYHになっていた。そのカフェテリアで食事をして、街に出るが、まもなく雨が降ってきた。とりあえずYHに戻る。湖畔から水上飛行機が飛んで行くのが見える。釣りか、ハンティングにいくのだろう。乗れるのか確かめに事務所みたいなところに入ってみたが、ツアーらしき物は無かった。今日は早く寝ることにした。 YH・C$10.5
6/10
La Ronge
朝9時過ぎに観光に出る。銀行で両替して、80kmぐらい北上してみた。30kmを過ぎた辺りから道はダートになった、ダートを走り写真をとって帰ってきた。バイク屋のようなボート屋さんにちょっとよって話をしてみた。コーヒーをごちそうになり、そばに日本人がやってるバーガー屋があるとか、タウンタウンには中華料理やがあるとか話していた。2軒ともいってみた。バーガー屋は日系人だった。中華料理はまずくて食べれなかった。この辺りは先住民が多く住んでいて、ダウンタウンなどにすることも無くたむろしていた。 ↓YH・C$10.5
6/11
North Battleford/31,552km

朝、出発の時バイクを倒してしまう。今日1日の不幸の始まりか。La Rongeからルート2をプリンスアルバートまで戻り、ルート3から40へと進むが、この辺りはカナダの大平原が広がっていて、風が強くなかなか進まない。やっとNorth Battlefordに着くが寂れた街だった。今日泊まる宿の載ったリストを風で飛ばしてしまった。風が強く寒くてだるい。一番まともなモーテルに入った。モーテルは高くて狭くて良くなかった。向かいの雑貨店で、ボルトを買い、バイクのキャリアのボルトを交換する。そして、モーテルのレストランに食事に行き、本日のスペシャルを食べた。これが悪かった。部屋に戻り、寒気と頭痛がするので、すぐにベットに入って寝た。そして、2時間後、気持ちが悪くで目か覚め、激しい下痢、そして嘔吐。こうして最悪の1日が終了。

Motel・C$34
エアフィルターの交換
6/12
Edomonton/31,937km
朝9時過ぎに出発。ルート16をエドモントンを目指した。途中マクドナルドで食事。またバイクを倒してしまう。荷物が重く、バランスが悪くすぐ倒れてしまう。そしてただただ走り続ける。寒いのでカッパを着て着膨れ気味。YHに着いて、荷物を部屋に入れる時に、またバイクを倒してしまう。昨日から三度目、さすがにめげる。

この辺りは大平原で風か強いと身を隠すとろも無く、ひたすら風に耐えて走る。木がほとんどなく、たまに見える家の周りに生えているぐらいだ。止まれるのは路肩と、ガススタンドだけだ。

※SRXはサイドスタンドだけなので、荷物の重さに耐えかね、スタンドが地面にめり込んだりして、倒れてしまう。そのうち対策しよう。
※実際に旅をしてみないと分からないことばかりだ。
YH・C$7.75
クラッチレバーの交換
6/13
Edomonton
9時過ぎから、外に出てバイク屋を探す。キャリアをずっと探しているのだが、なかなかいいものが無い。街をぶらついて5時過ぎ食事をしてYHに戻ると、モントリオールのバイク野郎が来ていた。夕方からバイク整備をして今日は終しまい。 ↓YH・C$7.75
バイクの整備
6/14
Edomonton

9時過ぎに起きて、食事をして、モントリオールのバイク野郎が教えてくれた、ウェストエドモント・ショッピングセンターにいってみた。 波のあるプール、スケートリンク、小川などがあり驚くばかり。仕事上アメリカの郊外型ショッピングセンターのことは知っていたが、これほどとは思わなかった。3時頃までここにいた。帰りにまたバイク屋によって見た。結局手頃なキャリアは見つからない。結論としてアタッシュケースのような、箱を買い、荷物を盗難からまもるしかなさそうだ。

↓YH・C$7.75
6/15 日
Jasper/32,447km

10時過ぎに出発、Jasperを目指す。ポッポッと雨の振る中、カッパを着て走り始めまもなく激しい雨となる。ブーツカバーとグロープカバーを付ける。エドソン辺りでさらに激しく降ってきたが、ジャスパーに近づくにつれ晴れて来た。3時過ぎに到着。まだ雪が残っている美しい山々を見ながら、食事。YHに5時過ぎに入った。

YH・C$6
6/16
Baunf/32,781km
7時に起きて食事をし、9時に出発。ゴンドラに乗りウスラー山に登る。ジャスパーからマウント・エディスケーブに行き、氷河を見る。目の前まで氷河が迫ってくる景色は圧巻だ。アサバスカ・フォールから、コロンビア・アイスフィールドを目指すが通り越してしまった。さらレイルイーズに行き、湖に映る山を見に行ったが、曇っていて見えなかった。風も出てきたので、引き返す。ジャスパーを過ぎバンフまで来てしまった。アイスフィールド・パークウェイ(ルート93)を走ったのだが、昔氷河が流れていたような窪地にハイウェイが走っているようなところで、山々もえぐり取られたような形をしていた。山羊や、熊がハイウェイのすぐ側までやってくる。 YH・C$9
6/17
Kamlorps/33,288km

9時過ぎに出発、バンフからレイルイーズに戻り、写真を撮り、ルート1(トランスカナダハイウェイ)をバンクーバーを目指す。コナモール手前から雨になる。今日はここのモーテルで泊まる。レイルイーズからのロッキー越えは、久々のワインディングロードだったが、あまりきついコーナーも無く時速100kmぐらいでガンガン走れた。景色も良かったのだが、あまり覚えていない。

Motel・C$38
6/18
Vancouver/33,660km

11時過ぎに出発マクドナルドで食事をし、ルート5をホープを目指して走る。しばらくして雨が降り始める。カムループスからのルート5は湖沿いの道で風が強くスピードが出ない。2時頃ホーブに着く。食事をして、出発、5時前にバンクーバーに到着。時間が1時か戻り、今は4時前になる。今回はYHに泊まる。YHには5人の日本人がいた。一人は、移住しにカナダに来たという。あとは、学生がが二人、自転車野郎が一人、女の子が一人。この時期バンクーバーは万博が開催されていたため、街が少し変わっていた。YHはめちゃくちゃ広く、多くの旅行者が滞在していた。3月10日からアメリカ・カナダを周り、出発地点に戻った。3ヶ月かかった。

YH・C$8
6/19
バンクーバー
朝、自転車野郎の出発を見送る。ダウンタウンをぶらぶらするが、特に目的もないので、YHに戻ってバイクの整備をする。なんとバルブカバーを壊してしまった。とりあえず、セメダインでくっつけて、バイク屋に急ぐが、既に夕方の6時を過ぎていたため、閉まっていた。夜はランドリーで洗濯。 ↓YH・C$8
6/20
バンクーバー
町外れのバイク屋を電話帳をたよりに探し、バイク屋に行き、バーツを注文
お世話になったシーランドサービス、日本領事館に挨拶に行く
戻って、バイク屋でパーツを買い、その後整備。オイル交換、プラグの交換、オイルフィルターの交換、ブレーキパッド(フロント)の交換
↓YH・C$8
6/21
バンクーバー
ダウンタウンに渡る橋の下に、xxアイスランドというところがあり、たまたま、入って行ったら、マーケットやブティックなどが並ぶショッピング街だった。 ↓YH・C$8
6/22
バンクーバー
今日もバイクの整備。朝からはじめて午後3時までかかった。 ↓YH・C$8
6/23
バンクーバー/33,920km
盗難防止用に、カナダのデパート、イートンでアルミのトランクを買う
以後このトランクに工具類を入れることになした。
バイク屋に注文したパーツをとりに行き、スプロケットダンパーの交換
YH・C$8
6/24
Heighte・USA/34,543km

バンクーバーを出発。前回と同じ、国境を通ったのですんなり入国出来るだけ。カナダ・ルート99からアメリカ・ルート5号をシアトルを目指して走る。シアトルの手前から、ルート2号に。高原を登りきると一面黄金色の麦畑が広がっていた。周りは何も無くただ麦畑が200km以上続いていた。途中Wenatcheeという、スイスのアルプス風の街を通り過ぎて、走れるだけ走り夜10時過ぎモーテルに入った。

Motel・US$19.6
6/25
Butte/35,058km

ルート2号をSpokaneを目指す。スポーケンからルート90を走り、ワシントン州からモンタナ州に入る。Missouleからルート90をButteを目指して走る。この辺りはロッキー山脈の続きなのだろうが、あまり険しい山道ではなかった。ビュートの手前辺りから、暗雲がたちこめ、雨が降り始めてきた。ビュートに着いた頃はかなりの雨で、またモーテルに入ってしまった。
オイル・プラス0.5リットル

Motel・$19.6、
6/26
イエローストーン/35,495km
イエローストーンをめざして走り始める。昼過ぎに到着、ここは観光地だ、キャンプ場は人でいっぱい。テントをはる場所も無い。公園内をグルと回り別のキャンプ場に入る。 キャンプ場・$6
6/27
Pinedale/35,884km
イエローストーンから、ルート191-89-287-191と走って、Jacksonを目指す。途中のGrand Tetonは映画シェーンで有名な場所だ。ジャクソンは観光客で賑わっていた、もうかなり暑い。ジャクソンを過ぎてKowキャンプ場に入る。 キャンプ場・$8.34
6/28
ララミー/36,378km
朝8時に起きるが、沢山泊まっていたキャンピングカーはもう出発していた。ルート189-191-80を通ってララミーを目指す。この辺りは西部劇で有名な地名が並ぶ。今日もKowキャンプ場に入る。ルート80を西に向かうとグリーンリバーからソルトレイクシティに、その手前にはあのツインピークスがそびえている。ララミーの隣の街はシャイアンだ。ララミー付近は、牧場が多く、ブッシュだらけの平原が広がっている。バイクのオイルの減るのが早い。 キャンプ場・$8.34
オイル・プラス1リットル
6/29
Dillon/36,780km
ララミーからルート287を進み、Estes Parkを目指し、デンバーの手前から、ルート34を西に向かう。ロッキーの山頂付近は雨がみぞれになってたき。ルート34からルート70(6)に入り、Dillonのモーテルで泊まる。 Motel・$19.6
6/30
Green Rive/37,292km

アスペンを目指しルート6-24-82と進む。山を淡々と上る、片側はカードレルも無い崖、この辺りは高級リゾート地のようだ。寒くて雨が冷たい。街をうろつくが完全に場違いなところに来た感じだ。食事をしたかったが、先に進むことにした。ルート82-70と進みGrand Junctionをめざす。グランドジャンクションは砂漠の中の街。Green Riveで今日もモーテルに入った。Green Riveのあたりは砂漠でなにもない


Motel6・$23.37、
オイル交換
7/1
Wille/37,910km

昼頃、ソルトレイクに着く。街を見て回るがこれといって面白い物は無い。暑すぎて、バイクを置いて歩き回る気にもならない。ルート80を西に向かい、湖を少し過ぎると、延々と続く直線と、周りに広がる塩・塩・塩。この辺りはリノに近く、レストランやガソリンスタンドなどにスロットルマシーンがある。食事をしに行ったところに、スロットルがあり、1セントから始まり、1・2・10・20セントとアップし、つい夢中になり45ドルも使ってしまった、最終的に200ドル取ったので、しめて155ドルの勝ち。夜中の1時にモーテルに戻ってねた。
※スロットルは1ドルのマシーンで遊ばないと勝てないことがわかった

Motel・$20.28
7/2
Falon
山の中はあんなに寒かったのに、砂漠に出ると暑い。ルート93をElyに向か。あのバニシングポイントの道を走り、Falonをめざす。
38,534Motel・$22
オイル・プラス0.5リットル
7/3
ラスベカス
ルート95を走りデスバレーに向かう。延々と砂漠を走る。デスバレーには夕方の四時頃着いた。谷に入を降りて行くと、今まで体験したことの無い、暑さに襲われる。走っていると、顔や手が熱い。もろに熱風があたるバイクもはオバーヒートぎみだ。泊まるつもりだったが、暑くて眠れそうもないので、ラスベガスを目指すことにした。夜遅くラスベガスのモーテルにチェックインした。シャワーを浴びて、カジノに遊びに行った。朝までカジノで遊んだ。 ↓Motel・$41
7/4
ラスベガス
朝6時に、モーテルに戻り、寝た。多分、昼頃起きたのだろう。再びカジノに遊びに行く。ずーっとブラックジャックをやった。 ↓Motel・$41
7/5
ラスベガス
39,276km

昼頃、力つきて、モーテルに戻り寝る。 また、カジノに遊びに行く。

Motel・$41
オイル・プラス0.5リットル
7/6
ロスアンジェルス
39,745km
朝6時に起きて、食事をして出発する。ルート15をロスアンジェルスに向かう。一時過ぎに着いた。思っていたよりも涼しかった。YHは3月に来たときと同じ。4時過ぎにチェックイン、YHには洗濯機があるので、すぐ洗濯をする。 YH・$6.25
7/7
ロスアンジェルス
朝7時過ぎにに起きて、北米ヤマハに行く。3月にお会いしたミゾグチさんに再会。パーツをお願いした。またサービスのカイさんを紹介していただき、バイクの調子をなどから、シリンダーのボーリングをして、ワンサイズ大きめのピストンを入れることになった。ヤマハでバイク屋を教えてもらい、午後はタイヤ交換に出かけた。タイヤの交換とチェーンを買う。YHに戻る途中、有料の洗車上で、洗車した。 ↓YH・$6.25
7/8
ロスアンジェルス

バイクの整備
北米ヤマハの場所を借り、朝9時から夜10時まで工場の一角で作業させてもらった。シリンダーには焼き付いた時のものと思われる傷が4カ所。バルブのイン側のポートにオイルとカーボンがべっとり。夕方5時頃、ボーリングが上がってきたので、組み始めた。夜10時過ぎまでかかってしまった。カイさんはずーっと付き合ってくれた。そうとう迷惑をかけたと思う。慌ててYSにもどる、もう門は閉まっていたし、みんな寝ていたので、ともかく寝る。

ピストンをワンサイズ大きいものに交換、シリンダーのホーニングをヤマハにお願いした。 タイヤの交換・F&R
エンジンのオーバーホール
ピストン&リングの交換、バルブ・バルブスプリングの交換、ステムシールの交換、ハンドルの交換、グリップ左の交換、オイルエレメントカバーの交換、クラッチレバー、ブレーキレバーの交換、プラグの交換、オイルフィルターの交換 。クランクから上の部分の整備が中心だった。

↓YH・$6.25。
7/9
ロスアンジェルス
北米ヤマハの近くのモーテルに移動することにした。昨日できなかったオイルの交換をする。パーツが少し減ったので荷物の詰め替えをする。 Motel・$20
7/10
ロスアンジェルス/40,110km
サウスコースショッピングセンターに行く、銀行で持っていた円をドルに交換する。1ドル168円だった。またバイク整備、リアブレーキパットの交換 Motel・$20
7/11
フェニックス/40,700km
北米ヤマハに挨拶に行くが、誰もいなかった。お礼をいって。出発。ルート10をフェニックスに向かう。夜はカップヌードルをたべた。 YH・$7
7/12
Las Cruces/41,295km
ルート10をエルパソを目指して走る。熱い。エルパソまで後少しだったが、力つきてラスクルーセルのモーテルに入った。 Motel・$23.29
7/13 日
エルパソ/41,363km
走り始めて1時間もしないうちに、エルパソに着く。YHはホテルも兼ねているようだった。日曜日なので街はひっそりしていた。今日、走っている最中に、長く使っていたグローブを落としてしまった。夕方YHに戻ると早稲田の学生がいた。夜、彼と二人で、徒歩で国境を越えメキシコを見に行く。思っていたよりもかなりひどいところだった。

アメリカで買ったもの。キャンプ用のマット、ランタン、ランタン用のキャンドル、荷物を縛るゴムバンド6本、工具箱、アルミのトランク、空気入れ、ジャッキー、モンキーレンチ、アルミのトレー、オイラー、ジョーゴなど。

YH・$8.63
セントロ=街の中心

7/14
エルパソ
メキシコ領事館にツーリストカードをもらいに行く。ツーリストカードをもらったら今日は何もすることが無い。 ↓YH・$8.63
7/15
エルパソ/41,363km
街をぶらつき、YHに戻ってくると、また、ほ日本人の学生が来ていた。オクラホマ大学に留学していると話していた。その留学費用は1年で200万円かかるそうだ。
アメリカ・カナダだけで4ヶ月で34,000km走った。
YH・$8.63
7/16
Delicias・MEXICO

朝から国境越え。入国。街はシウダード・ファレス。ルート45号を走って行ったら、再びゲートがあり、permiso para という、書類が必要だと言われ、国境の橋まで戻れと言われた。戻るとツーリストカードの空欄になにかタイプされた。再びゲートまで行くと、今度は、何も聞かれず、荷物をぽんぽんとたたいたOKという。約2時間無駄にした。チワワで泊まろうと思ったが、泊まれそうなところが無く、先に進んだ。食堂の前にトラックが止まっていたので、食事が出来るだろうと思い、自分もそこに入った。女の子が来て、何かを言っていたが、意味不明。とりあえず、コーラをのみ、何か食べたいと言ってみたが通じなかったようだ。80セント払い、先に進む。ルート45号沿いのデリシアスという街のモーテルに入る。ちょっと高かったがしょうがない。食事をしに行き、風呂に入って寝る。

メキシコに入るとやっと少し話せるようになった英語がまったく通じない。へたをすると食事もできない。ガソリンの本当の値段もわからない。そう、アメリカではほとんどセルフだったが、今度は人が入れてくれる。周りの景色は、戦後の東京を撮影した記録映画を見ているような感じだ。

※メキシコのホテルは安く、コロニアル様式の建物に中庭がある。そこにバイクを置けるので、YHなどは使わずに、ホテルに泊まった。

山道を荷物満載で列を作ってのろのろと走るトラック。後ろから見るとタイヤがグニャグニャとよじれている。真っ黒な排気ガスを浴びて後ろを走っているのは辛い。一気に全部追い越したいのだか、数が多くなかなか抜けない。

Motel・P6893
(1US$=P615から658)
7/17
Durango
雨の中を走り続け、夜やっと街に着いた。宿を探している時、水たまりの上を通過したら、何と深くえぐれていた穴だった。前輪から突っ込み危うく転倒しそうだったがなんとか持ちこたえた。もう既に、全身びしょぬれ。 Hotel・P5500
6000ペソで約US10ドル。
7/18
Mazatln/42,826km
露天のタコスを食べて激しい食中毒に。夜中に激しく吐いてしまう。ひどい下痢。

※メキシコ道路では、街の入り口辺りに段差が作られ、車のスピードを強制的に落とすように作られている。うっかりスピードを落とさないでいると衝撃で転倒しそうなる。
夜中に激しいく嘔吐。
Motel・P5500
7/19
Tepic
食中毒が治らない。苦しくて、1日少ししか走れない。 Motel・P5800
7/20 日
Guadlajara
食中毒が治らない。今日もちょっとしか走れない。 Motel・P4000
7/21
La pieda 43500km
食中毒が治らない、プラグの交換
下痢と腹痛で、長い距離を走れない。また、夜中に吐いてしまう。
Motel・P6060、
7/22
Ca Hidlgo
食中毒が治らない Motel・P3440、
7/23
Mexico City

やっとメキシコシティにたどり着く。日本大使館に電話して教えてもらった日本語が通じる病院へタクシーで行く、住所はカタカナ読みで通じた。日系の医師は、日本の開業医と同じような感じだった。やはり、食中毒。処方箋をもって街の薬屋で、薬を買う。薬は安い。処方された薬の一つは抗生物質だったのだか、一つが1gだった。
この処方箋はその後、中南米のどこの薬局でも使えたので、時々抗生物質を補充した。

Hotel・P6000
7/24
Mexico City
体調が悪い。メキシコシティの観光にでかける。 Hotel・P6000
7/25
Mexico City
体調が悪い。メキシコシティにある日本観光協会にいき、所長にグアテマラの話など聞いた。 Hotel・P6000
7/26
Mexico City
体調が悪い。メキシコシティの観光にでかける。 Hotel・P6000
7/27 日
Mexico City
体調が悪い Hotel・P6000
7/28
Mexico City
メキシコシティは1985年9月19日の地震で多くの高層ビルが倒壊。1年以上たっていたが、ところどころ壊れたビルがそのまま残っていた。特に上層階が壊れたビルがそのままだった。

この時期、メキシコは雨期。午後になるとザーツと激しい雨が降る。1時間ぐらいで雨は上がる。昼は暑いので、カッパなど持たないで出かけると、必ず雨で立ち往生する。
Hotel・P6000(やっと回復)
7/29
Roze Rica45,000km
※メキシコシティをすぎて南下して行くと、街に近づくとコントロール(検問)があり、止められ、パポートをチェックされる。これからずっとこんな調子。 Hotel・P4710、オイルの交換
7/30
Veracruz
オアハカまでは深い山道、途中はジャングルでスリル満点だ。ジャングルは蒸し暑く、そして深い山道は、とても寒かった。 Hotel アカプルコ・P2400
7/31
Oaxaca
荷物が重く、さらにリアサスがヘタってきたのか、荷物のキヤリヤーがタイヤに当たり、タイヤが傷だらけだ。キヤリヤーの手直しをする。
サントドミンゴ教会の美しい装飾、モンテアルバンのピラミッドを見に行く。
Hotel De Arbol・P3500
8/1
Oaxaca
オアハカは観光地で、多くのパックパッカーがいた。メキシコの時間はゆっくり流れ、朝食を食べるのに1時間もかかってしまう。モンテアルバン、ヤグールの遺跡、ミトラを見に行く。 Hotel De Arbol・P3500
8/2
Tehuantepec
朝、食事に行くがまた待たされた。トースト、卵、コーヒー、オレンジジュースで1250ペソ、だいたいUS2ドルだ。オアハカを出てヤーグルの遺跡に、その後ミトラに向かう。今日は風が強く距離が伸びない。
寂れたホテルに泊まる。むかしはモダンなホテルだったのだろうが客も少なく、壁にはイモリ か、ヤモリかが這っている。天井の扇風機は暑い空気をかき回しているだけ。窓を開けると虫がいっぱい入ってきて、眠れそうにない。
どこの国もいなかに行けば行くほど、人々は親切だ。
Hotel・P2700
記録なし
8/3 日
Villahermosa
朝九時半に起きて出発。風邪か強く、Villahermosaに向かう途中の遺跡に寄るはずが通り越してしまった、スコールが降っていたし、とても蒸し暑い。それほど大きくないが、まともな感じのホテルに入ったら、高かった。しかし風呂は無くシャワーだけ。レストランの食事もおいしかった、多分、高級ホテルなのだろう。汚いジーンズにTシャツ姿で入るのは気が引けた。ホテルは大盛況で大勢の人で賑わっていた。ホテルに泊まりにくること自体がレジャーなのかもしれない。こんなホテルでも米ドルにすると20ドルぐらいで、アメリカで格安のモーテル6に泊まるのと変わらない。 ↓Hotel Viva・P12880
8/4
カンペチャ

ユカタン半島にさしかかった辺りから、雲行きが怪しくなってきた。雨が降り始めたが、あまり濡れないうちに街に着いた。
カンペチャは、街の中心にむかしの要塞がきれいに残っていた。要塞に囲まれたところが旧市街。美しい町並みだ。バイクを置けるホテルを探したが見つからず、結局海に面したホテルに入った。それほど高くないだろうと高をくくっていたら、外れた。35,000ペソと言われ、思わず聞き直してしまった。部屋もきれいだし、言うことなしだ。バイクから荷物をとりに行こうと思ったら、外は既に豪雨だった。荷物は雨の中にさらして食事をすることにした。

Hotel プレジデンテ・P16000
8/5
メリダ46,500km

チェックアウトの時に、さらに19,000ペソ払えと言われたと思い、両替したら、どうやら19,000ペソ戻すので、レシーボをよこせと言っていたのだった。つまり、このホテルは一泊16,000ペソだった。

メリダに向かう途中に遺跡による予定だったが、道が分からず迷走。ガソリンも少なくなって来たので遺跡はあきらめて、メリダに向かう。そのうち腹がたってきた。大まかな地図しか無いのでしょうがないのだが、迷走する自分自身に怒りが込み上げてくる。3時頃メリダについた。セントロ(街の中心)をめざして進み、セントロを超えて左に曲がり、もう一度左に曲がったところにバイクを中庭に置けそうなホテルを発見。チェックインして荷物をおろすと間もなく雨が降って来た、雨期なので1日一度は雨が降る

道を探している途中でバイクを倒した。またサイドバックの角が壊れた。もう、自力では、バイクを起こせない、一度、荷物を降ろしてから起こす。果たして、ヨーロッパまでサイドバックは保つだろうか。

Hotel・P2700
8/6
メリダ
午前中に銀行に行き両替、今日はレートがいい。1米ドルが658ペソだった。今日は1日バイクの整備をする。エンジンのポートをみたら、またカーボーンがべっとりついている。原因不明。メインジェットも変えてみようかと思い、パーツを確認したら小さなサイズのものしかない。なぜ…。
夜はレストランで豪華な食事。昼間、荷物を全部出して、濡れている物を乾かした。
Hotel・P2700
8/7
メリダ
遺跡観光。

60kmはなれたウシュマルに。今まで見た遺跡とは比べ物にならないほど、圧倒的に美しかった。見て回るのに1時間以上かかった。次にカバーの遺跡に行く。サイル、xlapa、ラグナーと回った。xlapaの遺跡には、大きなトカゲがいた。多分イグアナだろう。40cm以上はありそうだ。近づくとと、遺跡の石と石の間にかくれてしった。
Hotel・P2700
8/8
メリダ

遺跡観光。
メキシコでは朝9時前後に起きている。起きて、チェチェンイッツアーを目指すが、ガソリンスタントでオイルに乗って転倒。スロットル側のハンドルが曲がってしまった。スロットルが戻らない。遺跡観光はあきらめてホテルに戻り修理することにした。ホテルにあった4mぐらいの水道管をかりて、ハンドルの曲がりを直す。アルミハンドルだったので、意外に簡単になおった。既に2時をすぎていたので、Dziblchatunという遺跡に行ってみることにした。かなりの距離を歩き、遺跡を見て入り口に戻った頃、雨が降り始めた。少し雨宿りしたが、止みそうも無い、しょうがなく激しい雨の中、メリダに戻ることにした。メリダに戻ると、街の道路は川のような状態。だから、家は石造りで、道路と歩道の段差を高くしてある。

Hotel・P2700
8/9
メリ ダ
遺跡観光
起きて、チェチェンイッツアーを目指す。遺跡は巨大で、見て回るのに3時頃までかかった。メリダに戻り、買い物にマーケットに行った。洗剤、インスタントラーメン二個、キャンベルのスープ二個、ビスケット、メロン一個、ハム、牛乳、コーラ、タッパー、パン三個を買った、これで3700ペソ。約5米ドル。

※タコメーターワイヤーが切れたので以後使用しないことにした。
Hotel・P2700、
8/10 日
カンクン
カンクンは、有名な観光地。始めからYHに泊まることにしていた。
夕食は近くの日本食レストラン「島」に行ってみた。お茶を頼んだがお茶の味がしない。刺身を頼んだら貝、マグロ、白身の魚、それにカニカマボコが出て来た。刺身のあとサラダとみそ汁がでてきた。その後鉄板焼きの開始。野菜、肉を焼くがヒレ肉はレバーのような味でまずい。やたら塩っぱい。タレが二種類あり、一つはポン酢のようなレモンと醤油を混ぜたもの。まずくて食べられない。もう一つはみそダレ風だが、変な味。もやしをバターで炒めてしまう。高くてまずくて、悲しい夕食。

毎回思うのだか、観光地で安宿に泊まると、ろくなことが無い。
YH・P1310
8/11
カンクン
朝食を食べ、ビーチに行ってみたが、誰もいない、みんなどこに行ったの ?
することも無いので、高級ホテルが並ぶ地区にウィンドウショッピングに出かける。

※YHは日常的に断水状態。朝一番の便所は、水が流れないため、うんこであふれている。
YH・P1310
8/12
カンクン

遺跡観光に出かける。
170km走りトウルム、コバーに行く。コバーの遺跡はジャングルの中にある。手前にちょっとした湖がある。入ってすぐにピラミッドがあったが崩れて形をとどめていない。奥へ奥へ行く道があったので行ってみた。だけど何も無い。途中で見かけた二人の少女がとても不気味だった。一人は木の枝にオウムを乗せていた。道の周りには10cm以上もある芋虫がびっしり張り付いた木が並んでいる。始めは木の模様かと思った。
夕食はYHで食べる。ポテトとツナのサラダ、白い飲み物、パン二個、小豆をすりつぶしたスープで約1米ドル。

YH・P1310、
8/13
Chtumal

雨が降りそうだったが、暑いのでカッパを着ないで走り始めたが、雷が鳴り始めたので、しょうがなくカッパを着る。街の手前のジャングルの一本道でメキシコ軍に止められる。なんやかんや言われ、荷物を検査している。とりあえず国際免許を見せた。後は、何を言われても知らないと答えて乗り切った。雨が上がったばかりの街は、じめじめしていて、しかも3時頃だったので昼寝の時間。店は閉まりひっそりしていた。バスターミナルのそばの安宿に入る。荷物を置いてすぐ、ホテルのそばの食堂に入るが、スペイン語しか通じない。何を食べたらいいのか分からず、pollo……と書かれているものを頼んだら、肉と野菜のスープだった。トルティージャが付いていた。今夜は下痢に悩まれそうな感じがする食堂だった。疲れていたのか5時過ぎに寝てしまった。夜に目が覚めたので、洗濯をした。

Hotel・P2900
8/14
Chtumal
48,325km
朝早くから、部屋の前の駐車場から車を出す音がうるさくて目が覚める。メキシコの車は、マフラーを替えていたり、壊れていたりでやたらうるさい。バスターミナルに朝食を食べに行く。トースト、卵、ベーコン、ミルクコーヒーと、だいたいいつもと同じだ。メキシコではペーコンを頼むと小間切れにして卵と混ぜたねスクランブルが出てくる。ミルクコーヒーはミルクにお湯を入れたものがでてきら、テーブルの上のインスタントコーヒーを入れて、ミルクコーヒーの完成。
今日は、バイクの整備をする。スタンドの補強、チェーンの調整、バルブクリアランスの調整、プラグの交換、不要になったタコメーターの取り外し。
夕方、おなかがすいたので、昨日の食堂に入る、今日は人の食べてる物をさして注文。鳥の焼いたものと、コーラにトルティージャで腹一杯で800ペソ。ホテルでぼーっとしていると、激しいスコール。
Hotel・P2900、プラグの交換
8/15
FranciscoEscarcega

荷物をまとめ、パレンケを目指して走り始める。何度が軍の検問にあったが、無事乗り切った。途中、休憩で泊まった場所が悪かったのか、パンクした。メキシコは、路肩にいろんなものが落ちている、バイクを止める時はいつも注意していたのだが、よりによってこんなところでパンクだ。ジャングルの一本道。反対車線にバイクを止めて、荷物を降ろしてパンク修理。ガラスが刺さっていた。ガラスを抜いて、プラグを入れた。街まで走り、ガソリンスタンドで確認すると、傷が大きく空気が漏れていた。ホテルに入り、再度修理するが、タイヤを外して裏から直す必要がありそうだった。

タイヤを外すのは大変だった。なかなか外れない、そのうち雨が降り始め、雨と汗がが眼鏡を曇らせる。タイヤを外すのに3時かもかかってしまった。裏からパッチをはってタイヤを組み込むが、ここでコンプレッサーが無いとミミが出ないことに気づく。悲しすぎる。20mぐらい先に車のタイヤの修理屋があり、そこまでタイヤを転がして持って行きエアを入れた。ホテルに戻って組もうとしたら、まだ空気が漏れている。チューブレスタイヤ用のちゃんとしたパッチが必要なのだろう。途方にくれていてもしょうがないので、パンク修理用のプラグを二個入れてみた。もう夜7時、とりあえず、これで様子をみることにした。もうへろへろだった。体力勝負だ。

こういうことが起こる度に、自己嫌悪に落ちる。最大の注意力、決断力、判断力が全てを決めてしまう。曖昧な自分にうんざりだ。不用意にバイクを路肩に止めなければ、こんな無駄なことをしないで済んだのに。それに、せめてチューブくらい持ってくるんだった。

Hotel・P4500
8/16
パレンケ

朝起きて、パレンケまで、だましだまし走った。昼頃、村に着いた。タイヤを修理するか遺跡を見に行くか迷ったが、タイヤを修理することにした。店を覗いて、修理用具を探しが、無かった。車のタイヤの修理屋に行ってみたら、少し英語の話せる兄ちゃんがいたので、修理できるか聞いてみた。今は停電中なので2・3時間後に来いという。その店での修理は、小僧が行い、最初は裏にパッチを這っただけだったが、この店の主人らしき人が戻ると、小僧に何か文句を言ってから別のへそ付きのパッチで直してくれた。タイヤをホイルに組み込んだ後、タイヤが逆向きに着いていた。前も後ろも同じパターンのタイヤだったので、もういいことにしにしてしまった。これだけやってもらって1500ペソだった。

Hotel・P5000、
8/17 日
パレンケ
遺跡観光へ。
遺跡までは10kmぐらいある。山の中腹に遺跡があり、最初に大ピラミッドが目に飛び込んでくる。遺跡を一回りし、大ピラミッドに上ってみた。頂上から、ピラミッドの奥に階段が通していて、降りて行くとあの有名なレリーフが置かれている部屋がある。部屋一面に棺のようなものが置かれ、そのふたにあるのが宇宙船を操縦しているように見える有名なレリーフだ。今日泊まったホテルに何人かの職人が土産用にこのレリーフを彫っている。ホテルにもB全版ぐらいの大きさの完成品が置かれていた。風邪を引いたらしく、熱と汗で、寝苦しい。
Hotel・P5000、
8/18
Comitan

風邪で寝込む

朝から熱がある。パレンケを出発すると、延々と続く砂利道、そしてダート。Comitanに4時頃到着。この先の国境まで行けばホテルがあると思い、さらに85km走った。行ってたら国境には何も無く、グァテマラに続く山道が続いるだけだった。街まで引き返すことにした。熱でモウロウとしている。必死で走りComitanに戻りホテルに入る。ホテルの横の薬局でメキシコの風邪薬を買う。薬局には、お姉ちゃんがひとり、暇そうにしていた、赤く塗られたマニュキアはもう所々はげていた。部屋に戻り薬を飲んで寝る。

Hotel・P3600、
8/19
Comitan
風邪で寝込む
この街は、山岳地帯にあるので、涼しい。店は3時ころで閉り、午後はひっそりとしている。セントロのベンチにじっと座っている老人、銀行の入り口の横に座り込む足の悪い男、あちこちにたむろする目つきの鋭い少年達、菓子やくじを売る少年、きれいに敷かれた石畳、いつ替えたかわからないテーブルクロス、商品も無いのにキャノンのポスターが目につく。ここを過ぎればメキシコも終わり。
Hotel・P3600、
8/20
Comitan
49,378km
夕方から、若者が街に繰り出し騒ぎ始める。夜8時を過ぎているのに外は賑やかだ。ホテルの窓から山の方を見ると雷が光っているが、街には近づいてこないのだろう。夜空に光る閃光が観ように美しい。教会の白さがひときわ白く見える。店の売り子は、仕事とは言えないような時間を夕方まで過ごし、そして夜に華やぐのだろうか。国境の街は、死んだような昼間とはうって変わり夜になって賑わう。メキシコの夢は夜開くのか。 Hotel・P3600
8/21
HuehueTenango
Guatemala
49.456km

メキシコから先、入国時に記載するバイクの書類は全てスペイン語。同じことを毎回記載するので紙に書いたメモを常に持ち歩いた。

入国税U$3とバイクU$5
ホテル・Q4.7(U$1=2.5Q)
8/22
Panajachel
パナハッチェルは観光地で、宿には、多くのパックパッカーが集まっていた。 ホテル・Q17.6
8/23
Chichicastenango
チチカステナンゴは、毎週木曜と日曜に開かれる市場で有名。マヤのキチェ族の文化が色濃く残る町とされている。ここにも多くのパックパッカーが集まっていた。 ホテル・Q2.3
8/24 日
Guatemala City
グアテマラシティーに到着、バイクを中庭に置けそうな安宿を見つけチェックイン。 ホテル・Q5.83
8/25
Guatemala City
  ホテル・Q5.83
8/26
Guatemala City
48,793
バイクの修理、グアテマラのヤマハの代理店でパーツを購入し交換。チェーン・F&Rスプロケットの交換、Rタイヤの交換(SRの旧型に付いていたBS)、チェーンの交換、ダンパーの交換。

ヤマハの代理店でヤマハの会報誌を見せられた。記事に自分のことが書かれていて、お前だろうと言われる。
ホテル・Q5.83、
8/27
Guatemala City
ティカル遺跡のツアーに参加。グアテマラシティーからは飛行機でティカルへ向かう。バイクは飛行場に置いていった。 ティカルツアー
小型機でティカルへ、U$100
8/28
Guatemala City
  ホテル・Q5.83
8/29
Guatemala City
この先、どうやって南米に渡るか検討した。パナマまでいってバイクを送るか悩んだ。結局内戦が続いているニカラグアはパスし、グアテマラからバイクを南米に送ることにした。

※後で、ニカラグアは通過できたし、バイクはパナマから送った方が簡単だったと聞いた。
ホテル・Q5.83
8/30
Guatemala City
  ホテル・Q5.83
8/31 日
Guatemala City
  ホテル・Q5.83
9/1
Guatemala City

バイクを代理店カニサ持ち込み、航空貨物でコロンビアに
しかし、この飛行機がサンアンドレス島経由だとは知らなかった。
代理店カニサとは、メキシコの日本観光協会で教えてもらった、日本人がやっている旅行代理店運賃はUS700ドル(運賃+手数料)

ホテル・Q5.83、
9/2
Guatemala City
  ホテル・Q5.83
9/3
Guatemala City
宿を変えた。 ホテル・Q389.3
9/4
Guatemala City
航空券US280ドル ホテル・Q389.3
9/5
サンアンドレス島
COLMBIA
49,987km
飛行機でグアテマラを出国。直接コロンビアに向かうものと思っていたら、サンアンドレス島経由で、ここで一泊することとなった。この島全体が免税のため、多くの人が電化製品を買いにきていた。つまり、この飛行機は、ここによるのが目的だったのかもしれない。
飛行場に着いたらバスで、ホテルに連れて行かれてた。ホテルの部屋は家電製品の段ボールであふれていた。蒸し暑く、何もすることがない。
乗り換えのため、一泊
Hotel・C$1900(U$1=193.97)
9/6
サンアンドレス島
ホテルからバスで、飛行場に。朝の便だったが飛行機が実際に出発したのは夕方。なんてこった。8時間以上、何もない空港で待たされた。やっと着いたBarranquillaではホテル探しもできそうにない、同じ飛行機に乗り合わせた乗客に手頃なホテルを教えてもらった。そのHotelへタクシーで行った。行ってびっくり、高級ホテルだった。超が付くくらい。身なりに見合ったホテルを紹介して欲しかったなー。 航空券、280ドル

9/7 日
南米
Barranquilla・COLMBIA

ホテルは四つ星だった。タクシーでホテルに来たため自分がどの辺りにいるのかさえ分からなかった。地図もないし。治安の悪いコロンビアであり得ないぐらいの無謀さだ。
コロンビア入国
Hotel プラド
・C$8952、
9/8
Barranquilla
日本人の感覚では航空便で送ったのだから、すぐ荷物が届くと思い、バスで飛行場に行き航空会社のフロントで荷物が現地を出たかを確認しに行ったが、まだだと言われる。 Hotel・C$8952
9/9
Barranquilla
以後、荷物の到着確認のために何度も市内バスに乗って空港のカウンターに行き、 その度に航空会社のカウンターの係員の対応の悪さに何度もぶち切れる。怒ると、チーノ(中国人)が騒いると言われる始末。 Hotel・C$8952
9/10
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/11
Barranquilla
まさかこんなことになるとは… Hotel・C$8952、
9/12
Barranquilla
毎日暑い、ホテルは四つ星なのでプールがある。一人で泳いでも面白くもない Hotel・C$8952、
9/13
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/14 日
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/15
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/16
Barranquilla
セントロ(アメリカて言うダウンタウン)に観光に Hotel・C$8952、
9/17
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/18
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/19
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/20
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/21 日
Barranquilla
バイクの到着を待つ。 Hotel・C$8952、
9/22
Barranquilla
市内バスに乗って空港のカウンターに行く。やっとバイクが到着したのを確認、空港の外れにある航空貨物会社に行ったが、通関できない。航空貨物会社の人が、日本人ではなにも出来ないだろうと心配してくれ、日系人Dokuという方を呼んでくれたが、日本語は話せなかった。ただその日系人が通関を手伝ってくれるとのことだった。

※航空貨物でバイクを送ったのに2週間以上かかった。日本からカナダに船便で送ったのと変わらない。中南米の時間は日本の感覚と違うことを知るべきだった。
9/23
Barranquilla
Dokuさんのオフィスに泊めてくるというので、移動する。
※コロンビアでは個人で荷物の通関は難しい
9/24
Barranquilla

Dokuさんのオフィスに泊まる。夜は外から鍵がかけられるので、外に出れない。幽閉状態。

9/25
Barranquilla
バイクは、空港から税関に移動されていて、通関するには税関のオフィスで何人かの係員にスタンプをもらって行くのだが、その度にDokuさん少額のワイロを机の引き出しの中に置いていた。

航空貨物会社の人がDokuさんを呼んでくれなかったら、おそらく自分では通関できなかっただろうと思う。運がいいとしか言いようがない。まだ神に見放されていない。通関するために、エアビルが1枚、そのコピーが2枚、タイプしたものが3枚、用紙を買ったものが3枚、新たに作ったものが4枚、そのコピーが3枚、合計22枚の紙が必要だった。
バイクをやっと通関でき受け取る
9/26
Barranquilla
49,987km
Dokuさんのオフィスに泊まる

ベネゼーラに行くつもりだったので、ビザを摂ったのだが、荷物の到着と通関に時間を費やしたので、行かないで南下することにした。

サンアンドレス経由でコロンビアに入国時すると、コロンビアでの滞在日数は15日しかもらえない。そのためセントロ(街の中心)の事務所で滞在延長手続きをした。
 
9/27
Bucaramanga

いよいよ、南米の旅。
それにしても大陸を超える度に通関トラブルだ。これからが思いやられる。

DokuさんがBucaramangaで日本人がレストランをやっていると紹介されたので会いに行ってみた。東京レストラン・奥田さんに会う。知らない日本人になぜ会いに行ったのか自分でも分からない。ただ、無駄な時間を過ごしただけだった。

※この頃、南米のガイドブックなどは、JTBのポケットガイドみたいなものしか入手できなかった。アメリカやヨーロッパでは、○○シューストリングという、地球の歩き方の原型となったと思われる、ガイドブックをみんなが持っていた。そのため、欧米人はだいたい同じ宿に固まっていた。
ブカラマンガまでの道のり、所々で料金所があったがバイクは無料のようだった。街の手前には検問があり、時々止められられた。着いたのは5時半を過ぎていた。600kmを9時間で走った。

Hotel・C$800
9/28 日
Bogota
ブカラマンガを9時頃出発。ボゴタに近づくと寒くなってきた。しかも雨が降ってきた。雨が降ると豪雨になる。5時過ぎにボゴタについたのだか、街が広く、今とこにいるのか分からない。毎度のことだ。適当にはしって、手頃なホテルに入った。寒くて体がガチガチ。とりあえず食事に行く。肉とポテトとライスで約300ペソ。
ボゴタは治安が悪く観光どころではなかった。両替所で両替した人が、周りを確認し、走って人ごみの中に消えて行った。そうとう危険なのだろう。
それでも、昼間は歩きで、黄金博物館や、1985年の左翼ゲリラM-19によるコロンビア最高裁占拠事件の跡地なんかを見に行ったりした。
Hotel ボゴタ
・C$2390
9/29
Bogota
日本大使館へ行った。
大使館はビルの中にあり、扉は二重で最初に電動の扉が開き、中に入るとそれがロックされ、次の扉が開き、オフィスに入ることが出来るという異常なほどの警戒だった。
無事、通関できたことを伝えた。そこで、過去に通関するのに一ヶ月以上かかった人がいたことや、Dokuさんは昔コロンビアのサッカー選手で有名人であることを知らされた。
Hotel・C$2390、
9/30
Bogota
ボゴタのセントロに行ってみた。明日は移動。
ガソリンは1ガロン120ペソ前後。エクアドルのビザをとりにタクシーに乗った。ちゃんとメーターが付いていた。両替は、ヒルトンホテルの近くの両替屋を使った。1ドルが205ペソだった。
Hotel・C$2390
10/1
Cali
7時過ぎには、出発した。ホテルの駐車場からでるとすぐに、変なおっさんが近づいてきて、コカインはいらないかと言っていた。走り始め、大きな街の中で迷い、30分以上走り回ってしまった。ルート40を走り、カリを目指す。Ibagueイバゲから登りでArmeniaアルメニアまで標高3250mまで登る。ワインディングロードが続き、雨が降り、しかも寒い。途中、下りで道路の油に乗り思いっきり転倒。足がバイクの下敷きになり、起きあがれない。たまたまコーナーの横に家があり、たまたまロバをひいた人が、雨宿りしていた。その人が起こしてくれた。峠は荷物満載のトラックがノロノロ走っているので、車にひかれることはなさそうだったが、ハンドルが曲がり、アクセルが戻らない。右足の膝をしたたか打った、腰も痛いが、ともかく、カリまで走ることにする。カリのホテルはセントロに集中ていた。街をぐるぐる回り、手頃なホテルを見つけた。汚い格好だったが、バイクに乗った日本人が来たので、ちょっとした騒ぎになった。バイクはホテルの隣の改装中の事務所に置かしてもらった。

今日はカリに泊まる。カリは、麻薬組織カリカルテルの本拠地だ。
ここでは、ただ泊まっただけ。
Hotel・C$1800、
10/2
Cali
朝から雨が降っていた。迷ったが9時半過ぎに出発。 ルート25を走り、Popayanポパヤンを過ぎて80kmあたりのところで食事をした。カッパを脱いだ時、パスポートがないのに気づいた。いつも寝る時はパスポートを枕の下に入れて寝ていた。この日に限って、パスポートをそのままホテルに忘れたまま出発してしまったのだ。
ホテルのレシートを持っていたので、泊まったホテルに電話をし、パスポートを忘れたことを話した、パスポートはホテルで保管してくれていた。いつ取りに来るかと言っていた。また、来た道を200km走る。幸い雨がやみ、走るのは楽だったが、バイクはオイルがきれてカチカチいっていた。5時半かりに着いた。今日もカリに泊る。つかれた。片言の英語で良く意思が通じたものだ。
Hotel・C$1800
10/3
Ipiales
52.314km
8時過ぎ、昨日と同じ道を、Popayanポパヤンを目指して走る。晴れていたので、山道もあまり苦にならなかった。ポパヤンからPastoパストまでは、まだ300kmぐらいある。深い山道で所々ダートだった。さらにところどころ崖が崩れ、道が悪い、バイクが今にも壊れそう。パストの手前辺りから、雨になり、さらに寒い。パストからIpialesイピアレスまではさらに深い山道で、雨は豪雨となった。この辺りは岩山が多くいまにも崩れそうだった。今日はイピアレスまで500km走った。ボーダーの街は両替屋のおっさんが、うろつき、安宿も沢山あった。

コロンビアは、治安が悪く急いで通過した。なのでろくに観光もしていない。 なぜ、コロンビアに来たのだろう、危険な国を通過するだけのために、グアテマラからコロンビアに、バイクを送り、時間とお金を無駄にした。始めからバスして、エクアドルに送るべきだったのでは。
Hotel・C$700
10/4
南米
Quito・ECUADOR

朝、出発をしようと準備をしていると、その辺のおじさん達に取り囲まれ、いい見せ物になってしまった。国境まではほんの数キロだが、深い山道を走る。カッパをきて走る。国境ではカルネに出国スタンプをもらえたし、エクアドルでもカルネが普通に使えた。

コロンビア出国時に、税関職員が入国スタンプに書かれてあった滞在日数の15日をさして、オーバーステーだと行って来た。ハ ハ ハ ハ ハ、ちゃんと延長申請してありますゼー。

キトーまでは260kmぐらいある。国境をこえて、山道を登り、山頂あたりからキトに下る途中で激しい雨に遭遇。瞬く間に土砂が土石流となり道路に流れ出し、道路上に数台の車と一緒にとり残されてしまった。雨は1時間ぐらいで止んだか。道路上には所々にとり残された車が離れ小島のように点在していた。すぐに山の下の方からブルトーザーが土砂を押しのけるためあがって来た。1時間たたないうちに、大まかに土砂を押しのけ車が通れるようになった。
動き始めた車と一緒に走り始めたが、石や砂にハンドルが取られ、コケそうだ。両足を着いて山をゆっくり走ったが泥にタイやをとられ、身動きできなくなった。周りにいた男達が押してくれた。泥に乗り上げたところで、チェーンが外れた。路肩に寄せてもらい、チェーンをかけて、またトロトロと走り始め、なんとかキトについた。古びたホテルに入った。バイクも自分も泥まみれだった。宿に入り、とりあえず洗車と洗濯。チェーンの整備。

エクアドル入国
Hotel・S800(U$1=142.5)
10/5 日
Quito
52,580km
キトーでは、バイクの整備をすることにした。 エアクリナーの交換、ブレーキパットRの交換。すでにリアサスはへたってしまい、底ずきしゴトンゴトンと音がする。高地のせいか体調が悪い、ホテルで横になり少し寝てしまう。食欲もあまりない。 Hotel・S840、
10/6
Quito
朝から両替屋にいく。ホテルに戻り、バイクでツーリストオフィスに地図を入手しに出かけ。ガソリンスタンドでバイク屋を教えてもらい、タイヤ交換に行った。しかしサイズが無い。400ccクラスのバイクはあまり走っていない。主に250かそれより小型のバイクばかりだ。3.25サイズがなく、3.50しか無かった。仕方なく交換したら、フロントのフェンダーが当たって入らない。バイク屋のお兄ちゃんと話し合った結果、フェンダーを削ることにした。
タイヤFの交換(ダンロップ)、料金は80米ドルだった。一度ホテルに戻り、また別のバイク屋にオイル交換に出かける。オイルフィルターも交換してもらい、オイル代は3リットルで765スクーレと工賃200スクーレ。ホテルに戻りブレーキパットFの交換。バイクの整備に追われっぱなし。キトーのバイク屋にはいろんな商品が揃っている、アライやベルのヘルメット、モトクロスパンツなどのウェア、ゴーグルやグローブ、バイクはトレールが主でDT125が多かった。
Hotel・S840、
10/7
Quito
キトは赤道直下の街だが、標高が高く夜はセーターがないと過ごせないぐらい、寒かった。12時から2時半まで、お店が全部閉まる。なにもすることがなくなる。 Hotel・S840
10/8
Guayaquil
ここも治安が悪く、暑くて居心地が悪い。街をさまよって安宿を見つけて宿泊。

エクアドルはバナナの産地で、街道沿いにはバナナのプランテーションが広がっていた。ジャングルの中を走っていると、プランテーションにスプリンクラーが撒き続ける水を何度も浴びた。
Hotel・S800
10/9
MACHALA
53,300km
  Hotel・S1700
10/10
南米
Talara・PERU
国境を越えると闇両替屋が群がってくきた。周りは闇市状態で、露天が並ぶ狭い道を抜けて行く。 闇両替屋に取り囲まれたので、少額の米ドルを交換してみた。枚数が異様に多い。この国は超インフレで、毎日通貨のレートが下がって行った。米ドルを両替する時は小額ずつ両替しないと損だ。
ホテルに入り、お金を払ったら、古い札を渡されたことを知らされた。
ペルー入国Hotel・779.15、
10/11
Chiclayo

パンアメリカンハイウェイを走り南下して行くのだが、道路標識がいい加減で何度も道に迷ってしまう、しかも、一部道路工事中だったため、ダートだった。

ペルーではコーヒーを頼むと、瓶に入った濃縮コーヒーとお湯の入ったカップが出てくる。お湯の中に濃縮コーヒーを入れて出来上がり。メキシコでは、ネスカフェ(インスタント)が出てきた。

Hotel・90.0
10/12 日
Chmbote
  Hotel・138
10/13
Lima
セントロ近くの安そうなホテルに泊まった、一階のロビーにバイクを入れさせてもらった。宿の目の前に洗濯屋があった、珍しかったので覗いてみたら、日系人の店だった。もちろん日本語が通じた。 Hotel・170
10/14
Lima

日本大使館に行く。
大使館では、旅行者が訪れた記録をノートに記載するようになっていたので、眺めていたら、滞在先が西海となっている人が多かった。職員に尋ねたら、日本人バックパッカーが多く滞在するペンション西海だと教えられた。ペンション西海は日本人バックパッカーの間では有名な安宿だったが、その存在をここで知った。

Hotel・170、
10/15
Lima
セントロなどを観光。明日は移動。 Hotel・170
10/16
Nazuca
地上絵で有名なナスカに付いた。砂漠の中の街と言った感じ、観光客も多かった。セスナで地上絵を見ないかと、ツアーに誘われたが、US20ドルだったので、やめた。 Hotel・120
10/17
Puquioから90Km
ナスカからアンデス山脈を、標高3500メートル以上昇って行く。 キャンプ・0
10/18
Abancay

途中、標高3000メートルを超えた辺りで、高山病で、頭痛がしてくる。登りきって高地に出た所に湖が広がっていた。その水が異様など青い。湖の側でキャンプをすることにした。そしてすぐ横になった。ここまで登ってくると、空気が薄く、バイクのエンジンが回らない。ガソリンが濃すぎるのか、かぶり気味で、のろのろと、どうにか坂道を上って行く。
食べるものはクラッカーしかなかった。お湯を沸かしてインスタントのコーヒーを入れ、飲んでいると、こちらに向かって人が近づいて来た。挨拶をしてタバコをすすめてみた。彼はそれを受け取りまた歩いて行ってしまった。

Hotel・50
10/19 日
CUZCO
55649km
昼前に、クスコに着いた、付くとすぐ、バイク2台で旅行しているドイツ人に出会った。彼らはパナマまでいき、パナマからバイクを送ったといっていた。泊まる宿を探し走り回っていた。どうやらYHがあるようで、そこを探していたようだが、安そうなホテルが沢山あるのに、なぜYH?? 彼らと別れ、バイクを中庭に置ける安宿に入った。結局クスコ市内にはYHはない。
Hotel・50、
10/20
CUZCO
バイクの整備をした。
チェンジペダルの交換、ステアリングボールレースの交換、オイルの交換、プラグの交換
Hotel・50
10/21
CUZCO

10/24
クスコ観光 Hotel・50×4
10/25
CUZCO

朝早くから、マチュピチュを目指して走り始める。日帰りツーリングのつもりだったので、ほとんどの荷物はホテルに置いて行った。地図では、オヤンタイタンボから道路が通じている様になっていたが。オヤンタイタンボまで行ったが、マチュピチュ方面への標識も無い。ただ山道が続いていたので、ガソリンがなくならないように、100km走って、マチュピチュにたどり着かなかったら、引き返すことにして、走り始めた。
オヤンタイタンボから約40km地点で路面に転がっていた落石にフロントタイアを撮られて転倒、アゴを岩に強打。起き上がった時、あごや口から大量の出血、耳の下辺りで口を動かすとガザガサと音が聞こえる。ミラーが吹っ飛び、ヘッドライトが割れてる。ミラーの破片をひろい、顔を見るとあごがさっくり切れ、歯茎を骨折し奥に入っていた。山道の横を流れる水であごを洗い、バンダナで傷口を押さえ、バイクを起こして、戻ることにした。
オヤンタイタンボの派出所に行き、村の診療所に連れて行ってもらった。診療所には、医者がいなかった。隣町に行っているようだ。
警官と一緒に乗り合いバスにのり、隣町のウルバンバまで行った。 診療所では切れたアゴを縫ってもらったが、骨が折れているので、これ以上の治療はクスコに行くように言われ、診断書を書いてくれた。警官と一緒にオヤンタイタンボに戻った。バイクをオヤンタイタンボの警察に預け、4時間まって、乗り合いバスで夜クスコに戻った。事故を起こしたのは午前中で既に今は夜9時を過ぎていた、タクシーで病院へ行くが、救急の窓口でも、今日は休みだから月曜日に来いと追い返された。しょうがなくホテルに戻った、ホテルの従業員が心配していた。 オヤンタイタンボからマチュピチュへは、道路は通じていなかった。あるのは鉄道の線路。

ミラー、スタンドのスプリング、ヘッドライトアッシー、ハンドル、レバー2本、グリプの破損

事故
Hotel・50
ウルバンバ治療費17
バス代合計14
タクシー合計30

10/26 日
CUZCO
一日、痛みに耐え、じっとしている。 Hotel・50
10/27
CUZCO

朝、ホテルの従業員が病院に連れて行ってくれた。病院は人でごった返していた。最初にお金を払い、カルテを作ってもらう、一時間待って、歯医者に行けと言われ、歯医者に。医者にいわれるまま、レントゲンを撮りに行く。右アゴ(耳の下あたり)と下の歯茎を骨折していた。今日は、ここまでで帰っていいと言われる。ホテルにもどり、保険会社と家族に手紙をだす。

Hotel・50
10/28
CUZCO
今日は入院。金とパスポートと着替えを持ったが、泥だらけで、血の付いたジャンパーとジーパンはそのままだ。シャワーも浴びてない。

夜中、あまりの痛さで眠れない。病室を出て、看護婦の詰め所に薬をもらいに行ったら、モルヒネを打たれた。一瞬、瞳孔が開き視界がぼやけ、汗がどっと噴き出し、髪の毛が逆立つような戦慄を感じた、そして、痛みがひいて行った。ここで死ぬのかと思った。
入院
Hotel・50
レントゲン50
診察料7

10/29
CUZCO

食事は、スープとゼリーの様なものしか出なかった。腹が減って眠れない。泊まっていたホテルのお兄ちゃんが、今日も様子を見に来てくれた。ついでに牛乳とヨーグルトを買ってきてもらった。

病室には自分の他に二人のペルー人が入院していた。一人は、ほとんど動かない、というより動けないようだった。もう一人は、傷口が痛むのか、時々、ウーと押し殺した声が聞こえる。

入院中
Hotel・50、
10/30
CUZCO
手術。今日は下側だけワイヤーを加工した手作りの器具を歯に取り付けた。
昼間、日系人が様子をみに訪ねてきた。また来るといって帰って行った。また、ホテルのお兄ちゃんが買い物に行ってくれた。

同室のペルー人の患者の所に、家族や知人が、お見舞いにきている。会話は、所々しか理解できないかった。奥さんのような女性が、お見舞いに来た人に、患者の背中のガーゼを剥がし傷口を見せていた。自分も一緒に覗き込むと、背中に、直径5mm程度の穴があいていた。会話の内容から察するに、テロリストに打たれたのだと理解した。
入院中
Hotel・50、
10/31
CUZCO
今日もし手術の続き。治療は上下の歯に針金をとりつけ、口が開かないように固定するという物だった。もう、口をあけられない。当然食事は出来なくなり、水ものしかとれなくなった。離しも出来ない。このまま45日待てと言われた。
今夜の食事はスープだけしか出なかった。夜打たれた注射は足がしびれるほど痛かった。
入院中
Hotel・50、
11/1
CUZCO
医者が様子を見に来た。朝はミルクだけ、昼はスープとゼリー、そして薬と痛ーい注射。
病院の裏口から、買い物に出かける途中、ドアの開いた部屋に、人が出入りしていたので、中を覗き込むと、そこは死体安置所で、黒い死体袋が並んでいた。クスコではここが唯一の大きな病院のようで、待合室は、得体の知れない奇病の患者などで溢れていた。自分を治療していたのは歯医者だった。明日退院していいと言われた。
入院中
Hotel・50、
11/2 日
CUZCO

朝から痛ーい注射。あまりの空腹と、タバコ欲しさに、病院の裏口から、外に出て牛乳とヨーグルトとタバコを買ってきた。病室は禁煙のようだったが、タバコを吸って、空腹と、痛みを紛らわした。

Hotel・50、
11/3
CUZCO

朝、痛ーい注射で起こされる。あごの傷口の抜糸をしてもらい、診察後、手術代金を直接医者に渡す。 350インテイだった。

Hotel・50
手術代金350
11/4
CUZCO
今日は退院する予定。泊まっているホテルのマネージャーが来てくれ、支払に行ってくれた。支払をするのにずいぶんまたされる。治療費は370インテイ

そこに、二人の日本人女性が訪ねて来てくれた。家族が連絡をしてくれたそうだ。手紙が無事とどいたようだ。二人は、クスコの金城旅行社でガイドをしている方だった。この病院の治療方法が信用できなかったので、首都のリマで再度治療を受けようと思っていることを話した。クスコに住んでいる日本人が、バイクを預かってくれると言われた。夜九時頃、バイクを預かってくれるという日本人の方が日系の奥さんと訪ねてきてくれた。この人もガイドをしているようで、主に旅のデザインルームからのツアー客のガイドだといっていた。
Hotel・50
治療費370
11/5
CUZCO
リマに行く準備をした。航空券は750インテイ、ホテルの支払が650インテイ Hotel・50
11/6
CUZCO

バスは九時頃出発、ウルバンバ行きだった。ウルバンバで乗り換えオヤンタイタンボに到着。派出所には前にいた警官はいなかった。ヘルメットとカッパも預けてあったので、それらを受け取る。バイクは警官が130kmも乗り回し、転倒使用でレバーが曲がっていた。ガソリンも底をついていた。鍵を置いて行ったのが大失敗。そもそも、けがをした日に、なんで、バイクでクスコまで戻らなかったのか、考えると悔やんでも悔やみきれない。
ガソリンを入れて、ノロノロと走りクスコへ戻った。雨がポツポツと降ってきた。一度ホテルにもどり、バイクを預かってくる方の家にバイクを持って行った。

Hotel・50
11/7
CUZCO
バイクは日本人のガイドが紹介してくれた、クスコの日系人に預かってもらい、飛行機で、リマに行くことにした。クスコの金城旅行社は日系の会社で、沖縄からの移民が起こした会社だ。日本人のガイドが数人いた。その人たちにリマのペンション佐藤を教えてもらった。 Hotel・50
11/8
CUZCO
荷物は金城旅行社の日本人ガイドに預かってもらい、ディバックに入るものだけ持って行った。航空券US50ドル Hotel・50
11/9 日
Lima
飛行機でリマに、飛行場にはペンション佐藤の娘さんが迎えにきてくれていた。既に金城旅行社の方が電話してくれていたのだった。
ペンション佐藤はおばさんと、息子が切り盛りしていた。おばさんのご主人は既に他界していて、おばさん以外は片言の日本語しか話せなかった。娘さんは味の素に勤めているといっていた。一軒家の各部屋をペンションとして貸しているだけで、宿屋という所ではなかった。おばさんは、リマのセントロで時計屋を営んでいた。
一泊US$10
11/10
ペンション佐藤のおばさんにつれられ、日系のオムラ医院にいった。
ペンション佐藤には、日本からペルーの大学に留学していた2人の日本人女性、旅行しにきた2人の日本人女性、日本人男性1人、肝炎の治療で、ペンションにいた、日本人女性とその彼氏。合計7人の日本人が滞在していたので、夕食時は賑やかだった。
ペンション・US$10
11/11
ペンション佐藤のおばさんにつれられ、日秘会館のポリクリニカにレントゲンを撮りに行った ペンション・US$10
11/12
ポリクリニカに写真をもらいに行ったら、下の歯についている金具がじゃまだったようで、撮り直しになった。事務をしていた、日系の女性が、歯医者をいろいろ当たってくれ、クリニカインターナショナルという、開業医のところに行くことになった。その女性に連れられて、夜8時から診察を受けた。クリニカインターナショナルで再度手術をすることになった。口が開かないよう固定される、治療はクスコで受けた物と変わらなかった。以後飲み物だけの生活が続く。口腔骨折の場合は、この治療が一般的らしい。

日系の女性が話してくれたこと。中流のペルー人の平均給料はUS100ドルぐらいで、最低でUS50ドルだと言っていた。日系二世の若い頃は、日本人学校があり、強制的に日本語を教わっていたそうだ。日本の文部省が教師をペールーに派遣していたという。だから、50代・60代の日系二世の人たちは、日本語の読み書きが出来ると言っていた。また、日系社会はとても複雑で、同郷の人たちは、大きな一つの家族のようなものだと言っていた。
ペンション・US$10
11/13

朝9時前に、クリニカインターナショナルに指定された医師のところで、再びレントゲンを撮った。これは180度回転するもので、歯科医師用。レントゲンが現像される五時過ぎまでミラフローレスという街でぶらぶらして待つことになった。ここは東京で言う銀座に相当するところらしい。治療はまた、夜の8時過ぎからだった。9時過ぎに終わり、ペンションに戻った。

こんなことなら、クスコにいて、そのまま、治療を続ければ良かった。失敗ばかりだ。もう疲れがピークなのかもしれない。思考が単調だ。ここでは、何事をするにも時間と忍耐が必要だった。一日に一つのことしか進まない。そして、これから、長い時間リマに滞在することになるとは想像もしていなかった。

ペンション・US$10
11/14
オムラ医院とは、日系の開業医で、針治療などを行っていた。
空腹で眠れない日々が続く。
ペンション・US$10
11/15
ペンションの屋上には、洗濯機があった。着ていた服は、汚れきっていて、ジーパンは、油や事故時の血などで、かなり臭かった。それらを久しぶりに全部選択した。 ペンション・US$10
11/16 日
ペンションのおばさんが、スープを作ってくれたが、細かく刻んだ具が歯に引っかかって飲めなかった。 ペンション・US$10
11/17
かろうじて、食べられたのは、ゼリーなどで、食べるというより吸い込んだ。 ペンション・US$10
11/18
ペンション佐藤の娘さんと、日秘会館で待ち合わせをして、ペルーのツーリングクラブに連れて行ってもらった、ここは日本で言うJAFFだ。自分はまだ治療中だし、バイクはクスコにある。いったいいつまで滞在できるのか心配だったので、確認のためツーリングクラブに行くことにした。クラブの話ではカルネで入国した場合は、カルネの期限が切れるまで滞在可能。また、ペルーはカルネなしでも30日滞在できるとのことだった。パーツを日本から取り寄せるときの関税に着いても聞いた。まず事故証明が必要だと言われた。オヤンタイタンボの警察までまた行くことになる。また、日本大使館が保証人になってくれるのなら、税金はかからないとも言っていた。 ペンション・US$10
11/19
Lima
夜中、何度も空腹で目が覚める。とりあえず水を飲むが、そんなに飲めたもんじゃない。 ペンション・US$10
11/20
オムラ医院。針治療をうけた。事故後からずーっと頭が重く時々頭痛がする。歯茎を骨折するぐらいの衝撃を受けたのだから、間違いなくむちうちだったと思う。 ペンション・US$10
11/21

11/23 日
することも無く、ゴロゴロしている。一日することも無く、時間が過ぎるのを待つのは辛い。クスコはいよいよ雨期に入ったという。 ペンション・US$10
11/24

11/27
クリニカインターナショナルにいく。毎回タクシーを利用しているので、金がもたない。バスを利用したいのだが、めちゃくちゃ混んでいるため、声を出せないと降りることも出来ない。 ペンション・US$10
11/28
クリニカインターナショナル、やっとキブスがとれると思ったが、まだだった。それでも上下を止めているゴムバンドのかずが減ったので、なんとか物が食べられる。帰ってご飯とスバゲティを食べたら胸焼けで、苦しい。胃が消化しきれなくなっていたのだろう。 ペンション・US$10
11/29
Lima

11/30
傷口は塞がったが、歯並びがひどい、ガタガタのまま固定されてしまったので、矯正治療でもしないと、もう直らないだろう。 ペンション・US$10
12/1

12/3
レントゲン撮って、それをもってクリニカインターナショナルに、無事あごの付け根の骨も完治していた。 ペンション・US$10
12/4

12/25
オムラ医院、リハビリ。あごの傷口は塞がったが、腱が切れたのか、筋肉が固まったのか、口がまっすぐ開かなくなっていた。それの治療のため、針治療を受けた。 ペンション・US$10
12/26

12/28
ここは、真夏だが、クリスマスはお祝いをする。
ペルーで31歳になった
ペンション・US$10
12/29
CUZCO
いよいよ、バイクを取りに行くことにした。ついでにクスコ観光もすることにした。
飛行機でクスコに向かった。
ホテル・45
U$1=20インテイ
12/30
留学生の一人が、ミッションスクールに通うとかで、一緒にクスコにいった。
その子が教えてくれたホテルインペリオは安くで、奇麗なホテルだった。前回泊まったホテルとはずいぶん違う。やはり、ちゃんとした情報が必要なのだ。
ホテル・45
12/31
CUZCO→アグアカリエンテ
朝一番の列車に乗って、マチュピチュへ行く。今度は、調査済み。電車でしか行けないことや、線路を歩いて隣町まで歩けばYHがあることが分かった。YHはアグアカリエンテにあった。 ホテル・45+45.2、
1987.1/1
CUZCO
クスコに戻った。航空券US50ドル ホテル インペリオ・45
1/2
  クスコ泊、 ホテル・45
1/3
サクサイワワン クスコ泊、 ホテル・45
1/4 日
オヤンタイタンボツアー。事故の後治療してくれた診療所のある町だ。ここにも実は立派な遺跡があった。 クスコ泊、ホテル・45
バスツアー
1/5
  クスコ泊、 ホテル・45
1/6
  クスコ泊、ホテル・45
1/7
  クスコ泊、ホテル・45
1/8
  クスコ泊、ホテル・45
1/9
預けたバイクを受け取りいった。久し振りに見るバイクは、もうポロボロ。
整備をしないと、まともに走れそうも無い。
クスコ泊、ホテル・45
1/10
  クスコ泊、ホテル・45
1/11 日
  クスコ泊、ホテル・45
1/12
バイク整備 クスコ泊、ホテル・45
1/13
バイク整備 クスコ泊、ホテル・45
1/14
  クスコ泊、ホテル・45
1/15
  クスコ泊、ホテル・45
1/16
  クスコ泊、ホテル・45
1/17
  クスコ泊、ホテル・45
1/18 日
  クスコ泊、ホテル・45
1/19
CUZCO
整備はしたが、ヘッドライトなし、ミラーなし、フロントフェンダーなしで出発することなった。 クスコ泊、ホテル・45
1/20
Abancay
  ホテル・60
↓記録なし
1/21
Chalhancaから50km
来るときは10月。今は真夏でアンデスの山中でもかなり雨が降る。路面はバスが掘り返した泥でぐちゃぐちゃだった。タイヤが泥の固まりになって、そのまま、泥の上を滑って路肩のアロエに激突して転倒。アロエは自分の150cm以上の高さで、固い木と同じだ。もう一人ではバイク起こせそうもない。倒れバイクがから荷物を一つずつ降ろし、それからバイクを起こした。3,000メートルを超える高地では、雨は冷たく、そのうち雪に変わって行った。バイクを動かし、荷物をもとに戻して、ふと、山肌を見ると、何人ものペルー人が斜面に立ったままへばりつき、雨宿りしていた。 キャンプ・0
1/22
Puqio
  ホテル・60
1/23
Nazca
クスコ→ナスカ間は680km
来たときは2泊3日、戻りは3泊4日になった。
ホテル ナスカ・55
1/24
Lima
  ペンション佐藤・US$10
1/25 日
Lima
1日洗濯 ペンション佐藤・US$10
1/26
Lima
  ペンション佐藤・US$10
1/27
Lima
日本からの送ってもらったバイクパーツを受け取りに、リマのヤマハの現地代理店にとりに行く ペンション佐藤・US$10
1/28
Lima
バイク修理
リアショックの交換、ヘッドライトアッシーの交換、ミラー、スタンドのスプリング、ハンドル交換、グリップ、スピードメーターケーブル、プラグの交換、チェンジペダルの交換
ペンション佐藤・US$10
1/29
Lima
バイク修理、フレームの溶接
フレームはリアショックの少し後ろあたりが折れた。適当に街を走り見つけた修理工場で溶接してもらう。
ペンション佐藤・US$10
1/30
Lima
  ペンション佐藤・US$10
1/31
Lima
  ペンション佐藤・US$10
2/1 日
Lima
  ペンション佐藤・US$10
2/2
Lima
  ペンション佐藤・US$10
2/3
南米
Arica・CHILI
バイクをリマに置いて、飛行機で旅行、航空券US478ドル 飛行機で旅行
ホテル・P800
2/4
Santiago
  ↓ホテル・P450
2/5
Punta Arenas
風邪で一日寝ている ↓ホテル・P1235
2/6
Punta Arenas
風邪で一日寝ている ↓ホテル・P1235
2/7
Puerto Montt
  ↓ホテル・P800
2/8 日
Puerto Montt
  ↓ホテル・P800
2/9
Puerto Montt
  ↓ホテル・P800
2/10
Santiago
  ↓ホテル エスパーナャ・P750
2/11
Santiago
  ↓ホテル・P600
2/12
Santiago
  ↓ホテル・P600
2/13
Santiago
  ↓ホテル・P600
2/14
Santiago
  ↓ホテル・P600
2/15 日
Santiago
  ↓ホテル・P600
2/16
Arica
  ↓ホテル・P800
2/17
Tacana・PERU
タクナ→リマ、バス泊(281インテイ・24時間) バスで移動
2/18
リマ
  ペンション佐藤・US$10
2/19
リマ
  ペンション佐藤・US$10
2/20
リマ
  ペンション佐藤・US$10
2/21
Trujillo
バスで旅行 バスで旅行
ホテル・P35
2/22 日
トルヒーリョ
チャンチャン遺跡ツアー(250インテイ) ↓ホテル・P35
2/23
トルヒーリョ
  ↓ホテル・P35
2/24
トルヒーリョ
  ↓ホテル・P35
2/25
トルヒーリョ
  ↓ホテル・P35
2/26
トルヒーリョ→ワラス
バス泊
2/27
ワラス
  ↓ホテル・P50
2/28
ワラス
チャビンツアー ↓ホテル・P50
3/1 日
ワラス
  ↓ホテル・P50
3/2
リマ

3/12
  ペンション佐藤・US$10×11
3/13
Iquitos
飛行機で旅行 飛行機で旅行
ホテル・71
3/14
Iquitos
アマゾンツアー・1200(航空券US100ドル) ↓ホテル・71
3/15 日
Iquitos
  ↓ホテル・87
3/16
リマ
  ペンション佐藤・US$10
3/17
リマ
  ペンション佐藤・US$10
3/18
リマ
  ペンション佐藤・US$10
3/19
リマ
オイル・オイルフィルターの交換 ペンション佐藤・US$10
57284km
3/20
リマ
  ペンション佐藤・US$10
3/21
南米
LA PAZ・BOLIVIA
飛行機で旅行(リマ→ラパス往復・U$318) 飛行機で旅行
ホテル・$B6.5
3/22 日
LA PAZ
風邪で体調が悪い ↓ホテル・$B6.5
3/23
LA PAZ
風邪で体調が悪い ↓ホテル・$B6.5
3/24
LA PAZ
風邪で体調が悪い ↓ホテル・$B6.5
3/25
LA PAZ
風邪で体調が悪い ↓ホテル・$B6.5
3/26
リマ・PERU

3/31
ラパスから、飛行機でペルーに戻ってきた。 ペンション佐藤・US$10
4/1

4/30
バイクの整備、チェーンの交換、スプロケットFの交換、折れたフレームの後の溶接
ペルーでの走行1021kmはメーターケーブル切れのためカウントされず
ペンション佐藤
US$10×30日
5/1
リマ
56,416km
やっとバイク旅行を再開する。準備は終わった、後は、走り始めるだけだ。 ペンション佐藤・US$10
5/2
ナスカ
56,825km
朝9時過ぎに出発。パンアメリカンハイウェイをナスカを目指す。夕方4時頃、ナスカに到着、久し振りに走ったので、疲れた。ナスカはこれで三度目だ。 ホテルナスカ・70インテイ
5/3 日
アレキバ
57,351km
9時に出発。ナスカを過ぎると、海岸側の砂漠の中のハイウェイを延々と走り続ける。舗装が悪く、距離が伸びない。夕方6時過ぎにアレキバに到着。ホテルを探し街の中を走り回り、手頃なところを見つける。今日は一日で500km以上走った。アレキバは山中の街なので、寒い。 Hotel Virrey・60インテイ
5/4
南米
Arica・CHILE
57,730km
9時に出発。パンアメリカンハイウェイをアリカを目指す。もうかなり寒く、長袖の下着を着た。タクナの手前で一度パスポートコントロールがある。ガス欠寸前だ。予備ガソリンを入れ、3時過ぎにタクナ着。急いでアリカに向かう。国境では、入出国用の用紙が必要だったが、持っていなかったので、周りにいた人からもらった。ペルーで5枚、チリで3枚使った。手続きに1時間ぐらい費やした。アリカに着いたのは6時前だった。前回来たところに泊まった。ペールーとの時差は+1時間。入国後必要な分のお金はアリカで両替をしておくべきだった。サンチャゴまでの小さな街は、両替の率が悪かった。

※ペルーでの滞在は185日間になっていた。こんなに居ると愛着もあり、再び来れることを祈った。
レジデンシアBalkys・P1000
5/5
Iquique
58,042km
9時過ぎに出発。ルート5号を走る。アリカを出るとまた、砂漠が続く。風が強く、疲れる。イキケまでの間に2度パスポートコントロールがあった。山を下った海外沿いの街がイキケ。2時頃宿に入った。バイク屋を探しに街に出る。タイヤが欲しかったので、早めに宿に入ったがタイヤは無かった。また、バイクの調子が悪い、オイルがかなり減っている。 レジデンシア・P1020
5/6
Antfagasta
58,508km
8時過ぎに起きて、朝食。チリのレジデンシアという形態の宿は、どうも朝食が付くらしい。9時過ぎに出発。イキケを出ると、また砂漠が続く。ルート1号を走り、アントファガスタまではかなりの距離がある。途中で再び入国審査のようなものがある。アリカで作ってもらったライセンスにスタンプを押され、その後警察でドライバーライセンスを見せた。アントファガスタに4時過ぎに着いた。その間コーヒーを一杯飲んだだけ。手頃な宿を探したが見つからないので、ホテルに入った。荷物をおろしていると、日本人のおじさんが話しかけてきた。高岡さんという方で、トヨタの部品を売る店をやっていた。場所はホテルの真向かいだ。お店のとなりにレジデンシアがあるのでそっちに泊まれと言われたが、もうお金を払ってしまった後だった。高岡さんにタイヤを探していることを話すと、お店の店員、ハロルさんがバイク屋に連れて行ってくれたが、あうサイズがなかった。チリではほとんど125ccぐらいのものしか手に入らない。注文すると2日でサンチャゴから届くというので、たのむことにした。料金は10,000ペソ(US$50)ぐらいといっていた。
既にサンチャゴに行ったので、バイクでは行かない予定だったので、タイヤを入手したかった。
Hotel PLZA ・P3090
ガソリンは93オクタンカで1リットル92ペソぐらいだった。
5/7
Antfagasta
食事をして、荷物をまとめ、ホテルを変わった。高岡さんに呼ばれ、お見せに行くと、希望のサイズのタイヤはコンチネンタル製で20,000ペソだという。結局120/90-18で台湾製のタイヤをサンチャゴに住む高岡さんの息子さんが、高岡さんの店に送ってくれることになった。料金は10,800ペソ。今日は激しい下痢で辛い。ホテルは3,090ペソでここは550ペソだ。 レジデンシア・P550
オイル1リットルプラス
5/8
Antfagasta
夕方5時頃、タイヤが来たといわれ見に行く。タイヤを持ってバイク屋に。ところがバイク屋では交換できないという。エアーコンプレッサーがないのだった。他で組んでくれることになった。バイク屋でしばらく待っていると、タイヤのミミが出ないと言われる。見に行くと固すぎてミミが出ないのだ。結局、チューブを入れてもらい、なんとか終わった。お店の店員のハロルさんに、家に食事にこいと誘われ、おなかの調子が悪かったがごちそうになった。11時過ぎに宿まで送ってもらった。部屋には、旅行中の日本人の男の子が横になっていた。2時頃まで話し込んでしまった。 レジデンシア・P550
タイヤR交換
5/9
Antfagasta
昼頃起きる。食料を買いに行く。まだおなかの調子が悪い。夜は日本人2人で中華料理を食べに行った。1品500ペソくらいだった。 レジデンシア・P550
5/10 日
Antfagasta
また、ハロルさんに誘われ、彼の家で、昼食をごちそうになった。食事はスープ、魚の煮た物にまだ芯のあるライスが添えてあった。ポテトには、ハロルさんが作ったマヨネーズが添えてあった。その他に人参の煮た物、赤い瓜の漬け物、タマネギのみじん切りを適当にみんながとって食べていた。帰る頃、彼の息子夫婦とこどもがやって来た。軽く挨拶をして、早めに帰ってきた。 レジデンシア・P550
5/11
Copiapo
59,046km
朝9時に銀行に行く、トラベラーズチェックを両替するのに、30分以上かかった。11時頃、高岡さんに挨拶をして、ルート5号をコピアポをめざして走った。とことどころ工事中で道が悪い。コピアポまで、サンドウィッチとコーヒー、バナナを2本食べただけで、6時過ぎに街に着いた。もう暗くなりかけていた。レジデンシアとかは見つけられず、また手頃なホテルに入った。そんなに高くないのに立派なホテルだった。たぶんチリで泊まったホテルで一番いいと思う。ホテルで中華料理屋を教わったのでいってみたが、見つからなかった。帰りにリンゴを買って帰ってくる。今夜はリンゴだけだ。サンチャゴの手前のロスアンデスはもう雪だと、ホテルのおじさんが言っていた。 レジデンシア・P1780
5/12
LA Serena
59,383km
9時過ぎに出発。コピアポをでてすぐ砂漠。ガスが下りて寒い。ラ・セレナまで300km程度なのであまり走らないですみそうだ。疲れているのか、肩もこっている。2時前に着いた。ホテルを探して、また街の中を走り回ったが、手頃な宿が無い。隣町のコキンポまでいってみた。その途中のカフェテリアで食事。久し振りに肉を食べた。コキンポは何も無いところだったので、ラ・セレナまで戻り、やっと見つけたレジデンシアに入ったのが、4時を過ぎていた。静かできれいな街だった。どの街もレストランが少なく、セントロを歩き回ると、お店は沢山あるが、食事が出来そうなのはカフェテリア程度しかない。夜は、ホテルでサンドウィッチを食べた。このホテルはお湯のシャワーが使えた。 レジデンシア・P1000
5/13
Los Andes
59,777→59,835km
朝起きて、銀行に行くが、どこも両替できなかった。結局銀行の中にいた、トヨタの部品を売っている店のだんなに両替したてもらった。US$1=205ペソだった。10時過ぎに出発、寒く、曇っていた。ルート5号を進み、Los Vilosで食事をした。スープと魚を食べて、550ペソだった。この辺りは海に近く、風が強くて寒い。ルート5からルート60に入り、ロスアンデスに付いたのは、5時頃だった。ロスアンデスからアコンカグアやアンデスの山々が見える、実に美しい。目の前に大きな壁が立ちはだかっている。ホテルに入り、街をぶらつく。ホテルで両替が可能で、US$1=218ペソだった。既に冬、紅葉も終わり落ち葉で一杯だ。

チリはパスホートコントロールが多く、街に入る前に必ずある。軍事政権下で街に活気がなく、静かだ。お店は昼から夕方5時頃までお休み。道路はほとんどが砂漠の中だった。自分に聞こえてくるのはビュービューと風の音、それとシュルシュルとかすかに聞こえるエンジン音だけた。強い風にあおられ、ハンドルに力が入る。四時から五時半まで、お店が閉まってしまい何もする事が無い。街から街までの距離が長く、その途中に人が住んでいるところがない。
プラザホテル・P1800
5/14
南米
Mendoza・ARGENTINA
60,021km
9時過ぎ出発。ルート60を国境に向かって、どんどん山を登って行く。周りは雪があり、寒い。来るのが遅かったら、国境は越えられなかったかもしれない。チリの出国時にバイクは200ペソとられた。なぜ??。チリの国境を越えると長い長いトンネルがある。トンネルを出て数キロ行くと、アルゼンチンの国境税関がある。難なく国境を越えた。メンドーサまでは150kmぐらいだ、のんびりと走る。

メンドーサに2時過ぎに着いた。両替所を見つけたが、まだやっていなかった。バイクをとめたら、おっさん達が集まってきた。そんなに珍しいのか。レジデンシアを何件かまわったが全部断られた。ホテルを教えてもらい、そこにいった。ホテルは14アウストラル(A14)だったが、高く、しかも持ち合わせがなかったので、両替してから払うことにした。場所を聞いて出かけた。両替所の周りには、たちんぼがいる。持っていた残りの3000ペソはA27,3になった。US$100=A200(アウストラル)。カフェで食事をする。外を見るとバイクの周りはまた、おっさん達が囲んでいる。メンドーサにはホンダの750がゴロゴロしている。街は広く、活気がある。商店がづらーっと続いている、拳銃がA60からA80程度で買える。見ていると欲しくなってしまう。6時過ぎにホテルに戻る。アルゼンチンは物価が高く、コーラなどはペルーの2倍だった。食事に出かけるが、レストランとかが見つけられず、Pizarioなるところに入ったら、どこでもステーキが食べられるようで、注文した。サラダとコーラとステーキでA7.0(US$3.5)だった。ビュフェ・デ・ロモという。肉はおいしくて、しかも大きくて厚さが2cmぐらだった。チリとは+1時間の時差ががあった。アルゼンチンの食事は肉で決まりだろう。
ホテルビーニャデマル・A14
5/15
Laboulaye
60,551km

10時過ぎに出発。ルート7をメルセデスを目指す。走り始めると、今度はずっーつとぶどう畑が続く。そしてそのうち大平原になる。それは、全て牧場だった。遠くに牛がちらほら見えた。昼を食べにレストランにはいった。今日はビュフェ・デ・チョリーソを食べてみたが、結局ステーキだった。ステーキとサラダ、コーラ、紅茶でA7.8だった。メルセデスには4時過ぎに着いた。手頃なホテルがなく、レジデンシアにいったらまた断られた。しょうがなく先の街に行くことにした。ラボウエイェまで150kmある。小さな街だったが、無事レジデンシアに入ることが出来た。既に7時をまわっていた。すぐ食事にでた、今夜はピザ屋に入った。A4.0とかかれていたので、心配したが、的中。でかい。食べきれなかった。アルゼンチンはどの街もとてもきれいだ。レジデンシアとかは、外国人お断りなのだろうか?

プレジデンテ・A12
5/16
Buenos Aires
61,037km

10時過ぎに出発。ルート7号をブエノスアイレスを目指す。かなり距離がある、まわりは延々と牧場が続く。ブエノスアイレスは大都会だ、近づくにつれ街がいくつもあり、道路が混んできた。道に迷ったが、なんとか、ブエノスアイレスに入る高速道路の様なものに乗った。さすがに速い車にどんどん追い越されて行く。料金はA2だった。街のセントロに着き、調べておいたホテルに言ってみたが、バイクはだめだと断られてしまった。他のホテルを探し、広ーいブエノスアイレスをさまよう。やっとホテルに入ったのが、9時前だった。ともかく食事に行く。

Hotel Palace Solis=Solis 352 / 56 Barrio: Monserrat Buenos Aires

Hotel Palace Solis・A24
ガソリン/スーパーで
1リットル=0,815
5/17 日
Buenos Aires
10時過ぎに起きて、観光に出かける。さすが南米のバリと呼ばれる街だ。歩き疲れるまで見て回ったが、日曜日なので閉まってる店が多かった。 Hotel Palace Solis・A24
5/18
Buenos Aires
61,328km
11時過ぎに起きて、日本大使館に言ってみた。両替しようとしたが、トラベラーズチェックは扱ってくれないところが多く、教えてもらったところに行った。しかし、率が悪い。街には面白そうな店が沢山あり、見ているときりがない。今日も一日中歩き回り、もうへとへとだ。

朝、街を出発、そしてひたすら走り、夕方、街に着き宿探し。見つかるとすぐ食事に行く。毎日移動すると、このくり返しだ。1日に走る距離が長過ぎるのかもしれない。急ぐ旅でもないのだから、1日150キロ程度で、早めに街に着いて観光をすべきなのだろうか。
Hotel Palace Solis・A24
5/19
南米
Mercedes・URUGAY
61,336km
朝8時半に、ホテル代を払って出発。もうお金がA6しか残っていない。しょうがなく10ドルだけ両替したが、率が悪い。またしても、道に迷い、ブエノスアイレスを抜けれたのが11時を過ぎていた。すぐ、ガソリンをいれ、食事をする。小雨が降ってきた。国境に着いたのは三時。国境を越えて、ウルグアイに入ったのだが、パスパートにスタンプを押されなかった。100ドルと残ったアウストラルを両替。メルセデスのホテルにチェックインしたのは四時だった。ともかく食事に出かけるがレストランがない、街を歩き回りやっとサンドイッチを食べる。

ホテルに戻り、休んでいると人が訪ねてきた。メルセデスの新聞社の記者だった。驚く事に取材に来たようだった。片言のスペイン語が通じただろうか。まあ、記者が勝手に創作してくれるだろう。
Hotel・N$800
ガソリンは1L=134
5/20
Montevideo
61,660km

朝起きて、新聞を買う。ちゃんと記事が載っていた。街を出てしばらく走り食事。風か強く寒い。モンテビデオに着いたのは2時過ぎ。街を走り回るが手頃なホテルが見つからない。ホテルはいろいろ沢山あるのだが、問題はバイクを置けるところがことだった。結局手頃なペンションに入ったのは6時を過ぎていた。そこも駐車場はなかったが、有料の駐車場にバイクを置けた。1日N$400だった。そして、食事をしに街に繰り出す。ツーリストインフォメーションで地図をもらい、ホテルに戻る。

Hotel Trinidad・N$1500
+駐車上N$400
オイル1リットルプラス
5/21
Montevideo
62,062km
ブラジル大使館
※モンテビデオのアメリカンエクスプレスで、TCを米ドルの現金に手数料なしで両替できた。バイクを送るために必要な米ドルを確保した。

ブラジルのビザをとるのに1にかかった。N$2300
Hotel Trinidad・N$1500
5/22
Montevideo
ブラジルにウニベルツアーに電話で見積もり Hotel Trinidad・N$1500
5/23
Montevideo
62,060→61670km
  Hotel Trinidad・N$1500、
5/24 日■南米
Jaguarao・BRASIL
  Hotel CR$200
5/25
Porto Algre62,422
  Hotel CR$600
5/26
Lages62,783
  Hotel CR$150
5/27
Curitiba63,178
  Hotel CR$200
5/28
Sao Paulo63,550
  ホテルバンリ CR$720
5/29
  ホテルバンリ CR$720
5/30
  ホテルバンリ CR$720
5/31 日
  ホテルバンリ CR$720
6/1
ブラジルヤマハに訪ねて行き、パーツが入手可能か訪ねたら、修理してくれることになったそのまま置いて帰る。
オイルの交換、フロントホイルのベアリングの交換、ボールレースの交換、フェンダーの交換、プラグの交換
ホテルバンリ CR$720
6/2
  ホテルバンリ CR$720
6/3
ブラジルヤマハ
バイクはフロントホイルのペアリングが破損していたが、パーツがなかったので、別の物を加工して使ってくれたとのこと
宿に戻ってすぐ代理店にバイクを持ち込み、ポルトガルへの船便での梱包・通関などを依頼。
山中ペンション CR$75
6/4
高熱で寝込む。 山中ペンション CR$75
6/5
高熱で寝込む。 山中ペンション CR$75
6/6
高熱で寝込む。
おそらく3日熱マラリアを発症したと思われる、高熱で骨の髄か寒い、こんな感じは初めてだ。安宿の、薄暗く汚いベットの中で死ぬのかと思った。
山中ペンション CR$75
6/7 日
  山中ペンション CR$75
6/8
  山中ペンション CR$75
6/9
  山中ペンション CR$75
6/10
Sao Paulo

ブラジル発PM2:00
航空券US1215ドル、船賃US317.18ドル+梱包・手数料US383.70ドル

63.631km

6/11
■ヨーロッパ

Lisbon・PORTUGAL

初夏のヨーロッパに到着、
ヨーロッパ到着

航空券、1,215ドル
Insulana Hotel $3500
6/12
Lisbon
代理店で、バイクが船便で届くのに2週間程度かかると言われる。待っている間、バスと鉄道を使った旅行にでることにする
フランスのビザ$1300、Insulana Hotel $3500
6/13
  Insulana Hotel $3500
6/14 日
  Pensao Lipe Lisbon $1000
6/15
Lisbon
  Pensao Lipe Lisbon $1000
6/16
Porto
列車で移動、$1825 Pensao mondariz $1200
6/17
Porto
列車で移動、$700 Pensao mondariz $1200
6/18
■ヨーロッパ

Vigo・SPAIN
600pt 列車で移動、450pt
6/19
Santiago de Compostela
750pt、 バスで移動、1920pt
6/20
Leon
900pt
6/21 日Leon 900pt バスで移動、230pt
6/22
Valladolid
600pt 列車で移動、710pt
6/23
Valladolid
600pt バスで移動、587pt
6/24
Salamanca
600pt
6/25
Salamanca
600pt バスで移動、1418pt
6/26
Merida
カメラ落として破損、1200pt
バス→Trujillo/480pt、バス→Caceres/230pt、列車→Lisbon/1920pt
バス・列車で移動
6/27
■ヨーロッパ

Lisbon・PORTUGAL
ペンションサンチャゴ $1200 バイク待ち
6/28 日
Lisbon
ペンションサンチャゴ $1200 バイク待ち
6/29
Lisbon
船会社に行くが、まだ荷物が届いていない。1週間後に再度来るように言われる。ホテルサンチャゴ $1200 バイク待ち
6/30
YH $650 バイク待ち
7/1
カメラの修理、YH $650 バイク待ち
7/2
YH $650 バイク待ち
7/3
YH $650 バイク待ち
7/4
ペンションサンチャゴ $1000 バイク待ち
7/5 日
ペンションサンチャゴ $1000 バイク待ち
7/6
船会社に行く。ペンションサンチャゴ $1000 バイク待ち
7/7
Lisbon
船会社にいく。船会社がブラジルに電話して確認、なんとまだ荷物がブラジルを出ていないと言われる。ペンションサンチャゴ $1000

結局、荷物が出るのを確認してから、現地を出発で良かったわけだ。
荷物をまともに遅れるのは先進国だけなのか…。
バイク待ち
7/8
Lisbon発
バイクが届くまでまた、バスと鉄道を使った旅行にでることにする。列車泊 列車で移動、$5430
7/9
■ヨーロッパ

MADRID・SPAIN
Pensio Paloma 800pt(マドリード→バルセロナ、US45.15ドル)
7/10
マドリード
Pensio Paloma 800pt
7/11
マドリード
Pensio Paloma 800pt
7/12 日
マドリード
Pensio Paloma 800pt
7/13
マドリード
Pensio Paloma 800pt 列車で移動、5210pt
7/14
BARCELONA
Pensio $700
7/15
バルセロナ
Pensio $700
7/16
バルセロナ発
列車でロンドンへ向かう、23,865pt、カレー→ロンドン/274F(バルセロナ→ロンドン、US194.02ドル) 列車で移動
1F=21PT
7/17
■ヨーロッパ

LONDON・UK
ロンドンに2:00着、B&B14£ US$1=0.57£
7/18
ロンドン
B&B14£
7/19 日
ロンドン
B&B14£
7/20
ロンドン発
列車でパリへ向かう、22£(US37ドル) 列車で移動
7/21
■ヨーロッパ

PARIS・FRANCE
59F、市内ツアーに/155F 1£=8.82F
7/22
パリ
59F、ルーブル US$1=5.9F
7/23
パリ
59F、オルセー
7/24
パリ
105F、ポンピドウ
7/25
パリ
105F、モンマルトル、エッフェル
7/26 日
パリ
105F、
7/27
パリ発
パリ→マドリード/523F(US88.64ドル) 列車で移動
7/28
列車泊
AM9:00マドリード着、PM23:30マドリード発→リスボン/4870pt(US39.60ドル) 列車で移動
7/29
■ヨーロッパ

Lisbon・PORTUGAL
ホテル $1500
7/30
ホテル $1500、オートモービルクラブでバイクの保険、保険会社にてカメラの修理代金を受け取る$5304
※オートモービルクラブでヨーロッパ共通の保険グリーンカードを取得できる。係員は嫌がるが強く言う。6ヶ月で5300E$、ポルトガルでグリーンカードをとるのが他の国でとるよりも安くて良かったようだ。
7/31
ホテル $1500
8/1
ホテル $1500
8/2 日↓ ホテル $1500
8/3
船会社に、ペンションサンチャゴ $1200
8/4
ペンションサンチャゴ $1200
8/5
ペンションサンチャゴ $1200
8/6
ペンションサンチャゴ $1200
8/7
船会社に、通関などの手続きに$5864、ペンションサンチャゴ $1200
8/8
ペンションサンチャゴ $1200

港に通関に行ったら、まだ仕事の終了5分前なのに、今日は終わりだから、月曜日に来いと言われ、ぶち切れる。なんて国だ。
8/9
ペンションサンチャゴ $1200
8/10
Lisbon
やっとバイクを受け取るが、税関から外に出すのに、トラックがないと出させないと言われ、途方に暮れるが、すく横でフォークリフトで作業している人に頼むと、外に運んで、更に、箱を開けるのを手伝ってくれた。やっと走れる状態になった。
ヨーロッパに6月11日に着いて、2ヶ月間バイクを待った。

ペンションサンチャゴ $1200
63,631km
8/11
■ヨーロッパ

Merida・SPAIN
やっとヨーロッパの旅の始まり
キャンプ
スペイン入国
63,982km
8/12
MADRID
YH 530pt
ここのYHはお湯のでるシャワーや洗濯場があった。
8/13
マドリード
マドリードにはヤマハの大きな代理店がある。
バイク屋にて修理・24643pt(US$197.38)、YH 530pt
オイル(モチュール)・フィルターの交換、エアクリナーの交換、タイヤFの交換
8/14
マドリード
YH 530pt
8/15
Bulugos
キャンプ 540pt
8/16 日
■ヨーロッパ

Hendaye・FRANCH
キャンプ 24F フランス入国
64,958km
8/17
Bordeaux
キャンプ 18F
8/18
St.Laurent
キャンプ 10F
8/19
Vannes
キャンプ 0
8/20
Mout St. Michel
キャンプ 13.5F
8/21
■ヨーロッパ

Cherbourg→Portmouth・UK
フェリーでイギリスに・372F、イギリスで荷物を全て調べられる
一般的でないルートから入国したため、すべの荷物を開けて調べられる。

夕方までかかってしまった。ロンドンに向かうが、着いたの深夜、結局一睡もせずにロンドンの街を走り回っていた。
イギリス入国
66,337km
フェリー、63ドル
8/22
LONDON
朝一でYHに荷物を置いたら、YHから置いたされた。どこかで寝たい。
(アールズコート)
YH 7.1£
8/23 日
ロンドン
オイルの減りが多い、8/15-23日の間に2リットル消費した YH 7.1£
8/24
ロンドン
66,775km
バイク屋にて、バイク用品を購入・119.3£、
フェンダーの交換(US$64.24)、チェーンの交換(US$74.85)、シールド3枚購入(US$28.26)、オイル2.4リットル(カストロGTX、US$6.47)

バイク屋はいつものように電話帳で調べた
YH 7.1£
8/25
ロンドン
  YH 7.1£
8/26
Exeter
  YH 5.5£
8/27
St Athan
  YH 2.4£
8/28
Bercon
  キャンプ 2.0£
8/29
Chesten
  YH 5.95£
8/30 日Hawkshead   キャンプ 1.8£
8/31
Arden
  YH 3.95£
9/1
Inverness
  キャンプ 3.1£
9/2
Edinburgh
  YH 5.95£
9/3
Newcastle→デンマークへ
69,389km
フェリーでデンマークへ・81£  
9/4
■ヨーロッパ

Esbjerg・DENMARK
YH 65DKR デンマーク入国
フェリー、142ドル
9/5
Esbjerg
69,395
バイクの整備、オイル交換(カストロGTX、3リットル、US$13.81)、プラグの交換、ブレーキパットFの交換、チェンジペタルジョイントの交換、シフトアーム、シフトロッド、ドレンボルト上下、

※オイルの減りが多い8/24-9/5日の間に2.5リットル消費した
YH 40DKR
9/6 日
Esbjerg
バイクの整備、YH 40DKR
9/7
KOBENHAVN
YH 65DKR
9/8
コペンハーゲン
YH 42DKR 69,852km
9/9
■ヨーロッパ

Kungalv・SWEDEN
フェリー・65DKR、YH 45SKR スウェーデン入国
70,342km
フェリー、58ドル
9/10
OSLO・NORWAY
YH 88NKR ノルウェイ入国
9/11
OSLO
風邪で体調が悪い、 YH 88NKR
9/12
OSLO
風邪で体調が悪い、 YH 88NKR
9/13 日
Voss
フェリー・20NKR、風邪で体調が悪い、 YH 72NKR
9/14
Voss
風邪で体調が悪い、 YH 72NKR
9/15
Skjak
フェリー・61NKR、風邪で体調が悪い、 YH 35NKR
9/16
Skjak
風邪で体調が悪い、 YH 35NKR
9/17
Trondheim
風邪で体調が悪い、 YH 90NKR
9/18
Trondheim
バイクの整備・884NKR
タイヤRの交換(R、ミシュランME99A、US$124.64)、工賃50NKR、チェーンのジョイント15NKR、チェーンの交換
YH 90NKR
9/19
Moi Rana
  YH 50NKR
9/20 日
Nawik
フェリー・36NKR、 YH 90NKR
9/21
Nawik
バイクの整備、 YH 90NKR

9/22
■ヨーロッパ

Gallivare・SWEDEN
72,398km

オイル1.5リットルプラス スウェーデン入国
ペンション 50SKR
9/23
Muonio・FINLAND
72,775km
  フィンランド入国
YH 38マルカ
9/24
Karigasniemi
→NORWAY→FINLAND、ヨーロッパ最北、ノールドカップを目指す
YH 50マルカ
9/25
Nordkapplataet
FINLAND→NORWAY→FINLAND。9月なのに雪が舞い、ともかく寒い
YH 50マルカ
9/26
Inari
  YH 50マルカ
9/27 日
Rovaniemi
  YH 35マルカ
9/28
Kalajoti
  YH 50マルカ
9/29
Jyvaskyla
  YH 55マルカ
9/30
Helsinki
74,998km
フェリーPM6:00発、
オイル1リットルプラス
スウェーデン入国
フェリー泊・275マルカ
10/1
■ヨーロッパ

Sodra Ljunga・SWEDEN
  YH 55SKR
10/2
Trelleborg→フェリー
75,663km
フェリーPM8:00発、 フェリー泊・360SKR
10/3
■ヨーロッパ

Travemunde・GERMANY
TravemundeにAM7:00着、Bod Bentheim 西ドイツ入国
フェリー、57ドル
YH 70DM
10/4 日
Amsterdam・NETHERANDS
公園のそばのYH、中庭があり、バイクを入れることが出来た オランダ入国
YH 16.75G
10/5
Amsterdam
  YH 16.75G
10/6
バイクのオーバーホールのためヤマハヨーロッパNVに挨拶に行く。
バス10.4G
YH 16.75G
10/7

76,307km(+1,021km)
ヤマハヨーロッパNVの工場の一角を借りてバイクのオーバーホール

ピストン・ピストンリングの交換、ロッカーアーム、ロッカーシャフト、バルブスプリング、ステムシール、シリンダーガスケット、カムスプロケット、カムチェーン、チェーンガイド、ミッションギア2枚、チェンジシャフト、クランクドリブンギア、クラッチ板セット、ブレーキパットR、ディスローター前後、オイルシール類、スプロケット前後、リアショック、プラグ、オイル・オイルフィルターの交換、バッテリー、チェーン、
バス10.4G
YH 16.75G

 

10/8
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、
毎日バスで通う。YH 16.75G
バス10.4G
10/9
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、YH 16.75G バス10.4G
10/10
デンハーグにヤマハのビーチレースを見に行く、YH 16.75G 列車14+トラム4.35G
10/11 日
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、YH 16.75G バス10.4G
10/12
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、YH 16.75G バス10.4G
10/13
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、YH 16.75G バス10.4G
10/14
東京銀行・トラム5.2G、ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホール、YH 16.75G バス5.2G
10/15
ヤマハヨーロッパNVにてバイクのオーバーホールが終了
YH 16.75G
バス10.4G
10/16
市内観光・トラム2.6G+バス5.2G、YH 16.75G
10/17
Amsterdam
YH 16.75G
10/18 日
DEN HAAG
YH 18.5G
10/19
デンハーグ
YH 18.5G 76,668km
10/20
■ヨーロッパ

Brussel・BELGIUM
風邪で体調が悪い、YH 375BF ベルギー入国
10/21
Brussel
風邪で体調が悪い、YH 375BF
10/22
BRUGGE
風邪で体調が悪い、YH 375BF
10/23
Luxembourg
YH 425BF
10/24
■ヨーロッパ

Koln・GERMANY
YH 14.8DM 西ドイツ入国
77,220km
10/25 日
Hameln
YH 14.5DM
10/26
Kassel
YH 14.5DM
10/27
Heidelberg
ユースで日本人女性2人組のバイクツーリストに会う、一緒にエジプトに行くことになった。女性2人組はロンドンでバイトをして、バイクを買ってエジプトを目指したとのこと。
YH 14.4DM
10/28
Heidelberg
YH 14.4DM
10/29
Angsburg
YH 12.5DM、タイヤ交換R/メッラー/208.5DM(US120.42ドル)
10/30
Kempton
YH 10.4DM
10/31
■ヨーロッパ

Luzern・SWITZERLAND
YH 15SF、入国時に通行料30F スイス入国
78,795km(+1.021km)
11/1 日
Bern
YH 9SF
11/2
Bern
YH 9SF、オイル交換/20SF 79,112km(+1.021km)
11/3
■ヨーロッパ

Bergamo・ITALIA
YH 8000リラ イタリア入国
79,280km(+1.021km)
11/4
Venezia
11/5
Venezia
11/6
Venezia
バッテリー交換50,000リラ(US41.15ドル) 79,900km
11/7
Venezia→エジプトへ
ベネチアPM6:00発・U$628.29/
ベネチア→アレキサンドリア、アレキサンドリア→ピレウス
79,935km
11/8 日
フェリー泊
フェリーの中では、イタリア料理をビュフェで食べられるが、高い。 フェリー、628ドル
11/9
フェリー泊・PIREAS
フェリーに乗ってきた男性日本人のバイクツーリストに会う、4人でエジプトを旅行することになった
11/10
フェリー泊・KRITI
クレタ島
フェリーは、クレタ島で、少し止まる。遺跡を見に行く。
バス90ドラクマ

11/11
北アフリカ
Cairo・EGYPT

ホテルスイス 5E£、駐車場3E£

エジプトに入国時のアレキサンドリアでビザがとれた。2US$と15.25E£、さらにカルネを使っても12E£の税金みたいなものをとられる。さらにバイクの保険代32E£、ナンバーライセンス代5E£。ともかくお金をとる。

多くのヨーロッパからやってくる、バイクや車での観光客からお金とる方法を考えだした感じ。
アフリカの旅
79,935km
11/12
Cairo
エジプト博物館・3E£、ホテルスイス 5E£
バイクは近くの駐車場に預けるが、料金は交渉。
以後、何でも交渉。
11/13
Cairo
ギザ・1.5E£、ホテルスイス 5E£
11/14
Asyut
ホテル2E£
11/15 日
Luxor
ホテル2.5E£
11/16
Luxor
ホテル2.5E£
11/17
Luxor
カルナック、ルクソール、ホテル2.5E£
11/18
Luxor
ホテル2.5E£
11/19
Aswan
ホテル1.5E£
11/20
Abusimbel
学校に泊めてもらう
11/21
Aswan
ホテル4.55E£
11/22 日
Hurghada
ホテル6.0E£
11/23
Hurghada
ホテル6.0E£
11/24
Suez
YH 1.25E£
11/25
Suez
YH 1.25E£
11/26
Suez
YH 1.25E£
11/27
Suez
YH 1.25E£
11/28
Cairo
ホテル5E£、駐車場1E£
11/29 日
Cairo
ホテル5E£、駐車場1E£
11/30
Cairo
ホテル5E£、駐車場1E£
12/1
Cairo
ホテル5E£、駐車場1E£
12/2
Cairo
ホテル5E£、駐車場1E£
12/3
EL Arish
ホテル5.1E£、イスラエルに向けて出国時は出国税10.5E£、手数料50P、税金4E£。何かと金を取られる
12/4
Jerusalem・ISRAEL
ホテル8Sh
入国時にバイクの保険に入らされる。1週間で31Sh、一番安い物に入ること。出国時に出国税15US$をとられる。
イスラエル入国
83,250km
12/5
Jerusalem
ホテル8Sh
12/6 日
Jerusalem
ホテル8Sh
12/7
TelAvivu
エジプト大使館でビザ、ホテル7Sh
12/8
TelAvivu
ホテル7Sh
イスラエルの入国時にパスポートに何もスタンプが押されなかったら、ヨーロッパから乗ってきたバイクを売れるようだ、日本人女性2人組はここでバイクを売った。
12/9
北アフリカ
Cairo・EGYPT
ホテル7E£
イスラエルから入国時にカルネを使っても14E£、ライセンス、保険、ナンバープレート代などで20.5E£とられる。
83,580km
12/10
Cairo
ホテル7E£
12/11
Cairo
ホテル7E£
12/12
■ヨーロッパ

フェリー→ギリシャへ

PM8:00発
アレキサンドリアのフェリー乗り場がわからず、街をさまよっていたら、バイクが止まり、エンジンがかからなくなった。近くにいたエジプト人が、助けてくれ、走っているトラックを泊めて、フェリー乗り場まで運んでくれた。
毎回、誰かに助けられて、ピンチを乗り切ってきた。

※原因はプラクケーブルの接触不良だったが、分からなかった。
再びヨーロッパ
84,173km
12/13
フェリー泊
12/14
Athens・GREECE
AM8:00着、ホテル1600
12/15 日
Athens
ホテル1600
12/16
Athens
ホテル1600
12/17
Athens
ホテル1600、オイル&フィルター交換/1300ドラクマ(US10.27ドル) 84,220km
12/18
Athens
ホテル1600
12/19
Athens
ホテル1600
12/20 日
フェリー→イタリア
PM10:00発、9400ドラクマ フェリー、74ドル
12/21
■ヨーロッパ

Bari・ITALIA
PM4:00着、ホテル35500リラ 84,440km
12/22
NAPOLI
YH10000
12/23
ROMA
YH11000
12/24
ローマ
YH11000
12/25
ローマ
YH11000
12/26
MILANO
ホテル35000
12/27 日
ミラノ
ホテル35000
12/28
ミラノ
ホテル35000
12/29
ミラノ
ホテル35000、
エアフィルターの購入37.71US$、チェーンの購入/101.69US$、プラグ4本/13.56US$、フロントタイヤの交換/103.39US$
85,697km
12/30
GENOVA
ホテル19600、オイル1リットル/6.78US$(モチュール4T)
12/31
ジェノバ
ホテル19600、プラグの交換
1988/1/1
ジェノバ
ホテル19600
1/2
フェリー→チュニジア
PM5:00発 85,270km
1/3 日
北アフリカ
Tunis・TUNISIA

PM4:00着、ホテル4.8TD
北アフリカの旅
フェリー、121ドル
1/4
Tunis
ホテル4.8TD
1/5
Tunis
ホテル4.8TD
1/6
Tozer
ホテル7.8TD
1/7
Nefta
ホテル7.8TD
1/8
北アフリカ
El Oued・ALGERIA
ホテル35DA
Neftaから入国時には強制両替はなかった。バイクの書類を見せろと言われるが、そんなもは無い。カルネを見せたらカルネをきられた。入国時に二枚の申告用紙に記入。その後、バイクのための書類、デクラレーションフォーム、強制的に保険に入らされ、20日間で70DA。Neftaからアルジェリアに入国するのは、一般的らしく、意外にすんなり入国できた。
アジェリア入国
86,494km
1/9
Gardai
ホテル45DA
アルジェリアはホテルが少なく、しかも高い。食事もガソリン(リッター72円ぐらい)も高い。
1/10 日
El Golea
ホテル142.5DA

街道沿いでバイクを止め、タバコを吸って休憩していると、大型トラックが目の前に止まり、ドライバーが降りてこちらにやって来た、警戒し、身構えていたら、私の使っていた、冬用のグローブをさして、手が冷たいから、それをくれという。いったいこいつら何なんだ。
1/11
In Salsh
ホテル142DA
1/12
El Golea
ホテル142.56DA
1/13
Timimoun
キャンプ30DA、オイル交換
フレームの溶接・55DA
ポリタンク13DA
88,493km
1/14
Timimoun
キャンプ30DA
1/15
Beni-Abbes
ホテル142DA
1/16
Ain Sefra
ホテル141.5DA、メーターケーブが切れ交換、切れてから302km走る 89,034km
1/17
Mostaganem
ホテル140DA
1/18
Constantine
キャンプ0、現地人にしつこく両替を迫られる。外貨が欲しいわけだ。
いつまでもしつこく、つきまとわられ、うんざり。
1/19
Constantine
ホテル181DA
この時期、アルジェリアからモロッコに入ると再びアルジェリアに戻れないとの噂。結局モロッコには行かずに、チュニジアに戻ることにする
Babouchからチュニジアに出入国すると荷物検査、所持金検査が厳しく行われた。Hazoua→BonArouaは手続きが簡単。
1/20
北アフリカ
Ain Draham・TUNISIA
入国時にわけの分からない保険代3TD、ホテル13.5TD
係官の小遣いか??
チュニジア入国
90,642km
1/21
Ain Draham
ホテル13.5TD
1/22
Tunis
ホテル5TD(シャワーは別料金)、フェリー代98.2TD
1/23
Tunis
ホテル5TD
1/24 日
Tunis
ホテル5TD
1/25
Tunis
ホテル5TD
1/26
Tunis
ホテル5TD
1/27
フェリー→イタリア
PM9:00発 フェリー、58ドル
1/28
■ヨーロッパ

Trapani・ITALIA
ホテル45000リラ イタリア入国
90,916km
1/29
Trapani
ホテル45000リラ
リア・フロントタイヤの交換(メッツラーM49)・165.99US$(ピレリーMT-40)
91,140km
1/30
Trapani
ホテル45000リラ
クラッチワイヤ、アクセルワイヤ、ブレーキパッドの交換
※ケーブル類は荷物を減らすために交換する
91,155km
1/31 日
Messima
ホテル39000リラ、フェリー代41,000
2/1
Taranto
ホテル21000リラ
2/2
Bari
ホテル63000リラ
チェーンの購入32.92US$、オイルの購入5リットル、プラグの交換、ブレーキレバーの交換
92,117km
2/3
Dubrovnik・JUGOSLAVIJA
AM12:00発フェリー、ホテル20,700 ユーゴスラビア入国
92,122km
2/4
Titograd
ホテル19,000
途中ドライブインのような、バスターミナルのような、食堂で、食事をした。誰も話しかけてこないし、人々の雰囲気が異様に暗い。
ホテルにチェックインしてすぐ、警察がやって来た、バイクが目に留まったようで、誰のものか確認しに来たようだ。ホテルのロビーに入れるよういってかえって行った。
2/5
Titova Mitrovica
ホテル18,000
2/6
Thessaloniki・GREECE
ホテル1,994 ギリシャ入国
92,880km
2/7 日
Thessaloniki
ホテル1,994
チェーンの交換(92950+1021)、スプロケットF/Rとボルトナットの交換、エアークリナーの交換と掃除、オイル交換(カストロGTX2)、オイルフィルターの交換
2/8
Thessaloniki
ホテル1,994
2/9
Alexanoroupli
ホテル3000
2/10

2/22
Istanbul・TURKEY

多くの日本人が宿泊していたホテルモラ。 ここで沈没。
既に旅をすることに疲れていたのかもしれない。
トルコ入国
93,330km
ホテル4000×13
2/23
ブルサ
宿に泊まっていた日本人数人で、ブルサの温泉に行く事になった。バイクはホテルモラに置いて、バスで出かけた。 ホテル6500、バス代5,100
1泊・バス旅行
2/24
Istanbul
一泊旅行から戻り、またホテルモラに。 ホテル4000
2/25
ホテル4000、シリア大使館・ビザ13,000リラ
※シリアのビザをとるには日本大使館の紹介状が必要。
最初に日本大使館で紹介状を書いてもらい、また、翌日、シリア大使館にビザをとりに行く。約10ドル。11時までに行くこと
2/26

3/7
シリア大使館受け取り、トプカプ宮殿 ホテル4000×11日
3/8
Busa
ホテル4000
3/9
Izmir
ホテル4000
3/10
Denizli
ホテル12000
3/11
Alanya
ホテル4000
3/12
Mersin
ホテル11000
3/13 日
Antakya
ホテル15000
3/14
中近東
Aleppo・SYRIA

シリア国境では、最初デクラレーションを記入そして警察で入国カード2枚に記入、そして強制両替100US$、1120ポンド。レシートを持って再び警察へ、台帳に記入するまで待つ、その後税関に、まず保険に入るように言われ、ふたび銀行に行き両替、27US$で302ポンドを受け取るはずが、渡されたのは300ポンド(2ポンドネコババ)保険のオフィスで保険証書を作ってもらい、再び税関でカルネを提出。さあ入国という時に、イスラエルに行っただろうと言い始めた。どうやらカルネのスタンプのラファの文字が目に入ったらしい。しかし、カルネにはイスラエルのスタンプは無く、エジプトの次はアルジェリアになっていた。不思議そうだったが、パスポートを見せて納得させた。イスラエルはカルネが不要だったのだが、そんなことシリア人は知らなかった。
既に134ドルも払ってしまったので、引き下がる分けにはいかない。なんとか納得したようだ。税関ではさらに75ポンド払うように言われる。なんなのか聞いたら通行料だという。75ポンド払うと、もう5ポンド出せという。仕方なく10ポンド札を渡すと釣りをよこさない(またネコババされる)。入国時の荷物検査は、荷物を降ろしてあけてみせたが、適当。全部て3時間かかってやっと入国。

こんなにお金を払ってまでシリアに入国する価値があるのか疑問。アレッポとダマスカスぐらいしか見るところがない。アレッポとダマスカスつまり行く必要はなかった。もっとトルコの街を回れば良かった。

※入国時保険代27US$+通行料7US$、強制両替100US$(1120ポンドになった??)
※国境でのレートは1US$=9.75。市内でのレートは1US$=28。闇だと1US$=35、シリアポンドは多く持っていても使い道がない。ガソリンはリッター10シリアポンド。
※ビザはイスタンブールでとった、日本大使館の紹介状が必要。約米10ドル。

3時過ぎにアレッポについた。ホテルはたくさんあったがバイクを置けそうなところは少なかった。やっと見つけたホテルで交渉、英語は通じない。ところが変なおっさんが割り込んで着て、英語で交渉に参加。最初8ドルと行っていたが6ドルで成立。チエックインしたら変なおっさんも部屋まで付いて来る、何かと思ったら最後にバックシーシ、こけそうになる。

ともかく食事に出る。料理3品とチャイで20ポンドだった。銀行のレートなら1ドルしないで食事ができる。ホテルは6階だったと思う。ホテルの従業員のにいちゃんは、勝手に人の部屋に入って来る、お金も払っていないのにチャイを持ってきてくれたり、部屋で髪をとかして行ったりする。訳がわからない。

シリア入国
95,556km
3/15
Aleppo

ホテル代金は全てアメリカドルしか使えない、現地通貨は食事などに使う。外国人は自分一人のような感じで、気軽にカメラを出して写真を撮れるような雰囲気ではない、十分警戒が必要な感じだ。
11時頃起きてパンとヨーグルトのようなものを屋台で食べ、バザールを見に行く。どこまでも長々と続く不思議なところだった。一度ホテルに戻り寝てしまう。夕食はレストランに入る。ケバブを腹一杯食べて50ポンド。

ホテル6US$
ガソリン1L=10.5
3/16
Damascas

10時に起きて出発。ホテルで支払いをする。12ドルを払うとさらに10ポンドよこせと。言葉が通じないので意味不明。チャイの料金か? 荷物を下まで運んでくれたにいちゃん10ポンド渡して出発。に3時過ぎにダマスカスに到着、地球の歩き方に乗っていた小さなペンションみたいなホテルに入った。どうやらホテルの主人はキリスト教徒のようであった。10ドルだと言われたが、9ドルにまけてもらった。部屋には暖房もなければ、シャワーもない。シャワーは共同らしく、一回15ポンド。お茶を頼んだら3ポンドだった。ダマスカスは近代的なきれいな街だった。歴史的な街だからもっと古い不思議なところだと思っていたが、そうではなかった。タバコは店にはなく露天で闇で買うことになる。またタバコを買うために歩き回ってしまった。

ホテル9US$
3/17

食事がてら日本大使館に行き、新聞を読み、本を2冊かりて帰って来る。オールドタウンに行き、ウマイヤドモスクに入ってみた。壁に貼られたモザイクの美しさに見ほれてしまう。その後、アゼムパレスに行く。ウマイヤドモスクの入館料は2ポンド、アゼムパレスの入館料は1ポンドだった。6時過ぎに夕食に出かける。昨日と同じ、ケバブ、サラダ、ピクルスで51ポンドだった。 ホテル9US$
3/18
お茶と昨日買ってきたパンで食事。博物館に行ってみた。中はかなり充実していた。またオールドタウンのスークに行ってみたが、今日は金曜日なのでほとんどの店が閉まっていた。夕食はまた、ケバブとサラダ。3日間同じ食事だが以外に飽きない。6時過ぎにホテルに戻るが電気が来てない。真っ暗でなにもできない。ホテルの兄ちゃんがローソクを持ってきてくれた。ベットで音楽を聴いているうちに寝てしまった。8時過ぎにホテルの兄ちゃんが火を消しにきたので目が覚めた。ダマスカスでは、チャイが2から3ポンド、タバコが一箱8ポンド ホテル9US$
3/19
日本大使館に、借りた本を返しに行き、さらに4冊借りてきた。帰り際、茶店でチャイを飲みながら本を読む。9時過ぎに食事に出かける。またケバブ、豆と肉のスープ、ライス、サラダ、ピクルスで85ポンドだった。腹一杯食べた。 ホテル9US$
3/20 日
雨が降っていたので、あまり歩き回れなかった、ハンドクラフトセンターやオールドタウに行ってみた。だらだらと街を見て回るが、そろそろ飽きてきた。 ホテル9US$
3/21
朝から、ドイツ人と一緒に朝食を食べたが、あまり話す事が無い。こうなったのは昨夜、ホテルの主人から電話で、明日の朝、ドイツ人が朝食をとるから一緒にどうかと誘われたからだ。今日は特にする事もなく1日本を読んでいた。 ホテル9US$
3/22
Damascas
朝7時に起こされた。何事かと思ったら、朝食だった。昨日のドイツ人がまだいるのかと思ったら、今度はデンマーク人だった。二人で食事だ。ようするにこのホテルは、白人が泊まりにくるとやたらとサービスするということだ。白人が好きなのか、同じキリスト教徒つながりか?? また、今日もオールドタウンにいく。暇つぶしにはちょうど良い。明日は出発、晴れるかな。 ホテル9US$
3/23
Palmyra

朝起きて食事、今日はデンマーク人と、シリア人のキリスト教徒の3人だった。そのシリア人が食事の前にお祈りをする。アラビア語なのだろうか。食事を終え、荷物をまとめて出発。日差しは暖かなのに、走ると寒い。パルミアに三時過ぎに着いた。ツーリストインフォメーションの横のレストランで食事。またケバブといろいろで100ポンドだった。うむむ。遺跡以外には何も無く、ナツメヤシが茂っていた。ゼルビアホテルに入る、13ドルだった。ホテルの目の前10mぐらいのところに神殿があり、ロケーションは抜群。夜はパルミアの街にいき食事。今日もケバブとサラダなどで45ポンドだった。遺跡のレストランの半額だった。夜は、ライトアップされた神殿と、真っ暗な夜空に輝く星々が美しく、別の世界にいるようだった。ホテルの兄ちゃんがコインを買わないかと行ってきた。

ホテル13US$
3/24
Palmyra
遺跡を見に行く、その内の一つは有料で1ポンド払った。食事をしてから博物館に行った。遺跡のあったと思われるレリーフなどは、ほとんどが博物館に収納されいた。博物館のおっさんが二階にこいというので行ってみると、コインとが石とか次々に見せて来る。博物館のなかで遺物を売っていいのかよ。 ホテル9US$
3/25
Raqqa
朝食をとり、出発。デリゾールに向かう。一時過ぎに到着。この街は暑いだけで見るものも無い。先に進み、ラッカに3時ころ着いた。チャイハネでお茶を飲んでいたら、軍服の若い男に声をかけられた。男に着いて行くと、現地人が利用するドミトリー式の安ホテルに連れて行かれた。久し振りの汚さだが、一泊25ポンドだった。初めてポンドでホテル代を支払った。若い兄ちゃんと街に散歩に出る。もう既にここは夏だった。街にはホテルが5軒ぐらいしか無い、なにもない所だった。街のすぐ横をユーフラテス川が流れている。 ラッカにホテル25ポンド
3/26
アジア
Gaziantep・TURKEY
トルコに向かうつもりだったが、ダムの街、タウラに出てしまった。しょうがなくアレッポ経由でトルコを目指す。アレッポには昼過ぎに到着。風が強く疲れた。食事をして、さらにトルコを目指す。国境には4時過ぎに着き、出国手続きを終え、トルコに入国したら、トルコ時間の4時前だった。シリアの出国手続は簡単で、スタンプを2個もらって終わり。残ったシリアポンドをトルコで両替したら、半分に目減りしてしまった。さらに走って、5時半過ぎにガズィアンテプに着く。やや大きめのホテルに入った。それでも6500リラだった。自分の持っているドルのレートで、6ドル弱だ。シリアから比べるとかなり安い、というよりも、シリアが暴利なのか。今日はかなり疲れた、腕がパンパンだ。外に買い物に出る。パン、ジャム、マーガリン、砂糖、タバコを買って来る。全部3700リラだった。トルコに戻るとほっとする。物価も安く感じるし、何でも揃う。それだけシリアが厳しかったという事なのだろう。 97,060km
ホテル6500
3/27 日
Diyarbaklr
ホテル2500
3/28
Diyarbaklr
ホテル2500
3/29
Van
ホテル4500
3/30
Dogubayazit
ホテル4500、カーペットを買い船便で日本に送る
国境でイランの通貨を闇で買う。1US$=900R
3/31
アジア
Tabriz・IRAN
トルコからの入国には時間がかかった。入国後、すぐ革命防衛隊に取り囲まれ、背負っていたディバックを勝手にあけられ、中のものを取り出され、さらにプレハブの個室に連れて行かれ、しつこく入国の目的を質問される。1時間以上足止めされる。まあ、戦争中なのだから当然なのかもしれない。
※公定レートは1US$=72、闇は1US$=720
ある程度のお金は、トルコ側で闇で買うことができたので、少し持って入国した。

※当時、イランはイラクとの戦争中で、入国するか悩んだが、広大なイランを通らないで陸路でインドにに向かうのは不可能だった。トルコでイランを通過してきた何人もの日本人旅行者から情報収集した。話では、戦争の影響はないといっていた。しかしみんなバスでの旅行だった。
イラン入国
98,170km
ホテル2400、
4/1
Tabriz
ホテル2400R、タバコは闇で1箱550R
イランでの宿泊はすべて高級ホテルに泊まった。闇で両替していると、US4ドル程度で高級ホテルに泊まれる。それらの情報はトルコで、イランを通過して来た旅行者から仕入れていた。
ガソリン1L=60R
10リットル買っても
US1ドルしない。
4/2
Zanjan
ホテル2000、フレームの修理2000リアル、オイル交換
4/3 日
Theran
10時過ぎに出発。テヘランまでは一本道だと思っていたらまた道を間違えた。3時頃街につくが、広過ぎて自分がどこにいるのか良くわからない。走り回り、なんとなくどこらへんにいるのかわかってきた。ホテルは少なく目立たない。小ぎれいなホテルキャラバンを見つけて入るが、あまり外国人を泊めたくないようだった。5日分の金をはらう。夕食にサンドウィッチを食べたが、腹がいた。明らかに食中毒だ。抗生物質を飲んで横になる。

イランでは闇で両替すると物価がものすごく安い、この安さを利用して多くの日本人旅行者はテヘランで日本に国際電話をしていた。もちろん自分もした。5分で4000R。探したしたホテルは、街の中心から少し離れた、バイクを中庭に置けるところだ。

ホテルキャラバン1400

 

4/4
Theran
※公定レートは1US$=72
闇は1US$=720
パンとチャイの朝食。今日は大使館に行って手紙などが無いか確認しに行く。大使館までは距離があり歩き疲れる。場所を聞いたらタクシーに乗れと言われ、タクシーを待っていると普通の車が止まった。大使館まで200リアルだった。つまり白タク。大使館では滞在先のホテルと、電話番号を書いてきた。大使館のお姉さんは、正月休みが終わったら、またミサイルが飛んで来ると言っていた。帰りも白タクに乗った今度はバザールまで1000リアルだった。ぼられている。昼食はサンドウィッチで200リアル。トイレットペーパーを探し、ぶらつくき輸入品などを扱っている店を見つけ、中に入ってみる。トイレットペーパーは4個で3200リアルだった。 ホテルキャラバン1400、
4/5
Theran
バザールやモスクの観光に出かける。戦争中なのでなかなか写真を撮れない。カメラを出すとあちこちにいる警官にスパイ容疑で逮捕されそうだ。バザールは閉まっている店が多く活気がない。バザール付近を観光中、屋台でサンドウィッチとコーラで昼を食べていたら、イラクからのスカッドミサイルが近くに着弾。ドカーンという音ともに周りの商店のガラスが全てはじけ飛び、激しい砂埃。周りにいたイラン人が側の店の奥に隠れたので一緒に隠れる。

その後、多くの人が走り出した。爆心地に向かっているようだ。一緒について行った。迷路の様な路地は人だらけで、周りには振ってきたガラスがささり血だらけの人たち、警察官、軍、消防車、興奮する人たち、集まって来るバイクや自転車、サイレンの音、怒号が飛び交い異様な状態。爆心地は瓦礫の山だった。写真を撮りたかったが、捕まるだろうからやめておいた。異様な光景だった。実際にミサイルが爆発するのを見たわけではないので、事故現場のような感じだった。

ホテルに戻ったのは午後3時を過ぎていた。ロビーでテレビを見ていたおじさんに話を聞くと、3発飛んできて、上空で1発が爆発、2発が着弾したと言っていた。
ホテルキャラバン1400、
4/6
Theran

また朝からミサイルが着弾。その音で目が覚めた。

観光ついでに、インド大使館にビザをとりに行ったら、場所が違うと言われた。側にいたイラン人もビザをとりに行くというので、タクシーで一緒に連れて行ってもらった。日本人は簡単にインド大使館の中に入れたが、イラン人は簡単には入れないようであった。ビザを取るには日本大使館からの紹介状が必要だと言われ、ここでとるのを諦めた。

タクシーでバザール周辺に戻った。昨日の爆心地を見に行った。そのあと食品バザールに言ってみた。そのバザールの辺りでバイクを押していたイラン人に英語で話しかけられた。話をしているうちに、彼がテヘランを案内してくれると言う。彼のバイクでホテルに戻り、自分のバイクを出して、彼と二人で、テヘラン観光に出かけた。彼の名前はナセル。彼に連れられ、シュアアブドゥール・アジィーン(と聞こえた)や遺跡、いくつかのモスクの中に入った。当然異教徒は入れないところばかり。そして帰りに、彼の家で食事をごちそうになった。部屋には他に2人の男がた。兄弟で兄は31歳、弟は22歳。ナセルは36歳だった。女性が別のところから食事を運んできた。話では、テヘランには120発以上のミサイルが落ちたと言っていた。泊まって行けと言われたが、真っ暗で人っ子一人いないテヘランの街をナセルの案内で10時過ぎホテルに帰った。

ホテルキャラバン1400、
4/7
Theran
また朝からミサイルが着弾。その音で目が覚める。11時ころ日本大使館から電話があった、安全確認だということだ。早くイランから出国するようにと言われる。そんなこと言われてもまだテヘランだし、先はまだまだ長い。ナセルがホテにやってきておみあげをくれた。彼が帰った後もミサイルが降ってきて、どこかに着弾、ホテルのドアが激しく揺れる。
バイクの整備、リアタイに釘が刺さっていたので抜いてパンク修理、夕方また、ミサイルが着弾。食事から帰ってきて明日の出発の準備をする。
ホテルキャラバン1400
4/8
Qom

また朝からミサイルが着弾。3時ころだった。また寝る。お茶とビスケットで朝食。10時過ぎにテヘランを出発し聖地コムへ向かった。テヘランを出るとすぐ砂漠になり、風が強く走りにくい。コムでは、二つのホテルで外国人はだめだと断れ、三つめのホテルにチェックインできそうだった。既に私の周りは人だかり、バイクに乗った日本人は相当珍しかったのだろう。チェックインではパスポートを宿に預ける。不安を感じたがしょうがない。荷物を部屋に置いて外に出ると、ホテルのおっさんに写真を取れと言われ、やっとイランで写真を撮れた。異教徒は入ることが出来ないモスク(イマーム・ザーデ)に、近くにいた子供たちに連れられ入ることが出来た。正面の参道には土産屋が並び賑やかだ。自分と同じ顔をしたアフガン人も多い。モスクの中は広場になっていてその壁一面にモザイクが張巡らされていた。奥には霊廟があり、棺か置かれている。その周りを回り、祈りを捧げる。
夜ホテルでテレビをみていたらクルド人に話しかけられた。随分難しい話をしているようだったが、半分もわからない。

※現在いは、グーグルマップでイマーム・ザーデの内部を見ることができる。

ホテル1000
4/9
Isfahan
朝9時に出発しようとしたら、パスポートが警察に言っていると言われ、結局11時に出発。ひたすら砂漠の中を走り、3時過ぎにイスファハンに着く。迷いに迷い人に教えてもらい、やっとホテルにたどり着く。今日は大きなホテルで一泊3200リアル、約4ドル。外に出てハンバーガーとコーラで食事、190リアル。街は闇両替屋が多かった。 Ali Qapu Hotel
3200リアル
4/10 日
Isfahan
昼頃外に出て、ツーリストオフィスに言ってみた。地図をもらう、というより120リアルで購入。モスクまで歩いてみに行くが人気がない。子供たちに声をかけられる、戦争でずっと学校が休みで、することかないようだった。 ホテル3200
4/11
Isfahan
9時頃、ミサイルの落ちる音で目が覚めたが、体調が悪くまた寝てしまう。起きると掃除のおばさんたちが入ってきた。ミサイルは空中で爆発したようだが、それでもかなりの店のガラスが割れていた。疲れたので一度ホテルに戻りコーヒーを飲んでみたら、これが高い、580リアルだった。4時頃外に出て、買い物。本三冊とカセットテープ三本を買う。街を歩いているとともかく闇両替屋がうるさく声をかけてくる。 ホテル3200
4/12
Isfahan
イスファハンは11世紀にセルジュークトルコの首都となったところで、戦争がなけれは観光地なのだろう。 ホテル3200
4/13
Shiraz
9時過ぎに出発。食事も取らないでひたすら走る。検問が多く不愉快な思いをたくさんした。決して逆らわないことだ。時間の無駄。ここまでくるとイランもだいぶ感じが違う。もうチェーンがたるたる。メーターが99999.9から0に変わった。ついに一回りした。ホテルを探すが英語の表記がなく分かりにくい。ボーッとしてたら車に突っ込みそうになる。パークホテルというたかそうな名前のホテルを見つけチェックイン、3000リアルだった。街に出て食事と思ったが疲れてしまい、りんごを買ってサンドウィッチを食べてホテルに戻ると、子供がうようよいて、結局子供のおもちゃになってしまった。シラズはイスファハンより活気があった。 ホテル3000
4/14
Shiraz
バイクのチェーンを張って、ガソリンを入れに行っただけなのに、またチェーンが伸びてしまう。まだ7000kmしか走っていないのに、もう限界。 ホテル3000
4/15
Shiraz
ホテルで朝食を食べた。卵とトーストで610リアル。雲行きが怪しかったがペルセポリスに行ってみた。一時間ぐらい観光し、帰り始めたら、雨。あっという間にどしゃ降りになる。カッパを持ってこなかったのですぶ濡れ。ホテルに戻り、濡れたものを洗濯。 ホテル3000
ペルセポリス50リアル
4/16
Kermam
9時過ぎに出発、今日は550km走る予定。天気がいい砂漠をひたすら走る。ケルマンには4時過ぎに着く。チェーンも伸びてメロメロ。ホテルのフロントはデブで雰囲気の悪い男だった。腹ペコだったが荷物をおろし、チェーンを張るが、うまく調整できない、コマを切って詰めたがそれでも、伸びてるところと張ってるところの差が激しいすぎ。
今日のガソリン代は600+420+360リアル。
Shiraz→Kermam間550kmを7時間で走る。ここまでくると戦争の影響も少ない
ホテル2600
4/17 日
Zahedan
8時過ぎに出発、今日は530km走る予定。バムあたりまではいいペースで走れたが、途中ガソリンスタンドで電気が来るまで待つことになった。12時過ぎまで、約一時間まった。暑い中、車やトラックも多数待っていた。パムを過ぎると本当に何もなく、熱風が吹く砂漠となる。まだセーターを着ていたので途中で脱ぐ。ザーヘーダンの手間で検問、さらに進んで検問、街の手前でまた検問。街に入るとまた止められる。街は広くホテルを探し回る。見つけたホテルの前で迷っているとまた人だかりになってしまった。もう慣れた。さらにホテル探し、やっと地下にバイクを入れられるところを発見。あまり綺麗ではなかったが高かった、2750リアル。6時を過ぎていた。暑さと疲れで頭がボーッとしている。
Kermam→Zahedan間530kmを9時間で走る
KNAVARホテル2750
4/18
Zahedan

起きて食事をしていたら、軍のパレードが通った。少しボーッとみていたら、現地人が着ている服を着た日本人らしい男が、警察に連行されていた。おそらく写真とかとったのだろう。バイクの整備を始める。タイヤの交換R、リムが落ちないので苦労するがやっと交換。チューブを入れて膨らませるが、なかなか耳が出ないので時間がかかってしまった。チェーンの交換DSD520VSR、チェーンはエンドレスなので、もう切って詰めたりできない。スプロケットFの交換、リアは交換しないでこののまま使う。整備が終わり、洗濯、荷物の整理をするがなかなか減らない。夕食は昨日と同じ、ケバブとヨーグルト、ライスにコーラで1190リアル。

ホテル2750
4/19
Zahedan
食事をしに外に出るが食べられ所がない、探し回っているうちにパン屋を見つけるパンを買う。20リアル。朝食は買ったパン。パンと行ってもナンのような感じで、焼けるのをみんなが待っていて、焼けたら買って行く。 ホテル2750
4/20
アジア
Taftan・PAKISTAN
11時頃出発。昼には国境に着くが、昼休みだった。結局3時まで待った。税関ではパスポートに出国スタンプを押して、カルネを切っておしまい。国境を超えたタフタンは荒涼としていて、バラックだらけだ。イミグレーションオフィスではパスポートを渡し外で待っている間に両替をした。パスポートを戻してもらう時、びざが必要なったとか、お前の名前がリストに載っているとか散々嫌味を言われるが、もう気にもならなくなっていた。次はカスタムに向かい、そこでカルネを切る。台帳に記入。荷物検査、全て開けて見せる。終わったのは5時、2時間かかった。

砂漠のバラック村の中をホテル探し。車に載ったにいちゃんに教えてもらったのが、パルチスタンホテル。部屋はコンクリートの上にゴザをひいてあるだけ。チャイをもらうが塩っぱい、それもそのはず、水道はなく井戸水を小型のプールのよえなところに溜めている。
出国税1500R
ホテル35ルピー
101,318km
4/21
Nok kundi
TaftanからNokundy(ノク・クンディ)は悪路だった。それも聞いていたので覚悟はしていたが、SRXでふかふかの砂利道を走るのは辛すぎた。道路は洗濯板のようにガタガタで、車やトラックが削った砂や砂利が堆積していた。60kmぐらいまでは耐えたが、あと半分がともかくキツかった。結局、朝6頃から走り始め130kmを10時間ぐらいかかった。Nonkundyには6時すぎに着いた。街道沿いの日本の海の家みたいな食堂で食事をして、そのまま雑居寝。店の親父がバイクを納屋みたいなところに隠してくれた。 宿と食事で33ルピー
4/22
Quetta
6時に起きる。あまり眠れなかった。チャイとチャパティで食事。ガソリンを入れ出発。Nonkundyから道路は舗装となった。昼頃、ダルバンディンの街に着くが食事ができない、オイルを交換し先に進む。ダルバンディンからヌシュキまでの道路はところどころ工事中で、干上がった湖の中を走る、砂が深いところもあり、キツかった。ヌシュキには6時前に着いた。レストハウスに着いたが、外で待たされ中に入れてくれない。もう頭にきて、さらに先に進むことにした。ヌシュキを出てすぐバスや車が止まっていたので、自分も止待って仲間に加わった。みんなはスイカを切って何かを待っている。なぜ食べない。なぜ食事をできない。そうこうしているうにグループに呼ばれ、スイカをもらう。7時をすぎ、祈りの声とともに食事が始まった。どうやらラマダンだったようだ。どうりでレストランが開いてないわけた。食事をした後、真っ暗な道をクエッタ目指して走る。着いたのは10時半を過ぎていた。今日も500km走った。ホテルに入ると日本人が3人いた。声をかけられ少し話をした。 ムスリムホテル30
4/23
Quetta
ホテル30
4/24 日
Quetta
ホテル30
4/25
Quetta
ホテル30、バイクの整備、再びフレームの溶接
4/26
Quetta
ホテル30
4/27
Sukkur
ホテル260
4/28
Multan
ホテル240、ともかく暑く、不快。
4/29
Dera Ghazi
ホテル24
4/30
Dera Ismail
ホテル40、メーターケーブル切れ

5/1 日 から 5/21
Pesawar

カイバルホテルには多くの日本人が宿泊していた。ここで再び沈没。
きっと旅をすることに疲れていたのだと思う。もう動きたくなかった。

狭い路地を入ったところにホテルの入口がある。その入口の横にバイクを置かせてもらった。探せばバイクを置ける宿が何件かあった。
最初はシングルに止まっていたが後から3人部屋に移った
カイバルホテル40×8
カイバルホテル25×13
5/22 日
Rawarpindi
いよいよ出発。 ホテル100
5/23
Rawarpindi
  ホテル100、インド大使館ビザ41ルピー
5/24
Rawarpindi
  ホテル100
5/25
Lahore
ラホールはともかく暑く、不快。水物ばかり摂っている サルベーションアーミー30
5/26
Lahore
また溶接できるところを探し、フレームの修理20RP
サルベーションアーミーは、赤十字のオフィスの一角が宿泊設備になっている。ビルの裏側が庭になっているので、インドに向けてバイクの整備をした
ステアリングボールレース、ボールの交換
サルベーションアーミー30、
5/27
Lahore
  サルベーションアーミー30
5/28
Lahore
必要がないと思われるテントや冬物を日本に送り返し、なるべく身軽に。
オイル交換、オイルフィルターの交換、プラグの交換
サルベーションアーミー30、
5/29 日
Lahore
観光 サルベーションアーミー30
5/30
Lahore
オイル交換 サルベーションアーミー30、
5/31
Lahore
ブレーキ交換 サルベーションアーミー30、
6/1
Lahore
体調が悪い サルベーションアーミー30、
6/2
パキスタン→インド
AM8:00に出発、すぐに国境に着いた。インドに入国、しかしここで夕方6時まで待たされた。軍の車両が先導し、入国した旅行者全員をまとめてコンボイ状態でアムリットサムを通過するということだった。 これは、1984年6月に、インド陸軍のシーク教総本山ゴールデンテンプル制圧事件によるもので、外国人はパンジャブ州に入れないためだった。話には聞いていたが、夕方から出発するとは思わなかった。国境にはマジックバスもいた。マジックバスはロンドンからネパールのカトマンズまでバスで旅行するというもので、ここに来ていたのは、2階建てのロンドンバスだった。運転手の話では、バスダラムシャーラーに行くと行っていた。ここまでの途中、イランに入国できない国籍の乗客は飛行機でイランをバイパスしたと行っていた。バスには日本人の旅行者も乗っていたので、少し話をした。旅行前だと思うが、中上健次がマジックバスにのって旅をするドキュメンタリー番組をテレビでみたことがある。その時の雰囲気とは随分違っていた。
コンボイはアムリットサムを抜け、車やバイクは真夜中に解放された。しかし、これからどうすればいいのだ。しょうがなくデリーに向けて走り途中、お茶屋で食事をして、路上に置かれた編み上げのベットでAM2:00からAM6:00まで寝た。
6/3
アジア
Delhi・INDIA
103,998km

起きて、チャイを飲み、出発。もうこの時間は、朝の通勤時間で、バスは満員。道路も渋滞していた。それでも朝10時にデリーに着いた。宿は街の中にあるツーリストキャンプ場のバンガローに入った。 そこでラホールで会ったM君と再会し、同じバンガローをシェア。暑くて、寝れない。外の温度は40度を越えている。部屋には窓も無く、小さな扇風機が一つだけ。ドアを閉めると、暑くて眠れない。
ツーリストキャンプ27RP、
6/4Delhi

6/19
情報センター、オールドデリー観光、肝炎か?? だるい
トイレにいったら、やっぱり肝炎。
6/8、肝炎がもっともひどい、ともかく怠い、何もしないでゴロゴロしていた。
6/12、黄疸も引きほぼ良くなる
6/13、イラン人が買ってくれてLiv52を飲んでみる
6/14、まだ怠い
6/18、街に出かけ、見つけたバイク屋でシールドを買う25RP
6/19、体調が悪い、インドを南下せずに、休養をかねてネパールに行くことにした

食べ物は何もかもカレー味、路上の食堂ではサブジーだったか、オクラなんかが入った野菜カレーが安く、外国人だとスプーンを出してくれる。

ツーリストキャンプ
27RP×16

6/20
Agra
まだ、怠いが出発する。観光地アグラ
ツーリストレストハウス50RP
6/21
Khajuraho
この街には遺跡があり、一応観光地なのだが、ただの田舎の村。 サンセットビュー25RP
6/22
Khajuraho
  サンセットビュー25RP
6/23
Khajuraho
  サンセットビュー25RP
6/24
Khajuraho
  サンセットビュー25RP
6/25
Khajuraho
デリーで会ったCさんと再開 サンセットビュー25RP、
6/26 日
Khajuraho
  サンセットビュー25RP
6/27
Varanasi
  ツーリストバンガロー35RP
6/28
Varanasi
  ツーリストバンガロー35RP
6/29
Varanasi
  ツーリストバンガロー35RP、ツアー30RP
6/30
Varanasi
  ツーリストバンガロー35RP
7/1
Varanasi
下痢 ツーリストバンガロー35RP、
7/2
Varanasi
下痢 ツーリストバンガロー35RP、
7/3 日
Buddha Gaya
仏教の聖地。多くの日本人観光客が訪れるのか、お土産屋がうるさく付きまとってくる。彼らが売るのは、菩提樹の下で仏陀が悟りを開いたと言われている木の種で作った、とされている数珠。紫檀とか黒檀で作ったものも売っている。信じられない値段でふっかけてくる。10〜20円程度のものを、1〜2万円で売るらしい。それを買う日本人ツアー客が彼らのカモだ。こんな田舎のにいちゃんがバイクに乗っていたり、ラジカセを買いに行くとか言っていた。

下痢、スリランカゲストハウスから表に出た、比較的大きな道沿いの、屋台のカレーで毎日夕食を食べているのだが、このカレーの刺激がお腹に悪い感じ。
スリランカゲストハウス50RP、
7/4
Buddha Gaya
下痢 スリランカゲストハウス50RP、
7/5
Buddha Gaya
下痢 スリランカゲストハウス50RP、
7/6
Rajigir
下痢 ツーリストバンガロー20RP、
7/7
アジア
Birganj・NEPAL
106,190km
  入国ビザ10US$、ホテル66NPR
7/8
Kathmandu
カトマンズに先に到着しているはずのM君を探しに、日本人が多く利用する宿に行ってみた。そこでM君が入院していることを聞く、ここにはバイクは置けそうもない。
中庭にバイクを置ける宿を探し、Holy Logeに決める。
カトマンズはいいところで、休むには最適だ。大勢の外国人登山家が訪れるので、宿も多くいろんなものが揃っている。登山用品の中古がいろんな店で売られ、日本語の本や、地球の歩き方の中古も多数売られていた。日本食のレストランも多く、以外に美味しい。
Holy Loge・30NPR、
7/9↓
M君の入院している病院へ、お見舞い。痔だった。そういえばパキスタンで会った時から尻が痛いと言っていた。ここの病院で手術をしたらしい。 Holy Loge・30NPR、
7/10 日
カトマンズでは、毎日静養をかねてゴロゴロしている。 Holy Loge・30NPR、
7/11
既に、気力も、体力も、そして好奇心さえも無くなっていたのかもしれない。 Holy Loge・30NPR
7/12
  Holy Loge・30NPR
7/13
  Holy Loge・30NPR
7/14
インドに戻り、旅行を続けるため、日本大使館にパスポートの増刷をしに行く。 Holy Loge・30NPR、
7/15
日本大使館に。パスポートの受け取り 800ルピー Holy Loge・30NPR、
7/16
  Holy Loge・30NPR
7/17 日
  Holy Loge・30NPR
7/18
  Holy Loge・30NPR
7/19
  Holy Loge・30NPR
インド大使館・ビザ代金111RP
7/20
ボダナートに観光 Holy Loge・30NPR、
7/21
インド大使館にビザをとりに行く。 Holy Loge・30NPR、
7/22
旅行を続ける為にバイク屋でオイル交換・225RP Holy Loge・30NPR、
7/23
旅行を続ける為にバイクの整備 Holy Loge・30NPR、
7/24 日
  Holy Loge・30NPR
7/25
  Holy Loge・30NPR
7/26
タイ大使館・ビザ代金245RP。ネパールからインドに戻り、インドからタイに行く予定でピザを撮った。インドのKhajurahoで会ったCさんと再開 Holy Loge・30NPR、
7/27
ペールー・リマのペンション佐藤で一緒だったTと再会 Holy Loge・30NPR、
7/28
  Holy Loge・30NPR
7/29
Tに誘われ、一緒にチベットに行くことに決定。
バイクでは行けないので、ツアーで行くことになった。
Holy Loge・30NPR
7/30↓
ボダナート、バシュパニナートに観光。 Holy Loge・30NPR、
7/31 日
旅行代理店でチベットツアー申し込み400US$、片道の飛行機代と、チベットでの宿代が込み Holy Loge・30NPR、
8/1
  Holy Loge・30NPR
8/2
動物園、パタンに観光。 Holy Loge・30NPR、
8/3
  Holy Loge・30NPR
8/4
  Holy Loge・30NPR
8/5
Kathmandu
旅行代理店、バイクと荷物はHoly Logeに預かってもらうことにした。 Holy Loge・30NPR
8/6
アジア
Lhasa・チベット
ネパール→チベット、ネパールからチベットツアー、 AM6:00出発・PM8:00着
中国人ガイドにつれられホテルに。招待所と言われる、国営のホテルで、街の中心からかなり離れていた。チベットツアーには日本人3人と、ドイツ人女性とアメリカ人女性が一緒だった。
スノーフレイクホテル
チベット入国
ツアー、375ドル
8/7 日

 

スノーフレイクホテル
8/8
ツアーなので、中国人のガイドとともに、ポタラツアーにいく。 スノーフレイクホテル、
8/9
ツアーは二泊三日で終了。ドイツ人の女性が、ホテルを変わるというので一緒に着いて行った。ヤクホテルは多くのパックパッカーが利用していた、チベット人が経営の人気の宿のようだった。 ヤクホテルに移動・22元
8/10
  ヤクホテル・22元
8/11
  ヤクホテル・22元
8/12
  ヤクホテル・22元
8/13
  ヤクホテル・22元
8/14 日
  ヤクホテル・22元
8/15
ついに本物らしい「ジー(天珠)」を手に入れた ヤクホテル・22元
8/16
  ヤクホテル・22元(1FEC=16.7RBM)
8/17
  ヤクホテル・22元
8/18
  ヤクホテル・22元
8/19
Shigatse
ラサ→シガツェへバス旅行(36.2FEC ??)、 第二招待所・7.5元
1FEC=16.7RMB
8/20
Shigatse
  第二招待所・7.5元
8/21 日
Shigatse
  第二招待所・7.5元
8/22
Shigatse
  第二招待所・7.5元
8/23
Lhasa
シガツェ→ラサ、バス代金(18RMB)、 ヤクホテル・22元
8/24
Lhasa
  ヤクホテル・22元

8/25
Lhasa

ポタラ観光 ヤクホテル・22元、
8/26
Lhasa 拉薩
  ヤクホテル・22元、ネパール大使館にビザの申請・40FEC
8/27
Gyangtse 江孜県
バスでネパールに戻ることに。 招待所・3元
8/28 日
Shigatse 日喀則
  バスターミナルホテル・6元
8/29
Lbatze
  招待所・8元
8/30
Tiogri ?? Tingri ??

バスでヒマラヤを横切って、ネパール国境に向かう。
バスが休憩した地点から見えるヒマラヤの山並みは、この世のものとは思えない。

招待所・12元
8/31

Zhangmu 樟木鎮 →ネパール Tatopani

国境は山の中で、ネパールに向けて山道を下って行く。本来は、国境を越えてすぐのところまで、バスが来ているはずだったが、地震で道路が所々寸断されていため、歩きとなった。
国境から7時間歩き暗くなってきたため、シャクワの民家に泊まる・25RP。民家は民宿もかねているようで、食事も提供してくれた、寝る場所は納屋の様なところで、後から、何人もの人がやって来た。

樟木鎮
https://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=樟木鎮&ie=UTF-8&ei=2p-DUP2IBuj1mAWixYDwCg&sqi=2&ved=0CAgQ_AUoAg

民家に泊まる・25RP
9/1
アジア
Kathmandu・NEPAL
朝から6時間歩き、車が折り返していた道路でタクシーをひろい、カトマンズまで移動・250RP。もうくたくた。 ホーリーロッジ・44RP
9/2↓
ここでバイクでの旅を終え、帰国することに決める。理由はいろいろだが、結局、旅行するこに疲れたのだと思う。バイクでの旅でなかったら、日本に帰る意味も、気力もなくし、気に入った土地に住み着いてしまったかもしれない。 ホーリーロッジ・44RP
(闇でU$1=約29RP)
9/3
  ホーリーロッジ・44RP
9/4 日
ネパールは山岳国家なので、日本へのバイクの運送は航空便となる。
送るため代理店に行き、見積もりをとる。察するに登山家がカトマンズを拠点としているのだろう。代理店もなれたものだ。
ホーリーロッジ・44RP
9/5
  ホーリーロッジ・44RP
9/6
  ホーリーロッジ・44RP
9/7↓
ボダナート観光、ロイヤルネパールオフィス ホーリーロッジ・44RP、
9/8
代理店のそばで声をかけて来た男が、個人で航空便の手配してくれるという。安かったので頼んでみることにした。その運送屋と打ち合わせ ホーリーロッジ・44RP
9/9
  ホーリーロッジ・44RP
9/10
ボダナート、さらに複数の「ジー(天珠)123」を手に入れた ホーリーロッジ・44RP、
9/11 日
  ホーリーロッジ・44RP
9/12
個人の運送屋が手配してくれた大工がバイクの箱作り(梱包)にきた。宿の庭で箱作り、一緒にパッキング ホーリーロッジ・44RP
9/13
  ホーリーロッジ・44RP
9/14
運送屋が手配してくれた、トラクターの荷台に、ホーリーロッジにいた日本人旅行者全員で乗せ飛行所の税関に持ち込む。税関では、重さを量るのだが、計りのある部屋に、箱を入れられなかったので、重量は適当な重さとなった。全てがアバウトだ。
バイクを日本に送る、750US$。これで終わり。
ホーリーロッジ・44RP、
最終=106,464.5km
9/15
旅を続けていると、人は朽ちて行く。私は既にホームレスと同じ状態だった。 ホーリーロッジ・44RP
9/16
  ホーリーロッジ・44RP
9/17
ボダナートへ観光 ホーリーロッジ・44RP、
9/18 日
  ホーリーロッジ・44RP
9/19
Kathmandu
飛行機のチケット270US$ ホーリーロッジ・44RP、
9/20
バンコク・タイ
カトマンズから飛行機でバンコクへ 
PM3:00出発、タイ時間PM8:50着
エアポートホテル
航空券、182ドル
9/21
バンコク
バンコク市内観光 エアポートホテル
航空券、270ドル
9/22→東京

1986年3月3日から1988年9月22日までの、2年半の旅が終了。
日本は何もかもが奇麗だった。

帰国

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